馳浩の古典こらむ

 遂に行く
 道とはかねて 聞きしかど
 昨日今日とは 思はざりしを

在原 業平 ありわらの なりひら
825〜880
伊勢物語


 「私の病名は、ガンです」
 そう告知会見を行い、それから数ヶ月後にこの世を去ってしまった逸見政孝さん。
 志半ばにしての大病。家族を残して死にゆかねばならない一家の大黒柱としての無念。
 テレビの世界で活躍し、多くの人に愛された逸見さんだけに、その死に様はショッキングであった。
 本人にしかわからなかったであろうその胸中はいかがなものであろうか。
 伊勢物語の辞世の歌にうかがい知ることができるかもしれない。

 「つひにゆく道」とは死を意味する。
 「思はざりしを」とは、死に遠い彼方の存在と思っていたのに、病気が進行し、死の迫って来たことを感じた詠嘆のことば。
 人間誰しも死を迎えねばならないことは理解していても、いざ自分が直面しようとは、という意味の歌である。

 作者の業平は律令官僚で、最終官位は蔵人頭。あと一歩で大臣になれるポストにいたわけで、念願かなわず死にゆかねばならない無念の胸中が、この歌にこめられている。
 逸見さんも、やりたい仕事、家族の将来など、心の中にひっかかる思いを残してこの世を去っていったのではなかろうか。
 冥福(めいふく)を祈ると共に、生きている我々は、悔いのない人生を歩みたいものである。


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