「 詩 」 瞳やわらぐまで 1999年9月12日(しんぶん赤旗・日曜版)
「 詩 」 叫び 1999年6月 6日(しんぶん赤旗・日曜版)
「 川柳 」 1999年 4月11日(しんぶん赤旗・日曜版)
1998年7月、山口さんがこれまでの主な作品をまとめ、詩集として出しました。「あふれる想いを、言葉にたくして」(発刊にあたって)このページもその詩集を元にして、さらにいくつかの作品と、その後の作品を加えています。
「 詩 」 気にかかる・・・ 1998年6月28日(しんぶん赤旗・日曜版)
「 川柳 」 1998年 5月10日(しんぶん赤旗・日曜版)
「 詩 」 笑顔あふれて 1998年 3月14日(しんぶん赤旗)
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1999年12月 5日 しんぶん 赤旗日曜版 読者の文芸 詩 瀬野 とし 選 うーん 石川県 山ロ 修治 話をすることも食べることもままならぬ妻 入院生活三年ちかく 雨の日も 風の日も 日照りの日も 妻のもとにかよいつづけた彼 この春 特別養護老人ホームに妻はやってきた かわらずかよいつづける彼 「なかなかまねのできんことですね」 「六十年間だっこさせてくれたんやもの これくらいあたりまえのことやわいね」 おもわずうなってしまった すなおに脱帽 <評>山口さんの詩では、妻に対する思いを 語った<彼>の言葉に胸を打たれました。 [頁頭へ]
1999年9月 12日 しんぶん 赤旗日曜版 読者の文芸 詩 瀬野 とし 選 瞳やわらぐまで 石川県 山ロ 修治 まゆをひそめじっとボクをみつめる不安な瞳 固くとじられた唇 昨夜から何も食べていないとのこと なんとかしなければ・・・ しっかり手をつなぎ 彼女の好きな賛美歌を歌い 彼女の幼き頃にはやった二宮金次郎を歌い あれやこれやと語りかけながら 初対面の彼女と心通うには時が必要だった 差し出したスプーンの食べ物 口にふくんでくれたのは一時聞後 おもわず「やった!」 ふとみると 彼女のまゆも瞳もやわらいでいた (評)山口さんは施設の職員。不安と緊張 に心を閉ざした初対面の女性が、手をつな いで歌を歌い、話しかけるうちに、心をや わらげて食べ物を口にする。その変化がよ く描けています。 [頁頭へ]
1999年6月 12日 しんぶん 赤旗 読者の文芸 詩 近野 十志夫 選 古 老 石川県 山口 修治 日本列島が騒然とした卯月が過ぎた日に 七十才をすぎた古老を訪ねると開口一番 「生まれてはじめてのことをしたよ」 出会いは四年前 地域に配布したアンケートハガキに しっかりした太い字で ゆがんだ政治への怒りがしたためられた 古老からの便りが届いた時 「自分の父親は天皇に殺されたも同然だ」 戦争の話とともにとつとつと語る 地域を住みよくする会の代表を引き受け 道路の改修の要請をお役人の前で凛と語る やもめ暮らしの知恵だと 来客を迎える四季にあった造花 「一貫して国民が主人公を唱える あんたらの党にずっと投票してきたが 今回はじめて知人に投票をたのんだ」 またひとつ老い方を学んだ これでいくつ学ばせてもらったことか <評> 山口さん、政治への怒りと近隣の 人のために骨を折るという背景の中で、地 方選を支えてくれた老人の気持ちがうれし い作品。こうした現役の老人を「古老」と 呼ぶのがふさわしいかどうか。 [頁頭へ]
1999年6月 6日 しんぶん 赤旗 「日曜版」 読者の文芸 詩 片羽 登呂平 選 叫び 石川県 山口修治 春の訪れとともに 七十五歳の娘さんに介護されていた人が 息子さんがリストラされた人が 九十九年間生きてきた人が 特別養護老人ホームの門をくぐってきた 「こんな体になってしまって…… 早くお迎えこんかいな……」 そんな言葉をすり抜けるように走り回る職場 ふと、心の痛みが薄れてしまうこともある 宇宙にまで行く時代だというのに 誰が古老にこんな残酷な言葉を吐かせるのか 「心の痛み」も粉々になってしまいそうな 渦に巻き込もうとする画策が近づいている 「まけてなるものか」 <評> 「叫び」は介護問題の現実をそのま ま描き(まけてなるものか)と怒りをぶっ つけていますが、全体が平板な感じで惜し まれます。 [頁頭へ]
1999年 4月11日(しんぶん赤旗・日曜版) 「 川柳 」 石川 重尾 選 介護法 見れば見るほど 笊(ざる)に見え 石川県 山口 修治 [頁頭へ]
天国のAさんへ 1998年7月 野麦峠を越え 100円工女で頑張ったあなた 初めて出会ったのは 「アルツハイマー」という病気になって ホームに来られた時でしたね すでにあれこれ物忘れがありましたが 「わて、5台も機械もっていたんやぞ」 人生の中でも苦しい時代であったでしょうに 一番心に強く残っているのか たずねるといっも雄弁に語ってくれましたね 「こどものころは何をして遊んだんですか」 「なんも遊ばん」 「ともだちと、ままごと遊びなんか したんじゃないんですか」 「いっも畑の手伝いばっかしていたもん」 考えもなくたずね恥じたこともありました 三年半の短いつきあいでしたが多くのことを 身をもって教えてくれましたね 表札を大切にタンスにしまっている姿 差し出したお茶を 「ありがとお」と「ごっつおさま」の言葉 そして、こぼれんばかりの笑顔で飲まれた姿 「かなわぬ鯉(恋)の滝のぽりなんやね」 ボクの目を見て肩を落として言われた姿 ベッド脇で「どおですかいね」とたずねると 目でニツコリうなずかれた姿 亡くなられて一年半 そんな姿が今も目に焼きついています あなたと同じように 長き人生を生きてこられたホームのみなさん あなたに教えてもらったことを心にきざみ みなさんと共に生きていきます 天国で見守っていて下さい [頁頭へ]
限りなき生きざま 1998年6月 ホームに入るように進められた時には 自分もついに、うば捨山にいくのかと思った ホームに来て四年 自分の人生観が変わった 何故かと自問自答した 答えがわかった 若い職員さんたちが、一生懸命走り回って 自分たちの世話をしてくれる姿 老人の生命を大事にしてくれる姿 それに心打たれたからや 自分の気持ちが変わった根源がそこにある とつとつと語る1906年生まれのAさん 働く仲間と腕組み汗して生きてきたAさん 「人事を尽くして天命を待つ」 「一日でも長く生きて 若い職員さんの期待にこたえたい」 自らのぞんでの白内障の手術 廊下の手すりでの下半身の上下屈伸運動 点滴をしつつの食事 大好きな詰め将棋 何度かの入退院を繰り返しつつ そんな日々が続く 共生、共感、共鳴、共育 心豊かになる出会い 限りなき生きざま [頁頭へ]
ひたむきな青春 1998年6月 将来、ヘルパーになりたいのです ぜひ見学させてください 受話器から伝わる若き声 先天性の目の障害 親元を離れ 小学生からの寄宿舎生活 心の許せる友達や親切な先生が回りにいる そんなことが思い浮かぶ 見学の時の澄んだ瞳と心やさしい言葉 目標達成にはきびしい道のりがある 達成できないかもしれない・・・ 「夏休みにぜひ実習に伺わせて下さい」 想いをこめた便りが届いた ポンと背を押してあげたくなった 15才の少女との出会い [頁頭へ]
1998年6月28日 しんぶん 赤旗 「日曜版」 読者の文芸 詩 片羽 登呂平 選 気にかかる・・・ 石川県 山口 修治 遊びの輪から少し離れて 一人で遊んでいる子 障害に負けないぞと 肩に力を入れ 社会に向かって 少しはすにかまえている人 過去に心押しつぶされることがあり 乗り越えきれずに ひきずっている人 そんな人と目が合った時 言葉がみつからないままに おもわず声をかけてしまう <評> 山口さんの目に は弱者へ寄せる心の優しさが溢れていま す。 [頁頭へ]
また、心躍る季節がやってきた 1998年6月 また、心躍り、心騒ぐ季節がやってきた ふるさとの清流がボクを呼んでいる 真上からジリジリ背を焼かれる 暑さに耐えながら アブに刺される痛さに耐えながら 窒息寸前にまでなる 素潜りの息苦しさに耐えながら それでも、ボクは、君を必死に追いかける 君はまるでボクを挑発するかのように ボクの手が 君の尾ビレにちよっと触れた瞬間に 君の横腹にちよっと触れた瞬間に スルリと隣の岩巣に逃げていく まるで無垢な男心をもてあそぶ 人魚のように ボクがあきらめ切るほど遠くへは けっして逃げていかず ますます男心をかきたてるように ヒラリ ヒラリ とかわしていく ふと気がつけば 山の向こうは茜色 なんともいえない満ちたりた一時 家路に向かいながら、いっも想う 「来年こそは、きっと」と・・・・ [頁頭へ]
帰ってきた 『笑顔』 1998年6月 大きく影でおおわれた肺 レントゲン写真を見た時 内心「もうだめか・・・」と思った よぴかけるとうつろな目でほほえむが 酸素をしている姿を見た時 内心「もうだめか・・・」と思った 入院生活 28日 こぼれんばかりの笑顔と共に 元気にホームに帰ってきた 1904年生れの人気者のAさん 「朝は三時から起こされて〜 夜は十二時まで夜業する〜 足がだるいやら痛いやら〜・・・」 ほろ酔い気分になると必ず口ずさむ 北の漁場で働いていた頃のこと ベッドでほほえみながら 「毎日、わて見に来てや」 おもわず 「一時間おきに見にくるわね」 そんなやりとりが ふたたびできるなんて・・・・ [頁頭へ]
いとしの『みかん』 1998年6月 ちぎれんばかりに尾っぽを振り ボクの帰宅を 飛び回って迎えてくれる君よ 君は、昨年の冬 生後たった28日で親元を離れ 我が家にきてくれたのでしたね お母さんに もっとあまえていたかっただろうに お母さんの オッパイをもっと飲みたかっただろうに くう〜んくう〜ん、悲しげに泣く君を たった一人家に置いて 後ろ髪引かれての出動の日々 「産休明け保育園もないのに なぜもらってきたのか」 家族のケンカが絶えない日々でもあった いまでは、もうスッカリー人前 昼は一人で家を守り ボクが出張の時は家族を守り 君にたよりっきりの我ら家族 もう、君がいない生活は ボクには考えられない この感情、この想い、そういえば・・・・ 20年前、そして18年前にも味わった 君は、間違いなく、ボクの三番日の娘 [頁頭へ]
目をそむけないで・・・ 1998年5月 学ぶことがおもしろくないと 学校に行かない子がいる ひたすら汗して働き過労死する人がいる 親亡き後も描ける「静物画が好き」と語る 脳性小児マヒの画家がいる 仮説住宅で孤独死する人がいる 病院にかかれず亡くなる人がいる 介護づかれで親を殺してしまう人がいる これが、我が故郷 経済大国、日本 *赤旗日曜版 6月14日付で寸評される [頁頭へ]
驚愕の出会い 1998年5月 「ゆきのした・372号」 「詩人 中野玲子の生涯」 「ある戦後史・中野玲子とその周辺」 この三冊に導かれた驚愕の出会い 我れ生まれたる 我れ覚えなき戦後の混乱期 我が故郷を守り闘った 多くの群像があったことを知る 我がとなり村に 志半ばで病に倒れた 先人ありきを知る 我が子をはぐくんだ人 熱き心を持つ故郷の 井上靖子と知る 権力に追われ遠く故郷を離れ 今もなお 「同志よ わたしを笑うなわたしを怒るな わたしが時々・・・・・・ 故郷の人々のことを わたしは兄弟のように 忘れることはできないのだ・・・」 故郷想う熱き心の 先人ありきを知る 故郷への我れの想い重なり 涙あふれる 心熱く 胸たかぶる 驚愕の出会い [頁頭へ]
風の子たちよ 1998年5月 キャンプ、親子ハイキング、バザ一 我が子と共に、喜び楽しんだ日々 学童保育「風の子くらぶ」 思い出は私の宝物 なんともいえないうれしさ感じる 街角での、「おっちゃん、ひさしぶり」 恩師の退職に集った 茶髪、ピアス、ロン毛、細眉 青春している 100人余りの見の子たちよ 恩師への感謝の言葉 我が胸をゆさぶる いじめ、ナイフ、不登校・・・・ 心痛むニュース無き日なし 「こどもの社会だけに 市民道徳の徹底を求めても 社会の全体が道義的に荒廃していたのでは これは空文句になります・・・」の記事 あらためて心にとめた 太陽ふりそそぐ「こどもの日」 *赤旗日刊紙5月30日付で寸評される [頁頭へ]
惹かれる・・・ 1998年5月 真夏の青空の下 吹き出る汗をぬぐおうともせず 蟻の行列を 飽くことなく見入っているこども 息はずませ 無心にバスケットボールを追い 微笑みながら 吹き出る汗をぬぐっている人 不自由な体をいとわず 不自由な体をぐちらず もくもくと 額に汗して働いている人 貧しき人、卑しまず 弱き人と常にあり 昼夜をわかたず 骨身おしまぬ人 悲しい時に泣き うれしい時に喜び 許せぬことに怒り 楽しい時に笑顔見せる人 そんな素朴な人々・・・ [頁頭へ]
光り輝く汗 1998年5月 起床介助、力んだ汗 入浴介助、全身からふき出る汗 インシュリン注射、うっすらとした額の汗 魚を焼く、玉の汗 清掃、背中をつたう汗 風船バレーボール、共に楽しみ流れる汗 働く汗は水晶色 特別養護老人ホームには 光り輝く汗、あふれている [頁頭へ]
心あつめて 1998年5月1日 「特養ホームはお金がもうかるんでないの」 「福祉は全部税金でまかなっているんでないの」 「政府が他にもお金がかかると言えばやむをえんでないの」 素朴で率直な問いにじっくり耳をかたむけ 「薬代もいるようになり病院での支払いが 以前の二倍以上になった」 「ー度に協力できないけんど 3000円づづなら10回協力するわいね あんたらもがんばりまっしね」 国民いじめの政策を実感している 85才の年金生活のおばあちゃん そんな出会いに励まされ なによりも 日々のお年寄りとの笑顔がよりどころ やすらぎの里づくりは そんな笑顔をあふれさせること 仲間と語り励まし合いながら 今日も、仕事帰りに「こんばんわ」 募金目標 8500万円 高き山も、今、3合目 歩みをやめずに頂きめざす [頁頭へ]
メーデーに向う朝 1998年5月1日 「当直明けの帰り道 いっも気持ちが落ちこむの」 ポツリとつぶやくヘルパー 50人のお年寄り こ人だけでの夜の介護 それが特別養護老人ホームの仕事 コール鳴りやまず ヘルパーの足音とだえず ホームの夜は不夜城 心の糸が切れそうになる夜 日勤者への申し送りを終え ホッと出る安堵のため息 おいうちをかけるかのように 『保険あって介護なし』『労基法大改悪』 お年寄りを、我れらを これ以上どうしようというのか 今日は、第69回メーデー 我れらを励ますかのように ウグイス鳴き 雲ひとつない五月晴れの朝 [頁頭へ]
1998年 5月10日(しんぶん赤旗・日曜版) 「 川柳 」 馬 仙 坊 選 孫の手も いらなくなった 農繁期 石川県 山口 修治 [頁頭へ]
眠気をはらって 1998年4月 しんぶん赤旗 この16ページに 日本の、世界の どれだけ多くの汗する仲間の いのちの叫びが いのちの歓喜が 刻みこまれていることか しんぶん赤旗 この16ページを 創くるために 届けるために どれだけ多くの同志達が 昼夜をわかたず汗していることか 「よし!」と自らにハッパをかけ 眠気をはらって 今日も、床から飛び出す *赤旗日曜版5月17日付に掲載 [頁頭へ]
「米ぶし」を聞きながら 1998年4月 デイサービスセンターから流れてきた 「米という字を分析すればヨー 八十八度の手がかかる・・・」 ふと手を休め聞きほれた『米ぶし』 「お米一粒にも神様が二人おられる 粗末にしたらダメなんやぞ」 いまは亡き祖母によく言われ 透かしてみたが何も見えず 『???』と思った子供のころ 朝飯前に一仕事 夕飯後にも一仕事 夜には朝とは違う むくんだ祖母の顔がいつもあった 太古から 我らのいのちの素となり 孫子のように大事に育てられてきた米 「米を粗末にしてはならんぞ」 「米を守るんだぞ」 歌声とともに 先人の声が聞こえてくるようだ 今年もまた、田植えの季節がやってきた 米 ぶ し ミカド天風 補作詞 /米と言う字を 分析すればヨー 八十八人度(はちじゅうはちたび)の 手がかかる お米一粒 粗末にならぬ 米は我等の 親じやもの /米のなる木で作りし わらじー ふめば小判の あとがつく 金の成る木が ないとはうそよ 辛抱する木に 金が成る /今年豊年 祈りを こめてヨー 鳴らす太鼓に 気がはずむ 唄え踊れや 大黒恵比寿 めぐる盃 花が咲く /千代に八千代に 変らぬものはヨー 尾上 高砂 曽根の松 わしとあなたは 二葉の末松よ 色も変わらず 末長く [頁頭へ]
響け我れらのさけび 1998年4月 「保険あって介護なしは許さないぞ!」 「医療・年金連続改悪反対!」 「消費税を3%に戻せ!」 「労働法制改悪反対!」 お江戸の空に響きわたる 一万人のシュプレヒコール やむにやまれぬ ひくにひけぬ そんな想いで 全国津々浦々から 1998年4月17日 明治公園に集いし 国民総決起集会 その輪に我れも若き友とおり 地下鉄で 原宿で 公園で 我れらが持ちたしプラカード 人々の瞳が 記者のカメラが 釘づけ おもわず友とニッコリ 悪政を洗い流すかのように 春雨、降りやまず [頁頭へ]
ま だ、エ ク ボ 1998年4月 そこぬけの明るさ 不自由な体をささえる勝ち気さ そんな下北っ子に ぞっこんまいり 「何もしなくていい」 「そばにいてくれるだけでいい」 おもわず言ってしまって 二十数年 その明るさに その勝ち気さに 何度すくわれたことか おもわず言ってしまった言葉を 何度切り札に使われたことか くやしいけれど まだ、エクボ [頁頭へ]
先生 1998年4月8日 友となぐりあい 女の子とつきあい 「だれも努力してもなれない「天皇」 というのがあるのはおかしい」 と、あなたにくってかかり 何事にもかみつき 回りをハラハラさせていたあの頃 いつも作法室で、諄々とさとしてくれましたね いまも、あの部屋はハッキリ覚えています あなたと毎日頻を会わせていたのは 中学一年のたった一年間でしたね あなたは84才 ぼくは46才 不思議なもので あなたとの心の交流が 何故かいまもつづいている 「送ってもらったあの詩 あなたの心が伝わりとてもよかったわ」 受話器から聞こえる声 ひさしぶりに頭をなでてもらった気分 パーキンソン病で休も思うように動かず 心も元気がでないの」 沈んだ声 今度の帰省の時は必ず会いに行きます [頁頭へ]
卯月の一日 1998年4月12日 陽おだやかに照り 風そよぐ卯月の日 ウグイス鳴き 山桜 こぶし 咲き乱れ 我らを迎えてくれた大倉岳 ノドかわききしむ足腰 五臓六腑にしみわたる なんとうまき 冬の恵みの清水 時すぎるも忘れ 湯けむりの中で見とれた まるで『1枚の絵』のような 川面を舞う桜吹雪 心地よきつかれ 体を満たし 自然にひたった一日 [頁頭へ]
友 よ 1998年4月3日 「陶芸教室に今かよっているの」 「とても楽しいのよ」 電話から聞こえるひさしぶりに明るい君の声 闘病生活三年あまり はげます言葉も見つからず ただ君の話しに耳を傾けた見舞いの時 失われた光 心の奥の葛藤はわからないが すこしづつ明るくなっている君 「音声がでる信号機をつけてください」 対市交渉での凛とした君の声 そんな君の姿に ボクは、今 はげまされている [頁頭へ]
おいさん(祖父) 1998年4月3日 あなたが忌ったあの日から はや23年 あの日泣きじゃくったボクも 46才になりました 山小屋で星をながめたこと あけぴや野イチゴを取ったこと 荷車を押して歩いたこと 炭が深く染み込んでいる あなたの骨太な手を見て 大変な仕事だなあと思ったこと 今も、思い出があざやかによみがえります あなたが脳卒中で倒れた時 ボクができたたった一つのこと トイレの手すり 今は父と母が使っています そんなあなたを置いて 自分の夢をさがしに都会に出たこと 心の痛みとなっていました 今、ボクは めぐりぬぐって あなたと同じ時代を生きた人たちの 少しでも手助けになればと 特別養護老人ホームで働いています [頁頭へ]
こ ぼ れ る 笑 顔 1998・3・20 さわやかな朝 「いい夢みましたかいね」 Aさん、ニッコリ 「あんたの夢みたよ」 背をさすり 「体のぐあいはどうですかいね」 Bさん、ニッコリ 目であいず 湯けむりの中 Cさん、ニッコリ 「草津よいとこ・・・」 おもわず手拍子、Dさん ペロリとたいらげ Eさん、ニッコリ 「今日はご馳走やった」 洗濯たたみで井戸端会戦 Fさん、Gさん、Hさん ニッコリ、ニッコリ、ニッコリ ペンチホッケー Tさん、ニッコリ 「えい、くそ」 おもわず動く不自由な手 ホームのあちこちで こぽれる笑顔 なんともいえぬ その笑顔 ここは 金沢市上荒屋一丁目39番地 特別養護老人ホーム やすらぎホーム [頁頭へ]
1998年 3月21日(しんぶん赤旗) 「 川柳 」 石川重尾 選 にじむ汗 明日につなぐ チラシかな 石川県 山口 修治 [頁頭へ]
1998年 3月14日(しんぶん赤旗) 「読者の文芸」 「 詩 」 近藤十志夫 選 笑顔あふれて 石川県 山口修治 「だれか、わてのお金をぬすんだ」と 毎日のように言うAさん 風呂あがり 「お湯もしたたるいい女やね」と声かけた ニッコリ 「あんた、わてに惚れたらタメやぞ」 こだまのようにかえってきた 「まだ、御飯たべていない」と 毎日のように言うBさん 「ホッペ落ちそうなのつくるよ」と声かけた ニッコリ 「ありがとう」 やさしい声がかえってきた ポクらの心を豊かにしてくれる笑顔 心の疲れをふきとばしてくれる笑顔 笑顔 家族の方の訪れで ボランティアの方の声かけで ホームの職員のささえで 豊かにあふれる 家族だけではささえきれない介護 家族だけではささえきれない笑顔 笑顔あふれる介護 それは みんなが手をつなぎあい ささえあう介護 時代を築いてきた人たちの 『笑顔』をボクらは守る <評> 山□さんにとって、老人との会話か ら返ってくる笑顔が介護の仕事の何よりの 喜びなのだと思います。作品から<時代を 築いてきた>老人たちに対する尊敬の気持 ちと、それを支えていく社会が必要である ことを強く訴えかけられます。なお、作品を すっきりさせるために、三連目から三行削 らせていただきました。 [頁頭へ]
友よ、やすらかに眠れ 1998年1月 君の死を伝える 「私はだいじょうぶだから・・・」 受話器から聞こえる 彼女のふるえる声 鋼鉄の肉体と自負していた友よ 岸壁から落ちたくらいで なぜ忌った 通夜と葬儀 弔問客に気丈にふるまう彼女 君の想いが手にとるようにわかり なにも言葉をかけられず ただそばにいるだけだった 君の愛した子供たち 御両親 そして『津田の里』のお年寄り みんな涙して君をおくった 君の万分の一にもならないが 彼女や子供さんたちのためこ これから少しでもささえになろうと 君の遺影をみつつ想う 友よ、君の死を認ぬたくないが 友よ、とてもつらく悲しいが 友よ、やすらかに眠れ [頁頭へ]
共に笑顔で 1997年12月30日 野麦峠を越えてきた 8人の子供を育ててきた 満州の大地で苦労してきた しわの数ほど生きざまがある 長い旅路の夕暮れ時を共に笑顔で暮らしたい 御飯もそこそこに洗濯たたみをされるあなた 未熟なぼくの行為を やさしく気付かせてくださるあなた 満面の笑顔で心なごませてくださるあなた 「だちかん体になってしもた」 「はよ御迎えこんかいな」 そんなつぶやきになぐさめの言葉はないが 「この親がいなければと思ったことがある」 そんなつぶやきにはげましの言葉はないが 風船バレーボールでおもわず上がる 手がうれしい 不自由な手でつくったぐいのみを 飲み干す笑顔がうれしい 「親がこんなに明るくなってうれしい」の 一言がうれしい あなたの人生の重さを ささえきれないこともある 体はひとつで疲れてしまうこともある それでも今日もぼくは あなたが待ってる職場に向かう そんな暮らしを根こそぎうばう 『保険あって介護なし』 そんなことは許さない 平和憲法50年こんなことは許さない 人の命の尊さを多くの人に伝えたい 一人の力は小さいが想いを寄せてたくましく やすらぎの里をつくるため 共に汗を流したい笑顔で汗を流したい * 赤旗日刊誌1月17日付に掲載 [頁頭へ]
霜月の一日 1997年11月8日 自然にいだかれた霜月の一日 空はあくまで青く 雪はあくまで白く 大気はあくまで澄んで 我が心あらわれた一日 陽に輝く雪 胸清める大気 吸い込まれる真っ青な空 我が歌声も響き 我れもまた自然の一部と知る 我らを猿が迎え 若人と語り 友の笑顛と のど潤すビール 楽しきふれあいの一日 にじむ汗 高なる鼓動 きしむ体 それをいやしてくれた 360度の大パノラマ なごりつきない霜月の一日 再び来たし県境の峰 誰が名付けたか 三方岩岳 [頁頭へ]