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その時、事務室で仕事をしていた私は、ゆっくり地面が動いているような感じがして、手を止め顔を上げました。それでも動いているような感じだったので、側に立っていた山田順子先生に、「今、地震だよね!」と声をかけたのです。
でも、山田先生は「いいえ!私は何も感じないけど・・・。」と驚きの表情。それでも周りを見回すと。事務室の観葉植物の葉っぱが小刻みに揺れているのを確認し「やっぱり地震じゃない?」と慌ててキョロキョロ!でも周りの人はみんな平気な顔!よく見れば慌てているのは私だけ!騒いでいるのは私だけ!なんだか恥ずかしくなってきました。やっぱり地震じゃないのね。落ち着かなきゃ。とその時は懸命に気持ちを落ち着けました。
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そんな時、玄関の戸が開き、お迎えの保護者の方がやってきました。「ご苦労様です」私はいつものように立ち上がり、玄関に向かいました。しかし、立ち上がった瞬間、足下はフラフラ、目まいがして、手で下駄箱に捕まっていなければ、立っている事ができません。なぜ?地震ではないとしたら、私の体がおかしいの?頭の病気かもしれない。ここで倒れてしまったらどうしよう!なんて、保護者の方を前に顔で笑いながら、心の中はかなり動揺していました。
そして、次にお迎えにいらした方が、玄関を開けるなり「ひどい地震があったね!」と一言。それを聞いた私は「やっぱりあの揺れは地震だったのね。私は病気じゃないんだ。」と内心ほっとして、すぐに事務室のテレビをつけてみたのでした。テレビをつけた瞬間、ほっとした気持ちが一瞬のうちにとんでいき、びっくりしすぎてテレビの画面の前に立ちすくんでしまいました。こんな事があっていいのかと目を疑いました。たくさんの家や車が、まるで木の葉のように水に浮かんで流れていたのですから!映画のワンシーンを見ているようでした。CGじゃないのか?と誰もが思ったことでしょう。
それは、地震による津波で、町のすべてが流されてゆく瞬間でした。どのチャンネルを入れても悲惨な映像で、テレビの画面の端には小さく日本列島が映っていて、津波注意報が日本列島をおおっていました。そこでその日は、お迎えにいらした保護者の皆さんには「津波に気をつけてください」と伝え、子ども達をお返ししました。
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恐ろしい事に、この災害は地震と津波だけにとどまりませんでした。地震による大規模火災で町中が火の海になっている町もありました。
そして、一番恐れていた福島原子力発電所の崩壊。それによる放射能漏れがおこったのです。そしてその放射能という見えない悪魔に怯える日々が続き、今なお続いているのです。
石川県に住んでる私達には想像もつかない信じられない事が反対側の日本で起こってしまったのでした。

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そんな四月中旬の頃、羽咋白百合幼稚園に一人の転入園のお友達がやってきました。始めて幼稚園に登園してきた時から、とっても元気で明るい年中さんの女の子でした。
彼女は福島県南相馬市から転園してきました。三月十一日の大震災をまともにうけ、家は大丈夫だったものの、福島原子力発電所の三十キロ圏内という事で、避難区域となってしまったそうです。彼女が通っていた幼稚園も、再開のメドがつかず、お友達もばらばらになってしまっているという事をお聞きしました。
震災があった時、彼女のお父さんはお仕事のため単身赴任で石川県羽咋市に住んでいたそうです。このような状態なので、お父さんは単身赴任先である羽咋に家族を呼び寄せたのでした。
彼女はとってもくったくがなく、いつも笑顔でたちまちお友達ができ、幼稚園が大好きになっていきました。
時々「あのね、すっごい揺れたんだよ」と不安気にお話ししてくれたり、避難訓練の時に、大きなベルの音にびっくりして動揺が隠しきれなかったりした事もあり、やはり相当怖い体験をしたんだなあと胸が締め付けられる思いもしました。
彼女のお母さんも「この辺は安全ですね!娘もすぐに白百合幼稚園に慣れてくれて安心しました。」と嬉しそうに話してくれ、こちらもとても嬉しく感じました。

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