何でも、思い通りになるとはかぎりません。 二〇日の春の遠足。晴れになるようにと願っていたのですが・・・雨になってしまいました。数日前より、子どもたちが「てるてる坊主」を作り始めていました。晴れになってほしいという子どもたちの願いは痛いほどわかりましたが、天気予報はずっとその土曜日が雨。幼稚園では早々に、雨の日のプログラムを考えはじめましたが、どうも気分は盛り上がりません。ましてや子どもたちが、無邪気にてるてる坊主を作っているとなると、気分は落ち込んでしまいます。 結局、遠足は幼稚園の園舎でお家の方と一緒に過ごすことになりました。遠足の場所で行なうために準備をしたゲームやダンスもちゃんと加えましたが、遠足にはなかったのは、園長「かまどたつお」のワンマンショー。これは久しぶりと、少々張り切ったわたしは、ステージの入りを、一時間用ではじめてしまって・・・。結局予定の三〇分で「短く切り上げるように!」と声までかかってしまったのでした。まぁ、会場の皆様のご支援があって、一〇分延長。タイムキーパーの蘭子先生は、予定の時間をやりくりするのに、そのあと苦労することになってしまったのでした。 何でも思い通りになるとはかぎりません。 親子遠足の次の週に、私たちが企画していたのは、「いちご狩り遠足」でした。この「いちご狩り遠足」は子どもたちだけの園バス遠足で、A・Bぐみさんと、C・Dぐみさんと、2回に分けて行こうという企画です。何年も続いていた企画ですから、子どもたちも楽しみにしていました。 ところが、いつもいちご狩りをさせていただいていた方が、今年はいちごの生産をやめられたとのウワサ。「えっ!」と思ってわざわざ現地まで行って確かめてきましたら・・・本当にネギが植えてありました。そこで現在のところ、この時期のいちご狩り遠足は断念。時期を変えて行えるように模索中です。 何でも思い通りになるとはかぎりません。 駅前再開発と共に、小丸山公園から駅前、市役所前を通って川原町の交差点に至る道路工事が進んでいます。幼稚園の駐車場に隣接する道路工事も完了しました。 その工事に先立って七尾市から連絡がありました。「小丸山公園部分のフェンスを撤去し、小丸山公園部分と幼稚園駐車場横の土止め部分に植栽します」とのこと。駅前にあったツツジをこちらに移植することになったということでした。そして、「どれを持ってくるのか、何をどこに植えるのか、希望をある程度聞くことができます」とのことでした。さっそく、現地に行ってツツジを選んで、植えていただくことになったのです。 何でも思い通りになるとはかぎりませんが、思いを超えて、よりよいものに変化することもあるものです。植えた直後に満開になって、それはそれはきれいなものでした。 もうすぐ保育参観です。 この保育参観も、なかなか思い通りにならないものなのです。 この園舎の前の園舎の時代ですから、もうずいぶん前のお話しです。わたしもずいぶん若かったですし、蘭子先生もずいぶん若かった時代です。例年の通り、年少のCぐみさんの保育参観がありました。 その時のCぐみさんのクラスは、人なつっこく明るいクラスでした。入園当初のお母さんとのお別れの涙は、一通りあったものの、ほとんどの子がすぐにお部屋になれて、入園して二週間もするとみんなニコニコ元気に幼稚園にやってきてくれました。 けれどもそんな中、お母さんとのお別れがチョッピリ苦手で、みんなの中に入って行くのに少し時間がかかった女の子が一人いたのです。大泣きはしないのですが、目にいっぱい涙をためて、がんばって幼稚園にやってきたことが一目でわかる女の子でした。 「お母さんが大好きなの?」そう聞くと大きくうなずく女の子でした。「お父さんが大好きなの?」そう聞くと大きくうなずく女の子でした。そして、そんな風に聞かれただけで、目にいっぱい涙がたまってくる、そんな女の子でした。 お母さんに幼稚園まで送ってもらっても、お父さんに幼稚園に送ってもらっても、目にいっぱい涙がたまってしまう。全身で「家族が大好き!」って表現している女の子だったのです。 幼稚園では我慢をしている我慢強い女の子でしたし、お友達とのお遊びもけっこう楽しそうにはしていました。でもできることなら、お家にいたい、お母さんのそばにいたいというお気持ちはずっと持ち続けていたようです。 お母さんは毎日のように「幼稚園に行きたくない」と言われて、悩んで悩んで、何度か幼稚園に相談にいらっしゃいました。ところが若かったわたしも蘭子先生も、そんなときに適切にアドバイスをしてあげることができませんでした。「お母さんとお別れするときには、こどもは泣いてしまうのです」。学校で教わったとおりの、教科書通りの答を聞いて、お母さんもお父さんも、ずいぶん心を痛められたのではないかと思います。 そうして迎えた保育参観日。それは決定的な時だったのかもしれません。 大好きなお母さんが、幼稚園に来てくれる。その子にとっては、それは特別なことだったに違いありません。 「がんばっているところをお母さんに見せたい日」。いえいえそうではありません。「お母さんと一緒にいられる日」だったのでした。お母さんが保育参観の時間に合わせて幼稚園にやってきたら、お母さんにぴったりくっついて、離れなくなってしまったのです。 自由遊びの時間が終わり、ホールの準備が始まっても、お母さんのそばに少しでもいようとしていました。ホールの時間、なんとか自分のお場所に座ったものの、目線はずっとお母さんの方に向いていたのです。 そしてホールの時間の中ではとても印象的な事がありました。 ホールを一周スキップしてみましょうと言うことになりました。Cぐみさんは上手にできなくてもスキップらしく動けばいいのです。その中でその女の子はスキップは上手でした。お母さんのいる方に向かう時、彼女はとても誇らしげに嬉しそうな笑顔。ところがお母さんと離れる向きになると、泣き顔になったのです。お母さんのそばにいたい!その気持ちをこんなにも素直に表現されたのは初めてでした。 そしてその後、お部屋の時間が始まってしまいました。 いったんはお部屋に入ったはずのその女の子とお母さん。ところが、すぐに二人とも泣きながら、お部屋から出てきてしまったのです。 何でも思い通りになるとはかぎりません。 その女の子も、お母さんも困り果ててしまいました。担任も、言葉をかけることができません。わたしも、適切な言葉を見つけることができませんでした。 玄関にいたのは蘭子先生でした。二人ともあまりにも大泣きだったので、一言も声をかけることができなかったそうです。 そして二人で靴をはきかえ、お家に帰ってしまったのです。 少し時間をおいたら冷静になっておられるかもしれない。そう思って少し時間をおいて、私はお家に電話をかけました。けれどもお母さんはまだ泣いておられて、ゆっくり話しをすることができなかったのです。 翌日お家からお電話がありました。幼稚園をやめたいという事でした。 「この子は、集団生活に向きません。親子三人、ひっそりと暮らしていきます。」 その時、どんな言葉を自分が言うことができたのか、よく覚えてはいません。けれどなんとかお話しをし、ひきとめ、その次の日には何もなかったかのように、登園してきてもらうことができました。その後はお友達と一緒に幼稚園生活を続けました。 もう、十九年も前のことです。 今年も、幼稚園教諭の免許を取得するために、教育実習生が七尾幼稚園にやってきています。これからもやってきますが、北陸学院短期大学の学生と、金城短期大学の学生とに混じって、中京女子大のFさんも教育実習に来ています。このFさんこそ、あの時お母さんと二人で泣いていた女の子なのです。 小学校時代には、クリスマス会やお泊まり会など、行事の時などには幼稚園に顔を出してくれた七尾幼稚園の卒業生です。 彼女が保育者になりたいと言って、教育学部に行ったことを聞いたときには、どんなに嬉しかったことか。彼女なら、あの時の気持ちを、どんなときにも話してくれる。そう思ったのです。 先日の教育実習の打ち合わせで、久しぶりに会いました。そして、この時の話をしたのですが…、「えっ〜、ぜんぜん覚えてな〜い!」。屈託なく笑ったのです。 そして、彼女の許可をもらって、園だよりにこのお話を書くことにしました。 何でも思い通りになるとはかぎりません。けれども、思いを超えて、ステキなことが起こる。そんなこともあるのです。 |