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第13回 「昆布アメ、食べたことある!?」
時代とともに おやつ事情も変わった?
私は朝から晩まで、衆議院本会議場のとなりにある第13控え室に詰めている。国会開会中は朝8時から夕方5時まで。
いつ、いかなる事態が起きても国会運営で対処できるように待機している国会対策副委員長というのが私の役職だ。
政府提出の法案や国家予算を成立させるための最前線にいて与野党折衝を担当しており、「天ぷら屋(法案をあげるため)」 とか「雑巾がけ」 などと呼ばれている。
ある日このコクタイの部屋に、ある議員から「昆布ようかん」の差し入れが届けられ、その味の実体がよくわからないことから、ベテランの国会職員が味見をすることになった。
「なんか、昆布アメみたいな味だね。美味しいじゃないか、さっぱりした甘味で!!」 と感想を述べたところ、その場に居合わせた若い女性職員(20代)が、
「昆布アメって、何ですか!?」 とすっとんきょうな声をあげた。「え? 昆布アメ知らないの? あの昆布アメを!?」 と答える我らおじさん一同。
若い職員たち(20〜30代) はこぞって、「何、ソレ!?」 と素っ気ない。
その反応にびっくりした私たちおじさん軍団は、とたんにセピア色のノスタルジーに誘われて、幼き日に、歯にくっついて取れなくなるのもかまわずに、口いっぱいに昆布アメをほおばった懐かしき想い出に浸るのであった。
そんなノスタルジーに浸りながらも、やっぱり昆布アメのことを知らない若い世代のおやつ事情が気になって聞いてみた。
「ちっちゃいころ、どんなおやつ食べてた?」
「キャラメルとか、チョコとか…」
「まぁ、そりゃわかるけど。じゃあ、昆布アメとかぼんたんアメとか、かんゆとかは!?」
「ぼ、ぼんたんアメぇ? かんゆぅ? 一体それ何ですか?」
驚いた。ぼんたんアメもかんゆも知らないのだ。
現代おやつ事情は、そして味覚事情というのは、もしかして世代間ギャップを引き起こしてしまっているのではないだろうか (って、これって大ゲサかな?)。
ちなみに、ぼんたんアメはいまだに駅のキオスクで売っているし、かんゆは保育所や幼稚園や小学校低学年で配られているはず。
ところが、日常にコンビニエンスストアで買い求めることのできるおやつというのは、昔懐かしい昆布アメやぼんたんアメや、かんゆといった駄菓子類をどこかに追いやってしまい、今や化学調味料や人工甘味でこてこてに味付けされたスナック類がはばを利かせているようなのだ。
そんな話題で国会対策委員会のベテラン職員や、40代以上のおじさん国会議員たちが、それぞれのおやつに対する思い入れを語りはじめた。
子どもの成長に欠かせないおやつを含めた食の想い出
「俺は、さつまいもを干して、白い粉が吹き出したあのおやつが好きだったなぁ」
「俺は、小麦粉をふくらまして型に入れて、サッと揚げたドーナッツ。おふくろが菜箸でそれを油から素見く取り出して、サトウをまぶしてアツアツのうちに食べるのが好きだたなぁ」
「俺はバナナ。なんせ、甘い果物といえばバナナしかなかったもんね」
「俺はコロ柿。秋に庭で収穫した柿を、皮むいて軒先に吊るして干しておくんだよな――。正月の鏡餅にお供えして、松の内が開けてから食べさせてもらえるんだけど、あの甘さは格別だったよな――」
「俺はかきモチ。ひらべったくしたおもちを、火にくべて焼いたり、カラッと油で揚げたりして食べるんだよナ――。あの歯ごたえがたまんなかったぜ」
「俺は、裏山で採って食べたあけびとかいちじく。近所のオヤジに見つからないように、ドキドキしながら盗み食いしたよナ――。あけびの種をはき出すのが楽しくてさ」
「でも、いちじくの木の汁でくちびるがかぶれたりしたよな!!」
・・・・
延々と続くオヤジたちのおやつ自慢に、若い職員はア然と聞き入るしかなかった。
たかがおやつと言うなかれ。
コンビニで色とりどりのスナックを買い食いする子どもたちと、野山をかけまわって自然のなかで調達したり、親の手づくりのおやつをうれしそうにいただく子どもたちの姿をそれぞれ思い浮かべてみれば、その想い出や体験が子どもの成長に与える影響の大きな違いはだれもが理解できるはずだ。
食育基本法が国会で継続審議となっていたり、また学校栄養職員が栄養教諭となって教壇に立てるようになった。今や、知育、徳育、体育、そして食育の時代なのである。
かつては、子どもを取り巻く自然環境や、日本の伝統や、家族(母親)の愛情ある手料理が、子どもたちの食に対する意識を向上させ、体力も体格も精神力をも支えてきた。
現代では、社会がこぞって食育を推進しなければならない時代になったのである。
昆布アメの味が、いつまでも子どもたちの想い出の味であるようにと、願うばかりである。
国会の本会議場のとなりに毎日座りながら、国家の行く末は財政や外交ばかりではなく、食育も大切なんだなァ、と感じながら、今日もおやつに手を伸ばすのである。