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馳 浩 衆議院議員 永田町通信 111
 

『西村やすとし?』

 野党自民党のリーダー。
 国民は2大政党による政権交代可能なシステムを求めている。
 そのシンボルが8月30日の投票結果。
 長年、政権与党の座布団にあぐらをかいていたと攻撃をされ、嫌悪感すら覚えられた自民党は大敗。 いや、惨敗。 そして政権交代。
 あまりにもショックの大きい中で、党の建て直しは急務。 それが総裁選挙。
 民主党政権に期待が集中するがゆえに、だからこそ、いつでも交代可能な政党として、自民党がもう一度立ち上がらなければならない。

 私は、同郷の大先輩、森喜朗さんに相談をもちかけた。
 「先輩、今回の総選挙、どうお考えですか?」
 「……君こそ、どう考えているんだ!」
 「私は、西村やすとし君を立候補させて、闘いたいと思っています。」
 「えっ……(絶句)。」

 「私も小選挙区で勝っていれば手をあげようと決意していました。 でも、比例復活当選ではその資格はありません。」
 「で、どうして西村なんだ?」
 「直感です。」
 「ほぅ……。 俺も発想の転換が必要だと思うな。 西村か……。 いいじゃないか。」
 「いっしょに応援しませんか?」
 「いや、一人でやってみろ。 もう派閥でどうのこうのする時代じゃない。 これからは自民党も元気な若手が中心となって行く時代だ!」
 「えっ……(今度は私が絶句)……わかりました。 先入観をもたずにやってみます。」
 これが西村やすとし候補かつぎ出しのスタートだった。

 森先生も私も西村さんも同じ派閥(町村派)。
 西村さんの優秀さは衆目の一致するところだが、いかんせん、まだ3回生の若手。
 それに、党内的にももちろん、世間的にも全く無名。
 「西村? 誰それ?」である。
 非常識である、今までの自民党ならば。
 でも、今はちがう。

 西村さんは、市営住宅で育ったサラリーマンの息子。 世襲でもない。 落選経験もある。
 選挙区は、兵庫県でも淡路島をかかえる過疎地域。 地方の苦労もよくわかっている。
 灘高〜東大〜旧通産省というエリートコースを歩んでいるが、奨学金を受けて苦学をして自分の道を自分で切り開いてきたバイタリティがある。
 海洋基本法をはじめ、5本の議員立法をとりまとめてきた。
 国会内では、ミスター事務局長と呼ばれるほどのフットワークの良さもある。
 私はそういう西村さんを、同じ派閥の仲間としてじっと見てきた。
 時には可愛い後輩として指導もしてきた。
 3人の娘さんを可愛がる良きパパでもある。
 私は、こういう男こそ、危機に直面した自民党の明るいリーダーだと直感したのだ。

 そう決断した日から1週間、私は携帯電話をかけ続けた。
 衆議院議員(自民党)5回生以下の全員に電話をかけ続けた。
 西村さんのすいせん人となってもらうために。
 「総選挙の相談です。 若い西村くんを応援しています。 いっしょにやりませんか?」
 あまりにも携帯電話を使いすぎて、途中でこわれてしまったほど。

 途中、いろんなことがあった。
 「西村? ダメだよ。 若すぎる!」
 「西村? これからの人だよね!」
 「西村? 町村派でしょ? 森さんや安倍さんの影がチラつくよね!」
 「西村? ムリでしょ!」
  ……いろんな妨害も、意外な応援団もあったりしたが、9月18日、総裁選立候補〆切りの早朝、なんと、20人のすいせん人が出そろった。
 出馬できるなんて、かつての自民党ならばあり得ない出来事。 私自身、ビックリ仰天。

 10時からの立候補受付終了後、10時半からは党本部8階大ホールにて3名の立候補者による立会演説会。
 事務方から声をかけられた。
 「馳サン。 応援弁士は誰が務めますか?」
 「エ? そんなのあるの?」
 「そうですよ。 候補者の15分の演説前に、応援弁士が5分間しゃべるんですが……」
 「……じゃ、私がやります!!」

 わずか5分前の手続きだったが、ここまで来たら腹をくくるしかない。
 私は得意の俳句ならぬ、川柳を3本即席で詠んで解説を加えるという、型破りな応援演説をした。
 「非常ベル これでいいのか 自民党」
 「バラまいて それでいいのか 民主党」
 「自民党 若い力で 道開く」
 野党自民党のリーダーに名乗りを上げたのは、西村やすとし、河野太郎、谷垣禎一。
 さて、どうなるか?!

 (この項 続く)


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