『東京学芸大学』 「部会長、お願いがあるんですが……」
「何!? 他ならぬ児玉さん(文部科学省の国会対策連絡室長)のお願いなら、何んでも聞いちゃうよ!」
と、安請けあいしちゃう腰の軽いのが私のイイ所?ワルい所?「実は、元上司の牧山さんが東京学芸大学の事務総長をしておりまして、ぜひ、馳部会長に大学を視察してほしいと言うんですよ。 いかがでしょうか?」
牧山さん?
おぉ。 久しぶりに聞くなつかしい名前だ。
児玉さんの上司として、文部科学省と国会をつなぐ連絡室長のスペシャリストだった牧山さん。 人事異動でどこに行ったかと思えば、国立大学法人の事務総長に天下り(!?)していたわけね。「国会運営や陳情処理で大変お世話になった牧山さんのお願いとあらば、喜んでうかがいます。 でも、なんで今頃視察なんだろ?」
この「何で今頃?」という疑念をもちながらも、3月中旬、卒業式と入学式のはざまを縫って小金井市にあるキャンパスに車を走らせた。 武蔵野団地の閑静な住宅街のド真ん中にキャンパスはあった。
なつこい笑顔で出迎えて下さった牧山さんに案内され、鷲山学長はじめ理事各位との懇談の席に着いた。
文部科学省からは高等教育局の久保審議官という高級官僚も同席。
(なんだよ、またハセ部会長がよけいなことをしゃべるんじゃないかと本省の監視つきかよ。 相変わらず抜け目のない役所だな……)
と、ブツブツつぶやきながらも、意見交換スタート。鷲山学長の説明を聞いてものの数分のうちに、牧山さんの目論見は解明できた。
予算だ!!
説明資料の中に、「運営費交付金 毎年マイナス1%」 「効率化係数」 「総人件費抑制」 とある。
理工学部や医学系の大学ならば競争的資金という項目で、別建ての予算ワクがあり、なんとか教育研究費を確保できるのであるが、人文系の大学は、おいそれと研究費を獲得できるわけではない。
とりわけ、教育養成に特化した東京学芸大学は、外部資金獲得も至難のワザ。
加えて、附属学校(幼・小・中・高・特別支援教育)をかかえており、その人件費は経常経費の8割にも及び、かんたんに人減らしもできず、大変困っているというのだ。
なるほど、おっしゃる通り。人文系の大学や教育養成大学の運営費交付金の確保について、特段の工夫は必要だろう。
現場の声をうかがい、それを政策や予算に適切に反映させるのは国会議員のつとめ。
しかし、一つ気になる発言があったので、私はあえて学長はじめ理事の皆さんに突っ込みを入れた。
それは、
「優秀な教育って何んですか?」だ。 返って来た答えは想定通り。
「優秀な専門性と、優秀な教職適格性です」と。 そこでさらに突っ込む。
「優秀な教育を養成して現場に就職させたからと言って、そこで終わりではありません。 現場は千差万別多種多様。 そこで、教育評価のための学術的な研究や、手法の開発が必要なのではありませんか? 優秀な教育養成を自負する東京学芸大学だからこそ、現場の求める優秀な教員像に応えるためにも、不断の教育評価手法を研究開発すべきじゃないんですか?」
と、問い詰めると、久保審議官が口を挟む。「それは初等中等教育局の……教職員課……」
と、言いかけたところで、さえぎる。
「それは役所のタテ割りでしょ。 教員の養成〜採用〜研修〜免許更新。 それを貫く評価は、哲学が必要なんじゃないの。 評価なくして人事異動もないでしょ。 それに、人材確保法の見直しも教員の処遇改善も学校経営も、評価なくしてあり得ないじゃないですか。」
と、たたみかけると、あらま、黙っちゃった。「国立大学法人の運営費交付金は税金です。 教員養成系の専門性の高い東京学芸大学だからこそ、教員評価指標作りとか、専門的な学術研究があっても良いのではないでしょうか。 優秀な教員養成と共に、評価あってこその優秀な教員のはずですから。」
(そんなことを申しあげながらも、私は政治家の評価は選挙なんだよな、と自らの気持ちをひきしめた。)
かつては勤務評定反対闘争が、教職員組合の運動方針だったこともある。
現代は違う。 養成があり、適切な採用があり、正当な評価があり、不断の研修があり、免許更新制があり、それでこそ 「優秀な教員」として、学校現場が社会の信頼を得続けることができるのではなかろうか!!