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永田町通信 6
 

『悪名は無名に勝る』

 『ハセー!!おまえも冷たいヤツだなぁ。恩師が壇上で民主党の若い衆に詰め寄られて窮地に陥っているというのにちーっとも助けに来んかったやないか。いつ助けに来て、野党の騒いでいるヤツラをバァーッと蹴散らしてくれるかと待っていたのに、おまえ、両腕組んで高見の見物決め込んでたやないか。あそこで大立ち回りしてくれたら、うるわしい師弟愛や言うて美談になったのにぃ』

 『あんなもん、誰が助けに行きますか!それこそレスラー上がりの暴れん坊とののしられるだけやないですか。先生が野党にでもとっつかまってふんずけられたのならまだしも、こちらこそあの後マスコミからコメント求められてエエ迷惑でしたよ!』

 ここで言う恩師とは、保守党のコップ水まき男、松浪健四郎。そして弟子とはこの私。

 加藤クーデターが腰砕けに終わった本会議場で、テレビを通じて全国に恥をさらしてくれた松浪先生は、私にとって25年来の恩師。

 私は、消化試合気味の不信任案を取り扱う本会議で、松浪先生がずいぶんイレ込み気味に演説しているのを見ながら、(何かモメ事起こさなきゃいいがなぁ)と心配していたのだ。それがモノの見事に的中してしまった。なぜ私が心配していたかというと、松浪先生の座右の銘が「悪名は無名に勝る」であり、その気性の荒さとハッタリの強さと計算高さは筋金入りであることを知り抜いているからだ。そんな恩師に25年も教えをいただいてきたのが私である。

 私の人生の節目節目で松浪先生は、的確なアドバイスを送ってくれた。

 大学4年生の時、オリンピックを目指していた私に『ハセ!90キロ級へと一階級上げろ!今のままではライバルが多すぎる。90キロ級ならイケル!』と進言してくださり、事実その一年後に私は日本代表最終選考会で周囲の予想をくつがえして優勝。松浪先生はニンマリしていたものである。

 また、星稜高校の国語の先生からプロレスラーに転身する時も私の決断を後押ししてくれた。『ハセ、星稜の国語の先生のかわりはいっぱいいる。しかし、プロレスラーも青少年にとっては教師のようなものであり、ましてや肉体言語で全世界のプロレスファンを湧かすことのできるのは、おまえしかいない。プロとなり、世界をかけまわり、見聞を広めて本でも書いて異色の存在となれ。元古典教師のプロレスラーだなんて、世界広しと言えど馳浩ぐらいだ。異色の経歴を持ち、世の中に名を馳せる男となれば、なんだってできる。

 ハセ!まずは名前を売ることだ。そのためには特異な存在価値を持つことだ。ただひたすら汗を流していたって、発想が貧困で、柔軟な考えがなくては、その他大勢の一人で終わる。知恵を働かせる。悪名であっても世の中に名を残せ。そこからいかにして社会に貢献するかがホンマの努力というもんだ。汗はムダに流すな。ハセ、プロレスラーとなってから大学の先生を目指してもいいじゃないか!』

 石橋を叩いてさえもなかなか渡ろうとせずに、ヒトの足をひっぱることは大好きな北陸人を多く見てきた私には、毒はあるけれども発想豊かで努力家の松浪先生の一言一言は今でも(いや、これからも)パイプルなのである。あの時も、松浪先生は意外に冷静で、水はまいたけれども誰にもかけていないし、コップを投げたら除名になることを計算してパフォーマンスをくり広げたのだ。その本音の部分には、あの臨時国会で一人で四本も議員立法の提出者となり、国会答弁をこなし、委員会でも連日保守党を代表して質問に立ち、誰よりも働いたんだ、との自負があったのである。

 それを、少年法改正案では党内が分裂してしまった民主党が、内閣不信任案を提出し、加藤紘一というふんどしを借りてすもうをとっているのががまんならなかった、というのである。それよりも、コップの水をまいた後に若手をせん動した菅直人の方が、よっぽどみっともない、と言いたいのだ。

 私はマスコミには『松浪先生は品がなさすぎる。けしからん!言語道断!みっともない』とコメントしているが、本音はもう一つある。『そんな松浪先生が大好きだ。本気で怒り、誰よりも汗を流し、泥くさくても恥をかいても泰然自若としている松浪先生は、生涯の恩師です。本音言わなきゃ国会議員じゃナイ!!』


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