七尾の混声合唱(戦後編)

 聞くところによりますと、七尾での混声の響きは古く、労音合唱団から始まったと語りぐさになっているようですが、それよりも前、昭和30年頃、松岡清先生(七尾市音楽文化協会会長、当時東部中学校教諭)が袖ヶ江青年団合唱サークルを指導されたのが始まりで、昭和33年には石川県の代表として全国大会にも出場されたそうです。昭和35年にはそれが「七尾労音合唱団」となり奥井勝先生 (当時中学教諭)が指導されていましたが、その後、世の移り変わりにつれて、労音自体が衰退したので改名を余儀なくされ「あすなろ合唱団」として活動しはじめたそうです。その直後、七尾市中央公民館(当時)より音楽教育活動の一環として協力してほしいとの声が掛り公民館が募集した団員と併せて、「七尾市民合唱団」が昭和41年9月に生まれました。市民合唱団の活動は13年間、定期演奏会を7回もするまでに成長したのも束の間、女性が次々と結婚で去ったりして、バランスが崩れ活動が困難になり休眠状態となっていきました。

 昭和59年から七尾市音楽文化協会が市民の「第九」合唱を始めたところ、参加者の間で合唱団復活の声が上がりました。その後「第九」仲間で何度かミニコンサートを開く機会はありましたが、正式な合唱団発足までには至りませんでした。

 しかし、昨年の公演後に合唱団結成の機運が盛り上がり、約20人が集まりました。練習場所も当時完成したばかりのワークパル七尾に決まり、復活の条件が整いました。4月に正式発足した俊友会合唱団は、団員も男性15人、女性38人に増えました。かっての七尾市民合唱団在籍者は男性7人、女性2人だけで、世代交代した「新生」合唱団となりました。

 「俊友会合唱団」の名前は、アマチュア合唱団日本一として団員があこがれている「晋友会(しんゆうかい)」(東京)と、合唱団指導者の大森俊彦(当時七尾市立小丸山小学校教諭、現七尾市立和倉小学校教頭)の名前にちなんで付けられました。また、七尾へ2度来ていただいている世界のバリトン歌手木村俊光さんのお名前もいただいております。

     俊友会合唱団ライブラリアン  高橋 一彦     滝川 清     平野 忠男
トップページへ