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  • (99年 5月 21日付「民医連新聞」)


    相談室日誌 「連載 35」


    「もう拾い食いをしなくてもいい」

    可知 よし江(長崎・大浦診療所)

    (九八年一〇月五日)
     転んで手をついて腫れている。左目も見え ない。原爆の健康管理手当て(月三万四〇〇 〇円)の切り替えで来た。五カ月間仕事がな く、ビルの軒下で眠り、消費期限切れのコン ビ二の食物を食べている。
     田上さん(五九歳・仮名)は左手を骨折、 血圧186/118、医師は「減塩」の指示を出すが、 彼に食事を選ぶ余地はない。妻とは離婚、唯 一の身内の弟も歓迎してくれない。
    一時的に救護所「みどり荘」に入り、生活 保護を受けアパートを探すことをすすめた。 六畳に四人の生活だが、職員はとびきり暖か い。
     年が明け、田上さんは部屋を償りた。白内 障の手術も終えたいま「みどり荘」のボラン ティア。穏やかな表情で握手してくれる田上 さんは自信に満ちていた。

    (九九年一月一四日)
     「所持金三〇〇円、保険証もない。廃品回 収を五〇年間してきたが、長崎での二〇年の ほとんどをリヤカーの中や路上で暮らした。 四、五年前から廃品回収は金にならず、埋め 立て地の廃車に住んでいる。胸の具合が悪い、 大浦診療所で何とかしてくれると聞いたので 来た」山口さん(七五歳・仮名)の症状は心 配するほどではなかったが、雪のちらつく一 月に暖をとるものは重ね着と拾い集めた毛布 だけだった。
     即日、生活保護の申請に行き「大分では認 めたかもしれないが長崎では廃車は住所と認 めない」とつっばねられた。「老人ホームに 入る気はあるか? 救護所は?」と問われた 山口さんの意志ははっきりしていた「集団生 活はできん」。
     「生活と健康を守る会」の力も償り再度、 廃車を住所にして生活保護を受理させた。大 分の経験は生きた!部屋も見つかり二〇年 ぶりに人間らしい生活をすることになった山 口さんは「世話になった。もう拾い食いをし なくてもいい、本当にうれしい」と言った。
     ホームレスの増加に対し「生活の窮迫状況 を確認したら、調査結果を待たずに保護を」 と今年三月、厚生省は全国係長会議で指示し た。全国のたたかいを教訓に「人権」を見据 え初心を忘れず寄りそっていきたい。




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