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  憲法記念日の新聞です 「北陸中日新聞」
 

憲法記念日に各新聞社は社説などでそれぞれの考えを述べています。



「北陸中日新聞」1998年5月3日(日曜日) 「社説」

  主役はアナタです
憲法記念日に考える
 

 まだかすかではありますが、動きは始まっています。そ の動きを確実にして、日本を本当の国民主権国家にできる かどうか、私たち一人ひとりの自覚にかかっています。  

 

 大げさな言い方をしますと、いま開 かれている第百四十二通常国会は、一 つの転機と言えるかもしれません。既 に成立した特定非営利活動促進法(N PO法)と、近く成立する被災者生活 再建支援法のためです。
 法律案は、各省庁の官僚が考えてい る政策を実施するために必要な条文を 練り上げ、政府案として国会に出すの が普通です。まれに議員立法というの がありますが、それとても「政府が提 案するのはそぐわないから」という消 極的理由の場合が多く、陰では役人が あれこれ世話を焼いています。
 NPO法と被災者支援法はこれとは 違います。市民の発想から生まれまし た。市民運動の中でその必要性を実感 した人たちが、さまざまな活動を積み 重ね、制定にこぎ着けました。草の根 民主主義の実現と言えましょう。  

『国民主権の実質化』として  

 数年前から各地の自治体で行われる ようになった住民投票も、同じ流れの 中に位置付けられます。代議制に飽き 足りない人たちによる「国民主権実質 化」の胎動が始まっているのです。
「日本国民は、正当に選挙された国 会における代表者を通じて行動し、 (中略)ここに主権が国民に存するこ とを宣言し、この憲法を確定する。そ もそも国政は、国民の厳粛な信託によ るものであって、その権威は国民に由 来し、その権力は国民の代表者がこれ を行使し、その福利は国民がこれを享 受する。(後略)」
 これは日本国憲法前文の一節です。 ここに示されているのは、政治家や官僚 は国民の手足であり、法律は国民の 使う道具である、という趣旨です。そ もそも法治主義という言葉は、専制君 主が好き勝手をしないよう、君主ので きる事項を法律で限定したことから生 まれたのです。
 しかし、市民革命を経験していない 日本では、依然として政府や公務員が ”御上(おかみ)”として意識され、 法律は”御上”の命令のように受け取 られがちです。国民意識に限らず、実 態も同じでした。
 政治家は選挙の時期こそ低姿勢です が、選挙が終わった途端にふんぞり返 り、この国の主人のように振る舞いま す。裏に回れば、その政治家に使われ る立場の官僚たちが、逆に政治家を動 かし、自らの意思を実現するという二 重橋造で政治、行政が動いています。  

『観客民主主義』からの脱却  

 憲法施行直後の一九四七年六月、雑 誌「改造」の座談会で、憲法研究者の 故鈴木安蔵氏が「日本では議員自身の 素質が比較的低く、責任の自覚もな い。新憲法は国会中心主義というけれ ど、官僚が今までとあまり違わない勢 力をふるうのではないか」と発言して います。
 以来、五十余年間の日本社会の動き をみれば、鈴木氏の懸念が当たったこ とが分かります。国家の運営は官僚主 導でした。揚げ句の果てに、大蔵省の 大量処分に象徴されるように、おごっ た官僚たちは全体の奉仕者という立揚 を忘れ、政治も行き詰まりました。
 主権者たる国民が、この事態にまっ たく責任がないとは言えません。政治 や行政をきちんとチェックし、変えよ うと積極的に動いてきたでしょうか。 最近の選挙の投票率をみる限りは、胸 を張れたものではありません。
 前回の投票率は衆院選が比例代表、 小選挙区とも五九%、参院選は比例代 表、選挙区とも四四%にすぎません。 衆院選では半分近くが、参院選では半 分以上が意思表示しなかったのです。
 行政に対しても、大部分の人は、自 分は第三者であるかのように官僚のや り方を眺め、ときに不平を言うぐらい が関の山だったのではありませんか。 まるで、試合展開をいらいらしながら 見守るサッカーのサポーターのようで す。これでは観客民主主義です。
 主権者には、サポ ーターと違って、プ レーヤーを交代さ せ、作戦を指示する 権利があります。米 国の有権者は議員あ てに頻繁に手紙を重きます。それも日 本のように請願、陳情などといった 「お願い」ではなく、対等な立場で 堂々と注文をつけるのです。
 私たちも、憲法で認められた最も大 事な国民の権利である”主権”を存分 に行使しなければなりません。
「権利の上に眠る者は救われない」 と書いたのはドイツの法哲学者、イェ ーリングです。森永ミルク中毒事件の 被害者側弁護団長を務め、いまは大量 の産業廃棄物を投棄されて苦しむ香川 県・豊島の住民のために著聞している 中坊公平弁護士(住宅金融債権管理機 構社長)は「それぞれが現場で闘う姿 勢なくして社会はよくならない」と言 っています。
 時代は変わりつつあります。住民投 票などに表れた「国民主権の実質化」 を胎動で終わらせず、本当に実現する ために役立ちそうなのが、国会に提案 されている情報公開法です。不十分な ところもありますが、うまく使えば、 官僚が国民を支配するための道具だっ た行政情報が、国民の手に返ってき て、逆に国民が官僚をコントロールす る強力な武器になるでしょう。
 迫り来る規制緩和社会は、行政がむ やみに口出ししない自由競争の社会で す。裏返せば、”御上”に頼らず私た ち自身でルールを決めていける社会で す。まさに国民主権社会です。主役は アナタなのです。  

問われる主権者としての自立  

 故宮沢俊義東大教授らは四十年前、 子供向け解説書で初めに紹介した憲法 前文を「私たちは、私たち自身が本当 に幸福になるような政治が行われるよ うにするにはどうしたらよいか、それ を決める力は私たち国民にあることを 固く信じます」と言い換えました。
 この国をどう動かすか。強者の自由 だけがまかり通る社会にするか、強者 と弱者が共存できる社会にするか。主 権者としての自立が問われます。この 夏の参院選は一つの試金石です。
 

 



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