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1998/03/22 マラソンデビューしました
私の人生が、大きく躍進しました。

 1998年3月22日(日)我が人生において、はじめてのマラソン (5km走ってマラソンだろうか?=しかし、私はマラソンと言いたい。) を走った。何とか、完走することができた。

 前回「市民マラソン」で参加申し込みをしながら、けがで断念して以来、なんとしても 「マラソン」デビューを果たしたかった私にとって感無量である。また、走り終わってしみじみと考えることは、 まさに「私の人生が大きく躍進した」という思いである。

 「金沢ロードレース」。

 私の参加した「第5部 一般男子C(18歳以上・陸運未登記未登録者)」は参加申し込みが125名であった。 しかし、当日欠席や途中棄権などで一割ぐらいは、完走の[Tシャツ」を手にできなかったようである。
 このレースは、10kmと5kmの二つのコースを、一般や高校・中学、男女などそれぞれを部として、 10に分け記録を比べるといった方法らしい。それぞれの部の6位までを入賞として表彰している。
 走るのはあくまで10kmと5kmの二つなので、それぞれの部はどちらかの距離を同時に走ることになる。
 5kmを走ったのは。私のエントリーした「第5部=125名」、「第6部一般女子C(18歳以上・陸運未登記未登録者)=60名」、 「第8部高校女子(同年齢可)=32名」「第9部中学男子=298名」「第10部中学女子=145名」なので、 エントリー総数は 660名であった。エントリー総数が1424名となっているので、約半数である。

ウオーミングアップ

 7時30分から始まった受付はすでにたくさんの人が集まり、受付開始から10分ぐらい過ぎて到着した私は、人混みの中で受付となった。
 陸上競技場の建物の中は、学生たちが学校ごとに場所を陣取り、トラックのまわりに一般参加者が散らばっている。
 私も、トラックのまわりの一人として場所を確保、靴ひもに「IDチップ」を取り付け、ランニングシャツにゼッケンを取り付ける。
 学生たちはすごい、早々と「アップ」に入りグランドをまわっている。中にはダッシュで駆け抜ける者もいる。私も8時過ぎに一度ゆるゆると一回りしてみた。さすが400mゆっくり回るだけでも汗ばんでくる。
 そうこうしているうちに、知り合いの者が前を通り過ぎる、声をかけて話をする。今着いたところだという。
 さあ、8時半だ「開会式」だ。グランドにでて列に並ぶが、おじさんたちが200人ぐらいしか出てこない。「要項」には、
(4)開会式には必ず参加してください。コース等の諸注意事項について説明があります。
とあったのに。ま、いっか。開会式が終わると慌ただしい。走る前にトイレに行かなければ。・・・・
 5kmコースは 9時スタートである。10分ぐらい前からパラパラとスタート地点に人が集まり出す。
 5分前だ。知り合いの者は 10kmコースだそうなので 9時5分スタートだ、私は先にスタートへと向かう。すでに前の方へ出ようと、位置をめぐりスタート集団の中でざわめきがおきている。人混みに流されているうちに「一分前」「30秒前」とかけ声がかかる。

スタート

 「速い!」まわりの集団はものすごい勢いで走り出していく、まずはトラック一周だ。
 その後、陸上競技場を出て産業展示館「4号館?」の方から伏見川堤防沿いの道を市内の方に向かう、が、すぐに左へ曲がり伏見川を渡り、さらにそのまま「犀川」にかかる「示野中橋」も渡り、また左に曲がり犀川沿いに下り陸上競技場まで帰る。
 トラックを回る集団は「ダンゴ状態」だ、人がまばらになった瞬間にはスピードを落としてやり過ごすが、ダンゴのままで仕方なくつられて走る。「速い!」。
 陸上競技場を出ると、やっと人混みが ほぐれる。(1.022バイト) 先頭集団はもう見えない。しかし私の後ろには、まだ半分は残っているだろう。まわりは女子中学生?高校生?らしき者たちが走っている。「4号館?」が見えてくる橋は上りだ。もう苦しい。

ペースを落とさなければ

 そもそも「完走」が最大目標である。
 はじめて走る、レースである。「完走」の最大の保障は自己走行ペースで走ることである。苦しい上りは歩くように走るである。橋の真ん中あたりが高くなってる。すでに中学生らしき集団が堤防近くまで行っている。
橋を下ったあたりで、ようやく状況を見渡せるようになってきた。ここら辺は公園のようになっていてまわりに木立があり車道を走る。ふと足下に「1km」のマークが目に入る。反射的に時計を見る 4:30秒台「え!速い」。しかしまわりは皆このペースで走っている、大丈夫だろうか、ペースを落とそうか。迷いながら走る。堤防の横「北陸自動車道」を潜るガードのところで歩いている若者がいる。苦しそうだ、体調を崩しているのだろうか。

沿道の応援がうれしい

 陸上競技場のまわりは付き添いできた人がいっぱいで、歓声に送られてスタートしたのだが、伏見川を渡ったあたりで、今度は地元の人たちの「暖かい歓声」を受けて走ることになった。
 ありがたい。
 最初の「速い」ペースでだいぶ苦しい思いがつきまとうが、沿道に人がいると顔もほころんでくる。確か次の「示野中橋」の手前で中間点だと思っていると足下に「2.5km中間点」の表示が見えた。「要項」では、この中間点で(20分)を過ぎると競技中止とある。中止を宣告されるとゼッケンをはずし歩道を歩くことになる。
 ここらあたりでは、追い越す人もまばらである。もちろん私に追い越される人はいない。

苦しいレース展開

 中間点を過ぎると「かなり」苦しいレース展開となってきた。まわり(といっても5〜6人しか見えない)の者たちも苦しそうだ。予定ではできるだけペースを落として、笑顔でゴールの予定だったのだが3km、を越えたあたりから顔が引きつっていくのがわかる。「犀川」ぞいに下りやっと「陸上競技場」側に渡る「橋」(雪吊り橋?ゴールデンブリッジ?)まできた。あと、このままそこを左に曲がり、陸上競技場の横を通って、正面スタンドの左横「第一ゲート」から入り、正面スタンド前を通りゴールだ。

「ピー」とゴール音が

 競技場「第一ゲート」から入ると正面に電光掲示板がある、スタンド前を通るランナーを、前から映しているようである。ゴール直前に自分の姿が映る。その後ろにもう一つゴールがある?。足下に丸い印が三つ並んでいて横の係りの人がどれかを踏めという。左の丸の上に乗ると「ピー」と音がした。「IDチップ」のゴール?

「Tシャツ」がもらえました。

 ゴールの後「IDチップ」を返すと「Tシャツ」がもらえた。
 ゴール時点では思ったより疲れがひどかった。(1.020バイト) 腕時計のストップウオッチを押すのを忘れた。

 10kmのゴール前で声援

 しばし、ストレッチの後、第一ゲート前で 10kmコースの人たちの声援へと向かった。私より5分も後にスタートして、倍の 10kmも走って、・・・。第一ゲート前に着くと同時に、トップの人が入ってきた。「速い!」。「あっ」という間に駆け抜けていく。私の全速力より速い。続いてトップグループの人たちが次々と入ってくる。後で思ったが、このグループの人たちの方が、表情が苦しくなさそうな感じだ、しばらく上位の人が入った後、本当にひどそうな人たちが次々と入ってくる。
 私の知り合いは、50分目標と言っていたのでまだだ。
 10kmを走る人はどことなく勢いが違うな!などと感心していると。知り合い(1.056バイト) が入ってきた「がんばれ!」声をかけると右手をあげて「にっこり笑う」余裕だね。

 タイムと順位

後日談

 次の日、体がうずいてしょうがない。「走ろう」。はじめ 1km往復 2km軽く走って。と思って出たのだが。体が軽い、足が上がる「どうしてこんなに調子がいいのだろうか」・・・5km越えて走った。
 その次の日、右膝が痛い。
 階段を下りるときに、ふくらはぎの筋肉痛が少しと膝の痛み「ピリッ」でちょっとふらつく。この時は、そんなにもひどいとは思わなかった。
 木曜日、当直明け。今日は走ろう。着替えてストレッチ、走り始める足の膝から下が全体に痛い。時々「すね」が痛い時があり、走り始めると治るが、今日は痛みが「ひざ」と「足首」にある。すこし走っても治らない。止めた。
 次の日、日常でも意識して勢いを付けて階段を下りると、膝が痛い。・・・・。

 日曜日、走るが痛い、止めた。

・・・・・・疲労の蓄積か?



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