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朝日新聞9月29日付け朝刊「論壇」より

検察官の役割とは何か
佐藤道夫(札幌高検検事長)

 検察官は、法律上「公益の代表者」と定められている。「公益」、つまり国民を代表して、国民に代わって犯罪を捜査し、事件を処理する、そういう役目を果たしている。
 検察官が被疑者を取り調べるのは、何も検察官が勝手な考えで自分の関心のあることだけをあれこれ聞いているわけではない。国民に代わって、国民が知りたい、聞きたいと思っていることを尋ねる、そういう仕事をしているのである。
 したがって、検察官が格別の理由なしに、国民が知りたい、聞きたいと思っていることについて尋問をしないのは、重大な任務背反になる。
 病気で死にかけている、長期間海外出張中である、ごくごく軽微な事件である、特異な思想の持ち主で任意の呼出に絶対応じない、犯罪にならないことが余りにも明白である・・このような特別な事情があるときは被疑者の取調べをしないで起訴、不起訴を決定することがある。しかし、これは例外で、そのような特別な理由がないのに取調を放棄してしまうことは制度上できないし、実際上もそんなことは行われていない。
 とくに、国民がその成り行きに重大な関心を持っている事件については、国民の持つ疑問点すべてを国民の代わって被疑者に問いただし、公益の代表者としての責務を果たす。そういう気概と誇りをもって任務を遂行しているはずである。そう思っていただいて間違いない。
 例えば「上申書が提出されたから」とか「マスコミが大騒ぎしているから」とかで、「検察官の生命」ともいうべき被疑者に対する取調権を放棄するようなことはあり得ない。そう思っていただいて間違いない。
 歴代の検事総長は、検察官の心構えの基本として「厳正公平」「真相の徹底究明」を声高に叫んできている。
 法の下の平等を持ち出すまでもない。刑事訴訟法の前では身分、地位、職業のいかんにかかわらず、どんな人でも同じに扱われてきている。隠れもない超大物だから特別丁重に扱う、一介の名もない庶民だからどう扱ってもいい、他の世界ならいざしらず法律家である検察官がそんなことをするわけがないし、できるわけもない。「厳正公平」とはそういうことであり、検察がその長い歴史を通じて「権力に屈せず、権勢を恐れず」任務を果たしてきたことは、先輩から後輩に、折に触れ数々の事例を挙げて語り継がれてきた。そのことをすべての検察官がどんなに誇りに思っていることか。このシンの疲れるシンドイ仕事を支えているのは、その気概だけといってもいい。
 「真相の究明」とは、可能な限りあらゆる努力を尽くしてもどんな疑問も後に残さないということである。検察官が特別な事情もないのに、安易に現状と妥協して真相の究明を取りやめる。それは公益の代表者として重大な任務違反である。
 仮に暴力団との癒着が取りざたされている者から政治献金があった場合、献金を受けたのが団体か個人かあいまいで、個人なら罰金刑、団体なら禁固刑という場合、授受された金の使い道不明な場合、個人の所得とみられれば脱税の疑いがある場合、それらの追求を怠る検察官がこの世に存在するとは思えない。
 もし、怠っているとすれば、検事総長の訓示が全く無視されていることになる。 いずれにしろ、特別な人を特別に扱うのは司法の世界で絶対にあってはならぬことである。
 司法に対する国民の信頼には揺るぎがないと思われてきた。それは、裁判、検察の場でどんな人をも特別扱いせず、どんな人も差別せずに常に公平を旨として運営してきたことが大きな力になっている。そうなるには、諸先達の血のにじむような努力が注がれてきた。その成果を今、無造作に投げ捨てるような結果になることは、なんとしても避けるべきではないか。いつの時代にあっても、司法と国民の一体感の醸成を目指しての関係者の一層の努力が必要と思われる。
     



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