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マラソンを語る。その(二)
 

 

なかなか、胸を張って語れないのですが、とりあえず 二 です。

 

 

 このコーナーも更新が進まず、いろいろあれもこれも書こうと思っているうちに日は過ぎます。
とりあえず、忘れないうちに ーその二 ー を書きました。
 

 

現在の到達点

 

ランニングをするようになって、約5年かな、この間の基本は、ゆっくり走る、無理しない、楽しみながら走ると、思い続けています。
元々、早くも走れないし、長くも走れないので、言い訳みたいですが、自分のペースで走るのが大事です。
 

 

 

毎年あれこれの大会に出場

 

 

練習と大会の関係は、大会を申し込むと、それに向けて少し足馴らしをしておかないといけないかなーなどと思い、走り込む。
もちろん、速く走ろうとか、うまく?走ろうとかではなく、完走できるための足馴らしです。
年間の大会の概略は、石川ロードレース・中島万葉の里マラソン・能登島ロードレース・城下町ロードレース・金沢ロードレース・市民マラソンといったところでしょうか。
 

二・三年前に、これら全部をでた年もあったんですが、気がつくとすぐに申し込み期日が過ぎていたりでのがします。なるべく欠かさず出るようにしているのですが。
他にも、宝達山マラソンとか柳田村マラソン「犀川河川敷」でよく行われている中央走ろう会?の主催の行事などに参加したいといつも思うのですが、まだ、参加の機会がありません。
こう書いてみると、金沢からでもちかばでたくさんの大会があるものだと思いますね、知り合いの人たちはこのほかに「県外」の大会にツアーを組んで、いや外国までも行くのですから、好きな人というのは「病気」だと言われるのがよくわかりますね。
 

 

 

日常の走りのペースは

 

 

今は、よく走るときで週に2回、土曜の午前と平日の水か木あたりの夜に一回ぐらいです。
土曜日だけの月とかもあり、年間でみると季節によってやはり走る回数はちがいます。
 

土曜のパターンは、なるべく長く走るようにしている、20Kmを越えるようにしているが、レースの前とか調子が悪いときなどはそそくさと切り上げます。
 

夜のパターンは、5Kmから、15Kmぐらいを目安にしています。
5Kmを精一杯ペースをあげてみて走ることもあるが、それでも「26分」を切るのはなかなか至難の業で、たいがい27分との間ぐらいです。
よっぱど調子がいいとき、ハーフの大会などに参加したあとで「25分」ちょっとなどという時もあったのだが、その時はすごい感激してしまった。
 

夜はたいがい、食事の準備をしてから走るのですが、すごい空腹状態になるので、実は食事を作りながら「西瓜」を一切れつまんだり、菓子パン(メロンパン)を半分つまんだりして、走るのです。
これがアルコールだと「キッチンドリンカー」なのでしょうが、こういう場合は「キッチン甘党」とでも言うのでしょうか。
時々、夜の雰囲気に誘われて10Kmぐらいまで行ったり、15Km近くまで走ることもあります。
 

雪が積もっていると滑るので「走らない」、雨は「走らない」、風が強いときは危ないので走らない、調子がすぐれないときは走らない、もちろん膝などに痛みがあるときは走らない、と走らないときばかりを書き出すと、いつ走るのかと我ながら恥ずかしい。
 

しかし、無理は禁物!!楽しく安全にいつまでも走り続けたいと思っています。
 

秋の頃に、会社で「健康づくり」行事が始まります。
ここ数年毎年行われているのですが、自分で目標を申告して、それを達成すると「記念品」をもらえるというものです。
「禁煙」や「ウオーキング」「ランニング」などを目標とするのであるが私の目標申告は「ランニング200Km」としています。
 

あ、月間ではなく「3ヶ月」がその行事の期間で、三ヶ月でのトータル走行距離としての申告です。
三ヶ月、90日。だいたい一日「2Km」週にすると15Kmぐらい、月に60Kmであるから、順調に走っていれば「楽勝」です。
 

それが、雨が続くとか、飲みに行く時が続き追い込まれると大変なんです。
もともと、一度に長い距離を走れないのであるから、土曜日などが都合が悪い週とが続くと、最後には、平日の夜に「追い込まれたように」走った記憶もあります。
 

 

しかし、そんなプレッシャーもないと、重い尻があがらずずるずると「ランニングなし」の日々が続くこともあり、一つの「励み」かとも思う。
 

 

 

走ると、足が変わってくるんですよ!!

 

 

私の場合、子供の頃から太股(大腿部)というのは、一つの肉のかたまりだと思うような感じだった。
それが走るようになって、外側の部分が二つに区切りができるように分かれはじめてきたのです。
大きな筋肉が、二つそれぞれ別々に発達しはじめたという感じで、太股の外側に手を当てると、その筋肉の区切り部分がわかるようになってきて、それがだんだん溝が深くなっていく感じになるのです。
そのうち、それ以外にも違う溝が発見されたりするのですが、なんと、今まで筋肉だと思っていたものが、皮と一緒につまめるようになってきたのです。
 

え!筋肉ではなく、それがどうも脂肪のようですね。
 

そして、その皮、脂肪のかたまりというか、厚みがだんだん薄くなってくるわけです。
40を過ぎてそんなことがあるのだろうかと、初めのうちはすごい不思議だったのですが、一年が過ぎ二年が過ぎ・・・・といっても、そんなに日常的に走っているわけではないのですが・・・・自分の足が変化していくという事実に自分自身がびっくりしています。
 

しゃがむ時に太股と、ふくらはぎがくっつくというか、押し当てられて、それぞれの筋肉が押し合いますが、そのときの感触が全然違ってきたのです。
前はふくらはぎの丸い固まりに、太股の座布団が乗っかるような感触だったのですが、だんだん、それぞれが丸い固まりどうしが押し合う、しゃがむと窮屈な状態に変わってきています。
 

 

 

ゴールが近づくと「もう走れない」

 

 

最後の一キロあたりがいつも苦しい。
これは走る距離に関係なく、もうすぐ家だと思うと、走るスピードが上がるのだろうか、精神的なものがそういう感情的なものをもたらすのだろうか。
 

最近は、さすが5Kmぐらいでは最後までしっかり走れるが、ちょっと早い走りかなと思う10Kmやそれ以上の距離を走るとやはり最後のところでひどい思いがでてくる。
長い距離、20Km近くを走るときは、10Kmあたりでそういう思いがでるかというと、あまり感じることもなく、やはり最後のところでそういう感じになるのです。
このつらいという思いは、目標との関係で起きてくるのかな、というのが結論です。
 

 

 

走ることと人生は似ている。

 

 

人生で考えるとどうであろうか、長い人生、すぐそこのゴールを目指してあれこれと思うのも必要かもしれないが、ずーっと先のことを考えれば気が楽になることもあるのではないだろうか、それに、個人の人生なんて、人類のスケールで考えるとなんと短いものか、サルのようなものから、人の形になってきて、さらに社会的な生活様式が始まり、文明の発達とともに複雑な社会構造が作られてきてはいるが、基本は一人一人が楽しく人生を全うできるのが基本であって、誰かのために誰かが尽くすとか、犠牲によって成り立つとかいうのは本来おかしいのではないかと思います。
 

で、なんでしたっけ、個人の人生の中でのトラブルやつまずきなどは、人類的レベルで見るとそれはそれは大したことがないのではないかということで、肩の荷を下ろして見つめるのも大事かと思うわけです。
 

そう思うと、ハーフマラソンで、30分や40分タイムが遅いとか早いとかで気にするようなランニングは、私には縁がないと思っているのです。
 

 

しかし、今年の2002年能登島マラソンは長く走っていました。
ハーフで2時間41分ですから、フルマラソンのちょっと早い人ぐらいの時間がかかっているわけですね。
 

炎天下の中でこの時間ですからすごいつらいものがありましたね、お肌も焼けて焼けて、真っ黒です、それもランニングやけで、肩ひものところとお腹、背中だけが白く残る焼け方で、その後プールに行ったときの恥ずかしかったこと。
 

しかし、考えてみるとそこそこのオリンピック選手の二倍ぐらいの時間で自分も走れるのですから、なんか充実感もありますね。
 

でも、これがフルマラソンの距離だと、3倍ぐらいになるでしょうし、完走すら危ういわけですから、フルマラソン恐るべしです。
 

 

 



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