長い間生きていると、びっくりすることも少なくなってきます。
だいたい何となく傾向が分かってきて、
こうなるだろうなぁと思っていたらそうなる。
何か新しいことが起こったように見えても、
そんな事って前にもあったなぁって思うことがあるものです。


昔、まだ祖父が生きていた頃、タンポポが咲いたり、
すみれが咲いたりしているのを見つけて、とっても驚いて、嬉しくて報告したのに、
「あぁ、あそこには毎年咲くんだ」と、こともなく言われて
「そうなんだ・・・。知らなかったのボクだけ?」
とがっかりしたことがありました。幼児教育に関わるようになって、
そんな子どもたちの感動をなくさないようにしようと心がけています。
子どもたちと同じ感動を共有できるようにと、心がけていたのです。
それはとっても正しいことなのですが・・・
少々オーバーな、感動表現が身に付いてきてしまいました。

これって、幼稚園教師の職業病?って思うほど、
演技での感動表現は大事なことなのでしょう。


けれども、そんなふうに意識をして表現をしなければならないということは、
経験や知識が、年齢と共に増えてくると、感動やびっくり体験がなくなってくる。
あたりまえのことが、あたりまえのようにすぎていってします。
これは、大いに悲しいことに違いないのです。

ところがそんなわたしにも、この一月に大きなびっくり体験がありました。

それは、こと、東国原英夫さんの宮崎県知事当選。
立候補をしていたのは知っていたけれど、きっと泡沫候補、と思っていたら、
一月二十一日に当選の速報。いやぁ、びっくりしました。
そのあとのニュースやワイドショウの取り上げ方もすごかった。
連日連夜、テレビに映らない日はなかったのです。

県議会でのやりとりや、記者クラブでのスピーチまで
テレビで映し出されるようになって、
一躍時の人となっていたのですから、びっくりしました。


そのまんま東さんは、
「ツーツーレロレロ」という漫才コンビの一人。

わたしも出演した
「お笑いスター誕生」の仲間でした。
練習会や出演オーディションで
顔を合わせる一人だったのです。
そして、ちょうど同じ時期に、
お笑いスター誕生に出ていたのです。

わたしにとって忘れられないのは、
「ツーツーレロレロ」のネタの一つです。

それはそのまんま東さんがつっこまれ、
絶句し、あれをやれこれをやれと言われて
困り果てる状況になったとき、
彼が叫んでいたオチはこいうものでした。



わたしの腹話術人形コンちゃんが、彼らのオチネタの一つだったのです。
 


わたしをネタにして、最初にテレビでやってくれたのは
そのまんま東さんだったのです。
その後わたしは赤塚不二夫先生のもとへ行き、
そのまんま東さんはビートたけし師匠のところにいきます。
いつ最後の言葉を交わしたかは、もう覚えていませんが、
このネタのことがあったので、彼に感謝をしていましたし、
その後の動向も気にかけていたのでした。
 
人間年をとると、びっくりする中身が違ってきます。
感動する中身が違ってきます。


幼稚園の卒業生達が、見違えるように立派になって幼稚園を訪ねてくれると、
びっくりして驚いて、年のたつのの早さを実感します。
あまりのまばゆさに、感動することさえあるのです。
同窓会に行って同級生の姿を眺めていると、
ずいぶんと年が進んだものだとびっくりします。
人間年をとると自然環境にはあまりびっくりしないのですが、
時の流れにびっくりすることがあるのです。


ところが一方では、五年ほど前には、幼稚園に入園してきた子どもたちに、
「おじいちゃん」と声をかけられてショックを受けていましたが、
今ではそう呼ばれてもあたりまえのように受け入れることが出来るようになりました。
現実を受け入れることができるようになる自分にも、びっくりすることがあるのです。


昨日、できなかったことが、
  今日、できるようになる喜び
 昨日、知らなかったことを
  今日、知ることの出来る喜び


幼稚園の子どもたちの毎日の生活は、このような喜びに満ちています。


けれども、ある一定の年齢を重ねた者は、
違う世界の中で生きるのです。
昨日できたことが今日できなくなり、
昨日知っていたことを思い出せなくなる悲しみです。

だからこそ人は、若い人々に
この世をバトンタッチして受け継いでいかなければなりません。
いつまでも、自分の時代が続くわけではないからです。
 
 
 
ばらぐみさん。
みんなは、未来。
わたしたち大人が委ねる未来そのものなのです。

先生は、この羽咋白百合幼稚園で、
みんなに知識を伝えたのではありません。
みんなに単語を教えたのでもありません。
みんなに、技術を伝えたのでもないのです。



先生が伝えたかったのは、心です。
何をどう感じるか、どんなふうにゆれ動くのか。
悲しんだり、喜んだり、感動したり、
そんな心が育って欲しかった。

先生が伝えたかったのは、考える心です。
なぜ自分はそうしたいの、なぜお友だちはそう考えたのか
自分のことも大事だけれど、お友だちの心も考える。
そんな考える心が育って欲しかった。
先生が伝えたかったのは、ひとりぼっちじゃないと言うことです。
お友だちがいる。家族がいる。親族がいる。
隣近所の、社会の中で生きている。そんな社会性が育って欲しかった。


先生が伝えたかったのは、祈りです。
自分の力では、どうしようもない現実がこの世にはいっぱいある。
どんなにがんばっても乗り越えられないこと、
どんなにがんばっても受け入れられないこと。
絶望や挫折、苦しみや悲しみが存在する。
そんな憂いの中で、見えざるものへの恐れを持ちつつ、祈ること。
それを知って欲しかった。

ばらぐみさん。

そんな一つひとつを十分に、
この幼稚園で知ってくれたから、先生はみんなの卒業を祝福しようと思います。
十分に学んでくれたから、小学校に委ねようと思います。