そんな一つひとつを考えると、松ヶ下町の園舎は、 幼稚園の園舎としてはとっても使いやすく快適です。 園舎は一階建てで、玄関を入って左に大きなホールがあります。 子どもたちがいろんな遊びを展開できる空間です。 右側には独立したひよこぐみさんのお部屋があります。お昼寝やその他いろんなこ とに使える多目的なお部屋も独立しています。 給食調理室も独立していますし、給食を受け取るときに 調理室に入る必要がありません。 玄関横には職員室があり、その職員室からすぐに見えるところには すみれぐみさんのお部屋があります。 ホールを通って奥の方にはゆりぐみさんとばらぐみさんのお部屋があります。 そして、その三つのお部屋に囲まれるように、園舎の外には、夏に プールを置いて水遊びが出来るプールの空間もあるのです。 松ヶ下町の現園舎は、本町の園舎と比較してとても大きくなりました。 園舎としては1.3倍になりました。 園庭面積でも1.3倍になりました。 敷地面積に至っては2.3倍になったのでした。とっても広く快適になったのでした。
みんなで一緒の経験をする「ホールの時間」は、初めての経験。 幼稚園では「ホールの時間」用に新しい椅子を作ることにしました。 大中小の三点セットのすてきな椅子です。 ところがホールが始まる前にこの椅子を、 ホールの時間を過ごせるようにセットしなければなりません。 また、ホールの時間が終わったら三つを組み合わせて 所定の場所に積み上げなければなりません。 ばらぐみさんにお当番の仕事が加わったのでした。 ホールにはいる順番も決めなければなりませんでした。 みんなでするゲームや聞くお話にもルールができました。 本町の園舎ではなかったルールです。
特別の経験としても、十年二十年と過ごしていけば、大きな変化をあとになれば感じ るものに違いありません。 わたしが幼稚園の仕事を始めたのは二十二年前でした。その時に、パソコンもイン ターネットもありませんでした。メールもありませんでした。携帯電話もありません でした。FAXだってなかったのです。 はじめて携帯電話を持とうと考えたとき、わたしは今のNTTドコモに行って購入 を申し込みました。信じられないかもしれませんが、その時の携帯電話担当の窓口の おばさまが、「携帯電話を持っている人は少ない。携帯電話同士の通話料も高い。回 線電話の方が優れているから買わないように」と説得されたのでした。 「こりゃだめだ」 とわたしは今のauの会社の方に行き、携帯電話を購入したのでした。その時の 電話は、高さ十八センチ、横幅六センチ、厚み三センチの大きく重いものでした。今 の携帯電話とは比べものになりません。もちろん通話だけの電話でしたが、わたしに とって必需品となりました。 今、仕事をしている時間の大部分は、パソコンの前にいて、パソコンの画面を見て います。パソコンなしで、仕事はあり得ません。こんなことなど、二十年前には考え られなかったことなのです。 「鉄筆」「ガリ切り」などという言葉をご存じでしょうか? これがパソコンでプリンターが印刷するという前の大事な印刷機器の用語でした。 コピーだって、幼稚園に登場したのはいつ頃でしょう。 大型のコピーの機械が買えなくて、キャノンのファミリーコピアが登場したときに はじめてコピーの機械を買ったという幼稚園は、たくさんあるのです。 二十年前と現在とは大きく違っています。これが三十年前、四十年前になるともっ ともっと違います。 わたしは、今年の四月で五十になります。テレビが家にやってきたときのことを覚 えていますし、街頭テレビでテレビを見ていたときもありました。今とは全く違う世 界だったのでした。
園の大きな変化の中で育ちました。園舎は変わり、そこで生活するルールは変わりま した。そしてその変化を受け入れてきたお友達です。 けれど、変わらないものもありました。 「愛されていることを知り、愛するものとなる」。 「自分を愛するように、お友達を愛する」。 「誰も見ていなくても、神様が見ておられることを知っている」。 羽咋白百合幼稚園の良き伝統です。 変わらなかった羽咋白百合幼稚園の伝統はしっかり受け継いでくれたお友達、 それがばらぐみさんでした。 そんなみんなが卒業していくのだから、 すてきな祈りの一文をプレゼントしたいと思います。 『主よ 変えることの出来るものは それを変える勇気を 変えることの出来ないものは それを受容する心の平静を そして 変えることの出来るものと 変えることの出来ないものとを 見分ける英知を お与え下さい』 わたしの、繰り返し繰り返し口ずさむ、自戒の祈り。 ラインホールド・ニーバーという人の祈りとして知られる一文です。 時の変化の中に流されそうになったなら、思い出して欲しいと思います。 ばらぐみさん。 卒業おめでとう。 |