「卒業おめでとう
     ばらぐみさん」



 

                    園長 釜土達雄

 羽咋市本町から松ヶ下町に羽咋白百合幼稚園が移転
 してきて、六月で二年になります。
 
 今度卒業のばらぐみさんは、すみれぐみ時代を本町の園舎で
 過ごし、この松ヶ下町の園舎への引っ越しを経験しました。
 一年一〇ヶ月をこの松ヶ下町の園舎で過ごして、
 卒業していくのです。

  
今では学童保育「ゆりっこ児童クラブ」の専用園舎となっている本町の園舎は、
二階建てでした。玄関を入って左が玄関ホールで、
その奥にすみれぐみさんのお部屋とゆりぐみさんのお部屋がありました。
ばらぐみさんのお部屋は二階。
行事などで使うホールも二階だったのです。

園庭は玄関から直接出て行くことは出来ませんでした。
玄関から園舎の脇を通って園庭に向かうことになっていたのです。
そうそう、ひよこぐみさんのお部屋はありませんでした。
ひよこぐみさんは独立していたのではなくて、すみれぐみさんの
お部屋に一緒に入っていたのです。

駐車場もありませんでした。
玄関前の道路にちょいと止めて、大急ぎ。
かなり苦労したのでした。

そんな一つひとつを考えると、松ヶ下町の園舎は、
幼稚園の園舎としてはとっても使いやすく快適です。
園舎は一階建てで、玄関を入って左に大きなホールがあります。
子どもたちがいろんな遊びを展開できる空間です。

右側には独立したひよこぐみさんのお部屋があります。お昼寝やその他いろんなこ
とに使える多目的なお部屋も独立しています。
給食調理室も独立していますし、給食を受け取るときに
調理室に入る必要がありません。

玄関横には職員室があり、その職員室からすぐに見えるところには
すみれぐみさんのお部屋があります。
ホールを通って奥の方にはゆりぐみさんとばらぐみさんのお部屋があります。
そして、その三つのお部屋に囲まれるように、園舎の外には、夏に
プールを置いて水遊びが出来るプールの空間もあるのです。

松ヶ下町の現園舎は、本町の園舎と比較してとても大きくなりました。
園舎としては1.3倍になりました。
園庭面積でも1.3倍になりました。
敷地面積に至っては2.3倍になったのでした。とっても広く快適になったのでした。
これらのことはとても嬉しかったのですが、その大きな変化をゆりぐみさんの時代
に、ばらぐみさんは経験したのでした。
幼稚園のことが判り、友達と共に生きる方法も、園舎の使い方も、すっかり判って
遊びが大きくふくらもうとしていたゆりぐみさんでした。その六月に、
「松ヶ下町の園舎」にお引っ越しをしたのです。

「これが新しい幼稚園?!」

みんなのびっくり眼とともに、新しい園舎での生活が始まったのでした。
園舎が変わるということはとっても大変なこと。
新しい園舎にふさわしいルールみんなで作り、
それを覚えていかなければならないのです。
そんなルールの一つひとつを、去年のばらぐみさんと一緒に作り、
覚えていったのがばらぐみさんだったのです。

本町の園舎では、
各クラスが独立していました。
クラスの中で全部のことをしてい
ました。他のクラスと一緒に集まって、
ひとつのお話を聞くというのは
礼拝の時だけ。
だいたいみんなで集まるということが
簡単にできる園舎ではありませんでした。
ところが、現在の園舎には、幼稚園の中心にすてきなホールがあります。簡単にみんなが集まることができる空間があるのです。

幼稚園での生活が大きく変わったのです。
活動的な遊びはホールで、静かな遊びは
各お部屋で・・・。

いつの間にかそんな風になっていき、それをみんなのお約束にしていったのです。

また、本町の園舎の時代には、「ホールの時間」はありませんでした。
みんなで一緒の経験をする「ホールの時間」は、初めての経験。
幼稚園では「ホールの時間」用に新しい椅子を作ることにしました。
大中小の三点セットのすてきな椅子です。
ところがホールが始まる前にこの椅子を、
ホールの時間を過ごせるようにセットしなければなりません。
また、ホールの時間が終わったら三つを組み合わせて
所定の場所に積み上げなければなりません。
ばらぐみさんにお当番の仕事が加わったのでした。
ホールにはいる順番も決めなければなりませんでした。
みんなでするゲームや聞くお話にもルールができました。
本町の園舎ではなかったルールです。

園庭で遊ぶのにもルールが必要でした。行って良いところ、行ってはいけないところ。
そんなルールの一つひとつを覚えていきました。花壇もみんなで作りました。
花壇のルールもみんなでつくり、みんなで覚えていったのです。
 
こんなお話を書き始めればきりがありません。
それほどにたくさんの変化が、園舎が変わったというだけで起こったのです。
身近なわずか三年でも子どもたちは大きな変化を経験しました。このような経験は
特別の経験としても、十年二十年と過ごしていけば、大きな変化をあとになれば感じ
るものに違いありません。
 
わたしが幼稚園の仕事を始めたのは二十二年前でした。その時に、パソコンもイン
ターネットもありませんでした。メールもありませんでした。携帯電話もありません
でした。FAXだってなかったのです。

はじめて携帯電話を持とうと考えたとき、わたしは今のNTTドコモに行って購入
を申し込みました。信じられないかもしれませんが、その時の携帯電話担当の窓口の
おばさまが、「携帯電話を持っている人は少ない。携帯電話同士の通話料も高い。回
線電話の方が優れているから買わないように」と説得されたのでした。

「こりゃだめだ」

とわたしは今のauの会社の方に行き、携帯電話を購入したのでした。その時の
電話は、高さ十八センチ、横幅六センチ、厚み三センチの大きく重いものでした。今
の携帯電話とは比べものになりません。もちろん通話だけの電話でしたが、わたしに
とって必需品となりました。

今、仕事をしている時間の大部分は、パソコンの前にいて、パソコンの画面を見て
います。パソコンなしで、仕事はあり得ません。こんなことなど、二十年前には考え
られなかったことなのです。

「鉄筆」「ガリ切り」などという言葉をご存じでしょうか?
これがパソコンでプリンターが印刷するという前の大事な印刷機器の用語でした。
コピーだって、幼稚園に登場したのはいつ頃でしょう。
大型のコピーの機械が買えなくて、キャノンのファミリーコピアが登場したときに
はじめてコピーの機械を買ったという幼稚園は、たくさんあるのです。
 
二十年前と現在とは大きく違っています。これが三十年前、四十年前になるともっ
ともっと違います。
わたしは、今年の四月で五十になります。テレビが家にやってきたときのことを覚
えていますし、街頭テレビでテレビを見ていたときもありました。今とは全く違う世
界だったのでした。


けれどもこれからもっともっと大きな変化が、
これからの時代に起こるに違いない。

卒業するばらぐみさんが生きていく時代は、
「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」
がある時代ではありません。
「昨日と違う今日、今日とはまた違う明日」
がある時代なのです。
そんな時代を生きていくことになるのです。
 
だからこそ、変わりゆく時代の中で、
変わらない大事なものを見つけ出して欲しい。
 
心から、そう思います。
 
大きな時代の変化の中に、旅立っていくばらぐみさん。君たちは、羽咋白百合幼稚
園の大きな変化の中で育ちました。園舎は変わり、そこで生活するルールは変わりま
した。そしてその変化を受け入れてきたお友達です。

けれど、変わらないものもありました。
「愛されていることを知り、愛するものとなる」。
「自分を愛するように、お友達を愛する」。
「誰も見ていなくても、神様が見ておられることを知っている」。

羽咋白百合幼稚園の良き伝統です。
変わらなかった羽咋白百合幼稚園の伝統はしっかり受け継いでくれたお友達、
それがばらぐみさんでした。
 
そんなみんなが卒業していくのだから、
すてきな祈りの一文をプレゼントしたいと思います。
 
『主よ
 変えることの出来るものは
 それを変える勇気を
 変えることの出来ないものは
 それを受容する心の平静を
 そして
 変えることの出来るものと
 変えることの出来ないものとを
 見分ける英知を
        お与え下さい』

 
わたしの、繰り返し繰り返し口ずさむ、自戒の祈り。
ラインホールド・ニーバーという人の祈りとして知られる一文です。
時の変化の中に流されそうになったなら、思い出して欲しいと思います。
 
 
 ばらぐみさん。
 卒業おめでとう。