「学院長室から」

          
  
                               学院長 釜土達雄
 
  三月十一日は東日本大震災からの一年の時でした。
 地震・津波・原発事故。あまりにも大きな災害でした。その時を忘れないようにするために、また多くの犠牲者の方々の冥福を祈るために、そして、復興の決意を新たにするために、日本全国で祈りの時がもたれました。
 テレビは特集番組を組み、新聞も特別紙面の作成でした。わたしも新聞を読み続け、テレビの特集番組に見入っていました。そして、多くの人々と同じように、祈りをあわせる時を持ちました。
 わたしは自分の役職上、二度この地域を訪問いたしました。一度目は二〇一一年四月十四日〜十六日で、福島市と須賀川市を訪問しました。その地にある幼稚園と保育園を訪ね、お話を聞き、祈りを共にしてきました。いわき市にも訪問したかったのですが、かないませんでした。多くのボランティアの方が活動していて、ホテルは満席、民宿もいっぱいで、宿泊場所がなかったのです。乗用車での移動で、新潟から高速道路で入りましたが、夜は新潟に戻って宿泊し、翌日再び福島に向かうことになりました。その間何度も緊急地震速報で車を止めました。まだ一ヶ月。そんなに時間がたっていなかったのです。
 二度目は、九月十二日から十四日にかけてでした。十二日の朝に小松空港から仙台空港に向かい、その後仙台から海岸線を通って盛岡に向かいました。地震と同時に、津波の被害を受けた幼稚園・保育園などを訪問し、お話をお聞きし、祈りを共にすることが目的でした。
 地震と津波。東日本大震災から半年が過ぎていましたが、その被害の様子がまだ生々しく残っていました。しかし一方では、非日常の中に、日常が取り戻されてきていて、復興の途上にある様子をお聞きすることができたのは感謝でした。
 津波のきたところにはなにもなく、その反対に少し小高い丘にある家並みは、一見ほとんど損傷を受けていないように感じます。そこには洗濯物が干してあり、普通の日常生活があるのです。リアス式海岸のアップダウンの激しい道路を車で走りながら、津波でのすさまじい被害の場所と、日常生活がそのまま存在している場所とを何度も何度も繰り返し通り過ぎることになりました。それは実に不思議な感覚で、そうであるからこそ、津波被害の悲しみを感じましたし、ごく当たり前の感謝すべき日常を感じたのです。
 あの東日本大震災から一年です。私たちにできるお手伝いを、これからもし続けていかなければならないでしょう。決心を新たにいたしました。そして同時に、私たち自身が災害への備えを怠ってはならないとも思いました。
 幼稚園に顔を出すと、いつものように元気な子どもたちの声が聞こえてきます。このあまりにもにぎやかな幼稚園の日常が、わたしは大好きです。こんな当たり前の日常が、何よりも価値のある宝である。そう感じます。