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「七尾幼稚園に来てくれて
ありがとう」



 園長 釜土達雄

 今年は本当に困った冬でした。寒くて大変な冬だったのに、七尾は雪が降らなかったのです。
 羽咋でも二〇センチの積雪はありました。けれども、七尾では降りませんでした。富山では平野部でも40センチぐらいの雪が降ったところがありました。けれども、七尾では降りませんでした。いえ、七尾の中でも10センチぐらいの雪が降ったところは、それなりにありました。正確に言えば、七尾幼稚園の周辺では積もらなかったのです。
 関東地方、特に山梨県では大雪で、大変な被害になりました。交通が麻痺し、雪を想定しないハウスは大打撃を受けました。さらに甲州葡萄の木々の被害はあまりにも深刻で、高齢の方が営む農場では、再建を断念されるところもあるのだというのです。
 ところがそれにもかかわらず、いつもはちゃんと雪が降って、不満に思いながらも土地柄だからしょうがないとあきらめる雪すかしも、結局今年は一度もしなかった。
 「いつ雪降るの?」
 そんな風に聞く子どもたちに、
 「雪降らないねぇ。」
 それでも雪が降っていのを見ている子どもたちが、
 「ねぇ、雪遊び出来る?」
 大きなぼたん雪を眺めながら、
 「雪どんどん消えていくよね。
  積もらないみたい」。


 十一月から始まる七尾幼稚園の「お金ごっこ」には、十二月頃から「バイト」が登場します。園庭の砂を集めて、小さな山を作る「アルバイト」です。ちゃんと作業をしても、ちょびっと参加しても、参加した気持ちでいても、「バイトしました」と申告すれば、七尾幼稚園でしか通用しないおもちゃのお金が、五百円支給されるのです。
 いったいなぜこの小さな小山を作るのかといえば・・・。子どもたちが自分たちで遊ぶそり遊びの場所にするためでした。
 だから子どもたちが聞くのです。
 「ねぇ、雪遊び出来る?」
 「ねぇ、ソリ、出来る?」

 先日、ほんのちょっと、雪が降りました。
 大急ぎで雪をかき集め、この小さなソリ山の一方向に雪を貼り付けてソリ遊び。何とか証拠の写真を撮って、「ソリ遊びしたぞ!」
 その後、もう少し多い雪が一回だけ降って、何とか形になったのです。




 雪は積もらなかったのですが、今年ビックリしたのはpm2.5でした。pm2.5というのは空気の中に浮かんでいる1㎜の千分の一以下の小さな粒子のことです。あまりにも小さいので、肺の奥深くにまで入り込んでしまいますから呼吸器の影響が心配されています。
 このpm2.5の注意喚起が、今年、何度も出されたのです。
 一日平均値35μg/立方㍍以下が環境基準値。それなのに、簡単に注意喚起の85を超えてしまうのですから・・・。これにはビックリしました。
 大人ならば85以下でも大丈夫というところを、子どもたちのことを考えて50を超えたら園庭に出さないという基準にしました。
 朝から幼稚園は、環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」の観測情報をもとに、「外に出てはいけません」「お外に出ても大丈夫です」を繰り返しました。
 これもまた今年の冬の特色でした。


 三月十一日から十二日にかけて仙台に行ってきました。東日本大震災から三年を経て、あちこちで開かれた祈りの輪の一つに出席するためでした。多くの人々が亡くなられ、甚大な被害があり、その上原発の事故まで重なって、苦しみや悲しみの中にある人々の心に、わたしたちも心を沿わせるためでした。
 すでに何度か、福島を始め、わたしは東北地方を訪問させていただいています。特に、実際に保育をしていた中で地震や津波に出会った方々にお会いさせていただき、具体的なアドバイスもいただきました。深く感謝しています。今回は、学びの時というよりも、三年を経て、共に祈りをあわせる時でした。身の引き締まる、感謝の時でした。

 時を得て、石川県でも津波対策のマニュアルを各園が持つようになりました。


 七尾幼稚園でも今年度から、避難訓練の中に「津波」が加わりました。地震が起こり、自分を守る姿勢を取ってすごした後、大津波警報が出されたら、ただちに津波から身を守るために、逃げるのです。
 七尾幼稚園の子どもたちが逃げる場所は、七尾幼稚園の2階です。
 七尾市の想定する津波の高さは3㍍。七尾幼稚園の玄関は5㍍の高さがありますから、本当は大丈夫なのですが、海面から8㍍の高さの2階に逃げます。けれどもそれでも心配だからと、海面から11㍍の屋上に逃げてみました。みんなそろってからの「よういドン」でしたから早かったのですが、ぴったり3分で全員屋上でした。



 原発事故対策の準備も、少しずつ進んでいます。
 先日は石川県と七尾市が一緒に主催する講習会がありました。それは、放射能について学ぶ研修会でした。わたしが出席したのですが、最初に手渡されたのは空気中の放射線量をはかる機械。放射能について学びつつ、幼稚園や保育園各園一台ずつ支給される、その測定器についても学んだのです。
原子力発電所の事故が起こった時の避難の方法も、県を中心に具体的検討が続いています。あってはならないことですが、最悪の状況を想定して、考えられる準備をしておく。当たり前の話です。


 わたしたちは「昨日と同じ今日」を求めます。「今日と同じ明日」が来ると信じています。同じ日常が、安定的に繰り返される。その日常の中で、ささやかな変化を喜んだり悲しんだりしているのでしょう。
 ところが、昨日と同じではない今日を、経験させられることもあるのです。あの東日本大震災は、日常が一気に破られる恐ろしさを感じました。昨日と同じ今日ではない時を感じました。そして、準備をし、備えておくべきことをたくさん感じたのでした。





 三月の終わりになって、まもなく卒業の時となりました。卒業するAぐみさんも、毎年大きく違います。

 本当に、個性的なクラスだったのです。
 なんと言いましょうか、個性というものはオリジナルなものなのですが、一人ひとりの個性が、あまりにもオリジナルな個性でした。
 そのクラスのことや、それがために心がけてきたことは、蘭子先生の「職員室から」に譲ります。けれども本当に、七尾幼稚園にとっての久しぶりの、超個性的なクラスだったからこそ、教職員全員で、工夫の方法を考えたクラスでした。そしてそうだからこそ、保育者達が良く育ったクラスだったのです。

 男児十一名、女児九名の二〇名のお部屋。
 保育者は担任の北原先生に、副担任は副主任兼任の澤田先生。二人の保育者は、去年は澤田先生が担任で、新人の北原先生が副担任でした。北原先生にとっては、初めての担任のクラスが、このAぐみさんでした。
 このクラスがCぐみさんだった時、このクラスを初めての担任として持ったのが、鳥越先生でした。そして、このクラスが、Dぐみさんだった時、堂脇先生が担任のクラスの副担任が、新人の鳥越先生でした。
 さらに、鳥越先生がCぐみの担任だった時に、副担任だったのは、新人の宮田先生だったのです。


 北原先生、鳥越先生、宮田先生の三人が、副担として学んだのが、このクラスでした。また、北原先生と鳥越先生が、初めての担任としてこのクラスの子どもたちと共に過ごしたのでした。


 七尾幼稚園のどの先生にとっても、このクラスの子どもたち一人ひとりのことを語れるクラス。七尾幼稚園のどの先生にとっても、自分がこのクラスの担任だったかのように思えるクラス。
 苦労のしがいのある、おもしろいクラスでした。だから、感謝しているのです。

 東日本大震災のあと、共に生きてきて、昨日と同じ今日はない。今日と同じ明日じゃない。そんな、緊張感を持たないといけないなと、自覚していた時に、共に生きることができたAぐみさん。おんなじなんて、あり得ない。そんなことを体全体で語っていてくれたAぐみさん。
 みんなと共に、一緒にすごすことができて、園長先生は幸せでした。

 だから。

 七尾幼稚園に来てくれて、ありがとう。


(2014年3月20日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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