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「自然の恵みに感謝」



 園長 釜土達雄


 5月の連休明けから、梅雨までの今の季節。一年の中でも最も穏やかで、素敵な季節です。
 確かに素敵な季節であることは間違いないのですが、実を言うとこの季節、「カモガヤ」の花粉症のわたしにとっては、悲しい悪夢の様な季節なのでした。

 メジャーな杉花粉の花粉症の方々の苦しみは、横で見ていてわかります。杉花粉の時期になると、何人もの方がマスクをして、一斉に辛そうになります。「今日は花粉がたくさん飛んでいるんだなぁ」。はっきりとそうわかる様に、一斉に同じ症状が出ます。花粉症の話題も弾みます。薬局にも、花粉症対策の様々なグッズが、並んでいます。けれども、5月の連休が終わる頃には、花粉症の話題も少なくなり、薬局の花粉症コーナーもなくなります。そしていつのまにか花粉症は忘れられていくのです。
 5月の連休明けから梅雨までの今の季節はとても素敵な季節です。ところがその時期になってから、「カモガヤ」の花粉が飛び始め、この花粉症の人にとっては、苦痛の3週間が始まるのです。
 それにもかかわらず、「スギ花粉」と違って「カモガヤ」はメジャーではありません。この花粉症に苦しむ人は少なく、仲間もほんの少しです。マスクをしていると、「風邪ですか?」と聞かれます。花粉症の薬を買おうとしても、薬局の花粉症コーナーはなくなっていて、探さないといけません。同情されること少なく、自分で事前準備をして、こっそりと対処しなければなりません。
 なりたいわけではありませんが、「スギ花粉症」の方が良かったなぁと、こっそりと思います。

 今年も、自分にできる対応を、少しずつしてきました。幼稚園の駐車場の周辺にも「カモガヤ」は群生します。ですから、連休明けの、まだ花粉が飛んでいない夕方に、「草刈り」をしました。大量のカモガヤを花粉が飛ぶ前に処分しました。そうするとかなり状況は改善するのです。
 幼稚園の園庭にもカモガヤははえています。幼稚園の先生達が、少しずつ草引きをして下さいます。そうすると、かなり改善するのです。感謝しています。
 スギ花粉と違って、遠くから飛んでくるのではないので、近くのところを退治しておけば、かなり状況は改善します。ですから、早めに刈り取られて、花粉の時期には枯れているカモガヤを見ると、勝利感があるのも事実です。「カモガヤは大っ嫌い!」

 




 いえいえ、そんなに悪く言ってはいけません。「カモガヤ」に責任があるわけではありません。カモガヤとしては子孫を残すための自然の営みをしているにすぎません。「ちょっと群生しすぎなんじゃないの!」とは思いますが、がんばって生きているのですから、悪いわけではないのです。いけないのは、その花粉を異物として反応してしまうわたしの身体が悪いのです。わたしの身体が反応さえしなければ、お互い良い関係になれるはずなのですから。


 

 人間とは身勝手なものなのだなぁと思います。自分の都合でしか考えないことがあるのです。


 学生時代に、「腐敗」と「発酵」の違いについて学びました。どちらも微生物によって蛋白質やデンプンなどが分解されていくものなのです。
 けれども、同じように分解されていく時に、人間にとって利用価値があるものと、利用価値がないもの、さらに害になるものができてきます。そんな時に人は、自分たちにとって価値があるものは発酵と言い、自分たちにとって害になるものや利用価値がないものは腐敗と言いました。
 学生時代に教えを受けた醸造学の先生は、「どっちも微生物ががんばっている。いつか、腐敗だとわたしたちが思っている微生物の働きから、有益なものが発見されるかもしれない。だから、どんな微生物の働きにも、感謝を持って学びなさい」と言っていました。きっとそうだろうと思うのです。



 人間とはつくずく身勝手なものなのだなぁと思います。自分の都合でしか考えないものなのです。

 自然はとってもすばらしいものだけれど、自然の中にあるものだからと言って、全部がすばらしい訳じゃない。
 


 ススキの葉っぱは鋭いナイフのようです。わかっているのに触ってしまい、何度も手を切って痛い思いをしました。おもしろがって藪の中を歩いてしまい、たくさんの葉っぱに触ってしまう。どれがどうなのかはわからないけれど、あちこちに傷ができて、手も足も痛くてかゆくなりました。その結果、藪の中を歩いてはいけないこと、夏の暑い時でも、長袖で、長ズボンで遊ぶことを教わりました。秋も深まり、暖かいセーターで同じように野山を歩くと、たくさんの種が毛糸に絡んできて、それを一粒一粒取るのがとても大変でした。



 小さい時に、祖母や祖父から、いろんなことを教わりました。特に食べられる植物と食べられない植物を教わりました。
 ワラビやゼンマイ、みずぶきなどは、春の山菜料理に出てくる自然の植物。売れるからと、いっぱい取りました。
 イタドリは、春の野山を歩く時の格好のおやつでした。夏には野いちごを摘みながら遊びましたし、秋はムカゴを食べながら遊んでいました。

 反対に絶対に食べてはいけないものや触ってもいけないものも教わりました。
 彼岸花、球根は毒物が含まれているのですが、花も取るなと教わりました。猛毒のトリカブト。「毒だぞ!」と、厳しく厳しく教わりました。アジサイの葉っぱをふざけて口にしたら、「アジサイの葉っぱはかじると、おなかをこわす」と教わりました。



 食べられる自然の植物は本当に少なくて、毒なるものや、とげのあるもの、手を切る程に鋭いものなどいっぱいです。なんで、こんなに食べられないものが多いのだろうと、不思議に思って祖父に聞いてみたら、
 「そりゃ植物だって、食べられたくはないだろう」。
 考えてみればあたりまえでした。


 

 自然にはたくさんの恵みがありますが、自然のすべてが、わたしたちにとって便利にできているわけではありません。動物であれ、植物であれ、わたしたち人間に都合の良い様にできているわけではありません。

 食べられたくない植物たちの中に、食べられる植物がありました。食べられたくない植物の中から、食べられても良い決断をした植物たちを大切にして、栽培するようになりました。それを品種改良して、農作物となりました。少し大規模に育て、農業が生まれました。
 お店で売っているお野菜は、本当に限られた食べられる植物たち。しかもお野菜は、その身体の一部、葉や茎や根。あるいは、果肉であったり、種や球根の部分であったり。要するに命の部分なのでしょう。

 わたしたちは、命を頂いて生きている。好き嫌いはいけないという前に、命を頂いている感謝が、何よりも大事なのでしょう。


 だからこそ、
 「(命)いただきます」
 食前の感謝が、必要なのでしょう。
 



 幼稚園では、夏野菜の親子当てクイズをし、夏野菜を植えました。これから野菜ができたら、野菜の収穫体験をします。
 「なす」「ピーマン」「トマト」「ミニトマト」「枝豆」「ゴーヤ」「落花生」などなど。自然の恵みを感謝しつつ、食べても良い食べ物を確認し、感謝の心を持って、食したい。
 子どもたちと一緒に、確認していきたいと思います。



  
(2013年5月27日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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