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「税と社会保障の
    一体改革について」



 園長 釜土達雄

   
 社会保障と税の一体改革関連法案が、6月26日の衆議院で可決されました。

 提出された8法案の内、記名投票となったのは3つありました。そしてそのうち、社会保障制度改革推進法案は賛成378票、反対84票、認定子ども園改正法案は賛成377票、反対85票、消費増税を含む税制抜本改革法案は賛成363票、反対96票で可決されたのです。
 
 
 消費税に関する法案は、多くのマスメディアで取り上げられていますから話題になっていますし、また政局に絡む話題も多く取り上げられています。けれど、認定こども園を改正する法案は、小さな取り上げられ方です。
 それでも、 七尾幼稚園にとって深く関わるのは、「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律の一部を改正する法律案」。すなわち、「認定こども園改正法案」です。特に、「総合こども園」と言う名称で、幼稚園と保育園を一体化させようとする試みには、わたしも緊張感を持って関わることになりました。そうであるが故に、様々な勉強会で講師を務めることになりましたし、パネルディスカッションの一人として名前を連ねることにもなったのです。



 石川県に認定こども園は7園あります。その内の3つは七尾市にあります。その内の一つが七尾幼稚園です。
 認定こども園は幼稚園と保育園の両方の制度を持った園として、保育能力や施設などが審査されて県によって認定される園のことです。七尾幼稚園は本来幼稚園として満3歳児以上の子どもたちを保育する幼稚園ですが、その園の保育能力や保育士の配置状況、園舎の充実状況が審査されて、未満児の子どもたちも保育所と同様に保育する能力のある幼稚園として、石川県の認定を受けた幼稚園なのです。すなわち未満児保育を行うことを、公けに認められた幼稚園の一つが、認定こども園七尾幼稚園なのです。







 



 認定こども園の制度が始まったのは、2007年4月でした。2006年12月から準備が一気に始まったのですが、七尾幼稚園は、認定こども園制度が検討された時から、その認可に向けた準備を始めていました。そして、法律が整った段階で、すぐに申請したのです。
 ところが、その七尾幼稚園の園長であるわたしは、今回の「総合こども園」への制度改革の時には、「総合こども園構想」の最初の時から反対しました。「認定こども園」には賛成だったのに「総合こども園」には反対。そんなわたしの立場の違いが知りたいということで、いろんなところで小さな勉強会に招かれてお話をしなければならなかったのです。
 そして今、「総合こども園」はその制度設計は継承しつつも、その考え方は「認定こども園」の考え方をその中心とするということになりました。それが「認定こども園改正法案」です。わたしは、とても良いところに落ち着いたと、感謝と共に、喜んでいます。















 そもそも、小学校就学前の教育と保育はいびつな歴史を歩んできました。
 第二次世界大戦前までの幼稚園と保育園は、名称自体が曖昧でした。幼稚園として認可された幼稚園が、歴史の中で何でそうなったのかよくわからない理由で保育園と名称が変わっていたり、第二次界大戦中に「戦時保育所」と名付けられたり。そうかと思えば、いきなり前の幼稚園の名称になっていたりしたのです。
 ところが、昭和でいえば30年代から少しずつ状況が変わってきました。幼稚園は文部省、保育所は厚生省の管轄であることが定着し始めたのです。補助金も少しづつつくようになってくると、それはさらに定着し始めます。
 もちろん、小学校就学前の教育と保育が、厚生省と文部省の二つに分かれているのは異常でした。それでもそれを是正することができなかったのは、子どもの数が多すぎて、目の前の保育所の数量確保が直近の課題となっていたからです。
          
 2007年から始まる認定こども園の根本的な発想は、この「小学校就学前の教育と保育が、文部科学省と厚生労働省に分かれて良いのか」という問題でした。別の表現をすれば「保育に欠けていれば保育所」、「保育に欠けていなければ幼稚園」。すなわち、@「保護者の生活スタイルによって子どもたちの生活の場所を幼稚園か保育園かと選別して良いのか」という問題でした。
 保護者の皆様の生活スタイルに関わりなく小学学生は小学校に行くように、小学校就学前の保育も、幼稚園と保育園に選別されるのではなく、同じであるのがよいのではないか。そう考えられたのです。これが認定こども園の基本的な発想でした。
 認定こども園は、@の視点から制度設計されました。幼稚園のものの見方がその中心に据えられて、「こどもの育ちの観点から」認定こども園は制度設計されたのです。









 
















 ところが、「認定こども園」の制度設計にはこのような純粋な思いだけがあったのではありません。社会状況の難しい問題の解決も担わされました。それが、A少子化の進行とB待機児童問題でした。
 認定こども園このABの課題があったにもかかわらず、「子どもの育ちの観点」が重視されていました。そうであるが故に、ABの社会状況に十分な対応ができませんでした。認定こども園になる園は少なく、待機児童問題には解決が見えず、少子化問題も解決しませんでした。そこに、認定こども園ではなく「総合こども園」構想が生まれてくる理由があったのです。

 「総合こども園」は、少子化対策と待機児童対策がその中心となりました。「子どもの育ちの観点」は、様々な文言として出てきましたが、その中心ではありませんでした。
 「認定こども園」を制度設計したのは文部科学省でしたが、「総合こども園」を制度設計したのは厚生労働省でした。それぞれの省庁の個性が出たのかもしれません。




 わたしは0歳児1歳児2歳児は厚生労働省が中心となって、保育園が中心に担当すべきだと考えてきました。また、3歳児、4歳児、5歳児は子どもの育ちの観点から、幼稚園が中心に担当すべきだと考えてきました。
 けれども、認定こども園と総合こども園が、@とABの間でゆれ動く様をみていて、やはり、大切なことは変えてはいけないと考えるようになったのです。0歳児、1歳児、2歳児であっても、子どもの育ちの観点は変えてはならない。考えるようになりました。

 「こどもの育ちの観点」は、つけたしとしてはならない。「仕事をするために邪魔な子供たち」という観点は、あってはならぬ。
 だから、「こどもの育ちの観点」がなおざりにされる制度設計には賛成できない。

 それが、わたしがすぐに「認定こども園」に手を上げたけれども、「総合こども園」には賛成できないとした理由です。


 今度の「認定子ども園改正法案」は、七尾幼稚園の考え方に近いのです。七尾幼稚園のような幼稚園に、さらに自由を与える感謝すべき委員会審議でした。
 どのような制度になろうとも、「子どもたちの育ち」を保育の中心に据えること。それが七尾幼稚園の保育であることを、再確認した一年でした。
  
(2012年6月29日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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