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「日常こそ、宝」



 園長 釜土達雄

   


 先週はあったかでした。
 幼稚園のお庭にお花が咲き始めていました。

 「お花が咲いてるよ!」

 幼稚園のお庭に飛び出していった子どもたちの大きな声が聞こえてきました。

 



 子供たちが見つけてきたのは、黄色いクロッカス。AぐみさんやBぐみさんが水栽培で観察してきたクロッカスを、春になってお庭に植えてきたものです。何年も何年もかかってあちこちに球根が育ってきました。それがいつも幼稚園のお庭に一番に咲き始めます。
 不思議なのは黄色いクロッカスがいつも最初だということ。紫のクロッカスや白と紫のミックスのクロッカスも同じように植えているのですが、なぜか黄色いクロッカスばかりが最初に花をつけるのです。
 「お花が咲いてるよ!」
 そんな一言で、子どもたちがお花のまわりに集まってきています。
 「クロッカスだ!」
 「クロッカスのお花が咲いたよ!」

 そんな声を聞いてわたしも幼稚園のお庭を探検です。
 「クロッカスが咲いたと言うことは、あれも咲いたかな?」
 あれというのは、「おおいぬのふぐり」。春になるとどんな所にも生えている小さな青いお花の雑草。園長先生お気に入りの雑草です。春一番に咲き始める雑草なので、子どもたちに最初に教えるお花の名前です。あんまり聞き慣れないお花の名前なので、呪文のようにその名前を繰り返します。「おおいぬのふぐり」「おおいぬのふぐり」。何度も何度も繰り返しますから、いつのまにか覚えてしまうお花の名前なのです。
 けれども残念。先週はまだ見つかりませんでした。週の後半はかなり暖かだったけれど、やっぱりまだ早かったかな。そう思いました。


 週が改まった日曜日。3月11日は東日本大震災から1年の時でした。
 地震・津波・原発事故。あまりにも大きな災害が起こって1年がたちました。その時を忘れないようにするために、また多くの犠牲者の方々の冥福を祈るために、そして、復興の決意を新たにするために、日本全国で祈りの時がもたれました。
 テレビは特集番組を組み、新聞も特別紙面の作成でした。わたしも、新聞を読み続け、テレビの特集番組に見入っていました。そして、多くの人々と同じように、祈りをあわせる時を持ちました。

 わたしは自分の役職上、二度この地域を訪問いたしました。一度目は二〇一一年四月十四日〜十六日で、福島市と須賀川市を訪問しました。その地にある幼稚園と保育園を訪ね、お話を聞き、祈りを共にしてきました。いわき市にも訪問したかったのですが、かないませんでした。多くのボランティアの方が活動していて、ホテルは満席、民宿もいっぱいで、宿泊場所がなかったのです。乗用車での移動で、新潟から高速道路で入りましたが、夜は新潟に戻って宿泊し、翌日再び福島に向かうことになりました。その間何度も緊急地震速報で車を止めました。まだ一ヶ月。そんなに時間がたっていなかったのです。

 二度目は、九月十二日から十四日にかけてでした。十二日の朝に小松空港から仙台空港に向かい、その後仙台から海岸線を通って盛岡に向かいました。地震と同時に、津波の被害を受けた幼稚園・保育園などを訪問し、お話をお聞きし、祈りを共にすることが目的でした。
 地震と津波。東日本大震災から半年が過ぎていましたが、その被害の様子がまだ生々しく残っていました。しかし一方では、非日常の中に、日常が取り戻されてきていて、復興の途上にある様子をお聞きすることができたのは、感謝でした。
 津波のきたところにはなにもなく、その反対に少し小高い丘にある家並みは、一見ほとんど損傷を受けていないように感じます。そこには洗濯物が干してあり、普通の日常生活があるのです。リアス式海岸のアップダウンの激しい道路を車で走りながら、津波でのすさまじい被害の場所と、日常生活がそのまま存在している場所とを何度も何度も繰り返し通り過ぎることになりました。それは実に不思議な感覚で、そうであるからこそ、津波被害の悲しみを感じましたし、ごく当たり前の感謝すべき日常を感じたのです。

 あの東日本大震災から一年。私たちにできるお手伝いを、これからもし続けていかなければならないでしょう。そして同時に、私たち自身が災害への備えを怠ってはならないとも思いました。本当にいろんな事を考え、思い、祈りをあわせた3月11日だったのです。



 日曜日だった3月11日の午後からは急に雲行きが怪しくなり始めました。12日は終日嵐で、13日の朝には、雪が積もっていました。
 先週の暖かな幼稚園と一気に雰囲気が変わって、冬に逆戻りです。こんな風に暖かくなったり寒くなったりすると身体にこたえます。どうも体調がいまいち、思わしくありません。


 そんな園長先生とは全く別に、幼稚園の子どもたちは元気です。
 幼稚園に顔を出すと、いつものように元気な子どもたちの声が聞こえてきます。
 特にAぐみさんは、思い出の一年として、オペレッタをやったり、ピアニカをしてみたり、よさこいを踊ったり、ドッチボールや、びりびりボールをしてみたり。今年度一年間でやってきたことを、子どもたちのリクエストにしたがって、もう一度やってみていました。
 「よく覚えているなぁ!」
 感心しきりの園長先生を横目に、ばっちり決めてみせるAぐみさんでした。

 卒業式間近の幼稚園の日常。
 いえいえ、それがたとえ卒業間近でなかったとしても、このあまりにもにぎやかな幼稚園の日常が、わたしは大好きです。
 日常こそ、人生そのものであり、日常こそ人生の宝であり、日常こそ生きている時間そのものなのです。


 



 東日本大震災から1年目のあの日、多くのカメラが罹災した子供たちにインタビューしていました。
 「大きくなったら何になりたいですか?」
 それに対して答えていた子供たちがたくさんいました。
 「消防士」「おまわりさん」「お医者さん」「自衛官」「人の役に立つ仕事」「困っている人を助ける仕事」「人に勇気を与えられる仕事」・・・。
 地震や津波を経験してみて、自分で考えたのでした。とっても良くわかります。
 それは、人々の日常を支える仕事。
 また、人々の日常を取り戻すための仕事。
 それが、日常では考えられない経験をした子供たちの思いだったのでしょう。

 日常を大切にすることが、なによりも大事なのです。


 卒業するAぐみさん。
 先生は、何気ない毎日が大好きでした。みんなと泣いたり笑ったり、普通の毎日が大好きでした。特別の行事があるように思えた日でも、それは普通の毎日にするために工夫していました。
 発表会なんて言葉は使いませんでした。「たなばたさまの会」であり、「クリスマス会」であり、「おひなさまの会」でした。「運動会」だって、「運動会ごっこ」ってよんでいました。毎日繰り返される運動会ごっこの一コマが、運動会。幼稚園の保育計画には、そう記載されていました。だから、練習という言葉だって使いませんでした。運動会の練習じゃなくて、「ひとりでやっても楽しいけれど、みんなでやるともっと楽しい」運動会ごっこの、一コマだったからです。
 日常こそ宝です。
 そしてその日常を守るために、たくさんの人が支えて下さっているのです。そして幼稚園では、お家の人が、一生懸命、幼稚園の日常を支えて下さったのです。

 Aぐみさんがいつか大きくなって、日常がつまらないと思える時が来るかもしれない。
 でもその時、自分が小さな時に、日本に大きな災害があって日常を取り戻すために、みんなががんばった時があるのだと、知っていて欲しいと思います。
 毎日の幼稚園での日常生活を支えるために、お家の人も、まわりの人々も、たくさんたくさん手伝って下さったのです。

 日常こそ宝です。
 そんな幼稚園の毎日を、共に過ごすことができたAぐみさん。

 卒業、おめでとう。
(2012年3月16日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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