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「変わらないもの
   変わったもの」


 副園長 釜土 蘭子

 
   


 幼稚園園舎の一部の改築に伴って、玄関に仮の壁ができました。
 
 工事の時だけの壁ですから、簡単なボードです。「幼稚園の玄関なのに、かわいくないね」、そんな教師達との会話の中で、せっかくだからこの仮の壁も有効に使おうということになりました。木の板ですから、画鋲を簡単にさすことができます。
 夕涼み会の時には、ドラえもんと花火の絵を貼りました。2学期になってすぐには、遠足を控えて、いろんな動物の写真を貼りました。遠足が終わると、「いちねんまえのうんどうかい」の写真を貼りました。
 「いちねんまえのうんどうかい」、そこで、子供達は去年の自分の姿を見つけます。また、去年のAぐみさんは何をしていたんだろう?と思い出します。写真でイメージをつかんで、今年自分たちが何をするかという相談に臨んでほしいなと思ったのでした。

 そして、今は「ななおようちえん 運動会むかしむかし」を貼っています。そこには昭和初期?から2年前までの七尾幼稚園の運動会の写真を貼りました。

 年代順にはしないで、なんとなく同じような種目を集めて貼ってみました。
 
 改めて、「七尾幼稚園はしぶとい!」と自分で思います。おかしいほど、変わらないものがあるのです。

 開会式の並び方、どうもずっと一緒です。

 小さいお友達のかけっこ、本当に変わりません。よーいどんで走る。これほどシンプルな競技はありません。園舎は変わりましたが、だいたいどのあたりがスタートラインで、だいたいどこがゴールかというのは、全くといっていいほど変わっていないのです。
 玉入れ、も変わりません。さすがにネットは数年前に新しい物に変わりましたが、本体はずっとずっと同じ物を使っています。赤と白に分かれてみんなでする玉入れという形式は変わりようもないのです。みんなで玉をなげて、数を競う。何個入ったかを「いち、にー、さん」と大きな声を出して数える。一緒に数えることで、数を学ぶ。その流れはかわりようもないのです。

 つなひきは、一本杉に幼稚園があった時からしていたようです。その年代によって、何組さんがしたのかは変化があったようですが、かけっこ同様、ルールも変わりようもなく、よいしょよいしょと引っ張る姿は、五〇年前の子供も今の子供も同じです。お友達とかけ声をかけあい、力をあわせてひっぱる。それだけです。

 大玉ころがしもずっと前からしてきました。物持ちが良いと言いましょうか、同じ道具をずっとずっと使い続ける七尾幼稚園。親子2代で同じ大玉を転がすということも珍しくはありません。毎年外側の紙は貼り直すので、若干模様が違うかなという年もありますが、基本的にルールも一緒、そして玉を転がすコースも一緒です。

 跳び箱をとぶ、のもずいぶん前からの定番です。Aぐみさんになったら、跳び箱にチャレンジする、Cぐみさんの時からそう思っています。
 毎年のプログラムがほとんど変わらないからこそ、子供達はAぐみさんになったら・・・をすると楽しみにしているのです。

 
 けれど変わらないものばかりではないのです。

 今では「おおきくなったら何になる?」という種目があります。年長さんが自分が将来なりたい扮装に変身するものです。けれど前園長の時代は、実はなりたいものになるのではなく、その日走ってくじをひいて、そのくじに書いてあるものに変身するものでした。ですから、自分の意に反してコックさんになったり、王子様になったり、酒屋さんになったりしたものでした。それをせっかく変身するなら自分のなりたいものになる方が良いのではないかという事になり、「大きくなったら何になる」という競技になりました。そうそう、20年前は実はみんなの前で着替えていたのです。でも園児が増えてきて、それはちょっと時間がかかりすぎるという中で、だいたい着替えてきて登場するという今のパターンに変わりました。

 現在の七尾幼稚園のプログラムの中で、最後に加わったのは、パラバルーンと組体操です。
 パラバルーンは、他の園ではすでによく行われていました。が、当時の七尾幼稚園にはパラバルーンがありませんでした。残念ながら備品購入の予算もあまりありませんでした。どうしようかなと思っていたら、ベルマークで購入できることがわかりました。当時の母の会の方々と一緒にベルマークをいっぱい数えてパラバルーンと交換しました。パラバルーンが来た最初の年は、園児があまり多くなかった事もあって、年長さんだけではなく全園児でバルーンをしたのでした。その後だんだんバルーンの使い方がわかってきて、現在のような形になっています。
 
 組体操が始まったのは、年長さんの人数がヒトケタだった時の事でした。9人ではダンスをしてもどうもピンと来ない。そんな時、9人だから、3人組が3つできるということで、3人でいろんな形を作る組み体操の形式が試みられたのでした。一度やってみるとダンスとは違ったおもしろさがあり、年長さんの定番になっていきました。

 ダンスといえば、昔は幼稚園用の楽曲しか使いませんでした。テレビの曲といっても「おかあさんといっしょ」や「ポンキッキ」ぐらい。テレビアニメの主題歌を使うのは御法度だったのです。けれど、子供達が一番歌いやすい曲がいいのではということで、使ってはいけないと禁止するのではなくて、むしろ積極的に使う方がいいのではないかと言うことになりました。
 そのうち、アニメの主題歌だけではなく、いろんな曲も使用してきました。「愛は勝つ」「どんなときも」・・・。今でもその曲を聴くと、なんだかその時の子供達の顔が浮かんで懐かしく思います。

 そうそう、昔の写真を見ていただければ、服装の変化にもビックリされるかもしれません。昭和三〇年代の七尾幼稚園。みんななんだかお坊ちゃん・お嬢ちゃんスタイル。フリルのついた白い靴下に革靴で運動会なのです。お母さん達もハイヒールにワンピース。これでどうやって動くの?という感じです。その頃していた子供達は疑問に思わなかったのでしょうが・・・。先生達もスカートだったりするのです。今では考えられませんね。

 そして昔の写真にはまず「お父さん」は写っていません。ダンスは必ずお母さんと一緒。お父さんは見学に来る方もほんの数人という感じに見えます。それが今ではどうでしょう。ダンスも親子競技も、お父さんがよく参加してくださるようになりましたね。これはここ数年の嬉しい変化だと思います。

 写真の中には、ホールで玉入れやパラバルーンをしたものもあります。朝は晴れていたのに、突然雨が降ってきてしまったのです。実はその頃、雨天の為に体育館を借りていました。けれどその年はあまりにも突然の天候の変化で、会場を移すことさえできませんでした。そこで苦肉の策として、ホールでの運動会をしたのでした。
 狭いスペースでの運動会。大人達は右往左往しましたが、子供達はいつも過ごしているホールは、活動しやすい場所。ちょっと並ぶところが違っても楽しそう競技を続けました。パラバルーンだって、ホールでやろうと思えばできたのでした。
 雨が降ってもこの場所でする方が子供達の為にはいいのではないか。
 大人は見づらいかもしれない。でも毎日の「運動会ごっこ」の延長線上に「運動会」があるのだから、「運動会」だけ別の場所でするという事はできない。見栄えより子供達がいつも通り普段通りすることが大事、それなら同じ場所でしなくてはいけない。
 あの雨の運動会以来、七尾幼稚園は雨天の場合の体育館を借りることをやめました。
 その後、何度か途中雨に降られた運動会がありましたが、プログラムをちょっと変えたりしながら、この場所で続けています。

 変わった事と変わらない事。

 いろいろある、七尾幼稚園の運動会。一番変えてはいけないことは、何の為の誰の為の運動会かということです。
 七尾幼稚園の運動会の日は、練習の成果を見せる発表の場ではありません。その日うまくできることが目標ではありません。だから七尾幼稚園の運動会は見栄えはあんまりよくないのです。
 運動会までの毎日、「運動会ごっこ」を十分楽しんで欲しいと思います。そして、運動会が終わった後も「運動会ごっこ」をいっぱい楽しんでほしいと思います。

 時代が変わっても、歳月を経ても、「お友達と一緒にした運動会は楽しかったね!」、そう思い出せる運動会であっても欲しいと思います。そして、二〇年後も、三〇年後も変わらない、「七尾幼稚園の運動会」であり続けたいと願うのです。 
(2010年9月30日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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