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「ハンドベルクリスマスコンサートを
        聴きながら」


 園長  釜土達雄

 北陸学院小学校 ハンドベルクリスマスコンサートが七尾幼稚園のホールで開かれました。十二月十二日の午後一時三十分からのことでした。ハンドベルクラブの五年生・六年生総勢二十名が演奏を披露してくださいました。

 ちゃんと準備をしたわけではありませんでした。いったい何人の方が来てくださるのか、心配でした。ところが思いの外多くの方が来てくださって、びっくりでした。大人だけで約五十名。高校生以下、幼稚園の子どもたちまで含めて約五十名。合計一〇〇名の方がこのハンドベルコンサートを聴きに来てくださったのです。

 このコンサート、いきなり決まったのです。

 今年は日本にプロテスタントのキリスト教が伝道を開始して一五〇年の記念の年。石川県でも金沢教会でその記念の時がもたれたのです。十一月二日のことでした。その記念の集会に出席した蘭子先生がその日のブログに「途中コーラスやハンドベルの演奏も賛美の声も満ちた集会だった。ハンドベル演奏を聴きながら、なかなかそんな機会のない、七尾教会の会員の顔が浮かぶ。こんな演奏を聞いたら喜ぶだろうな・・。」と書いたのです。このときのハンドベル演奏をしていたのは北陸学院大学のハンドベルクラブでした。その後、このブログを読んだ北陸学院小学校ハンドベルクラブの指揮者から三日の夜に電話があり、「十二月十二日なら空いてるよ」。こんないきさつでした。

 幼稚園などで使うミュージックベルとは違う、いわば「本物のハンドベル」の音を、生で聴かせてあげたいという思いは、いつもあったのですが、なかなかそのようなチャンスもありません。北陸では北陸学院だけのはずだし、小学校・中学校・高校・大学のハンドベルクラブがあっても、クリスマスシーズンは、スケジュールが目白押しのはずでした。それが、十二月の第二土曜日が空いているなんて・・・。そんなこんなで、手続きが始まり、準備が始まったという訳なのです。

 コンサートがなされた理由はともかくとして、ハンドベルの演奏は見事なものでした。
 二〇人の小学生たちが、右手左手を操って、全員で一つの音色を作り出す。一人でメロディを奏でるのではなくて、みんなで協力しないと音にはならない。それがハンドベルなのです。まさに「天使のハーモニー」、「天使たちの働き」なのでした。聴きに来てくださった多くの方に、お褒めをいただきました。本当にうれしく思いました。




















 









 ところが今回のハンドベルコンサートには、別の楽しみが皆さんにはあったようで、わたしはそちらの方が大変困っておりました。
 いったい何かというと、この北陸学院小学校ハンドベルクラブの指揮者こそ、わたしの実の弟だったのです。

 「本当に似ていますね」。
 「動きがそっくりでした」。
 「おしゃべりなところも同じで・・・」。
 たくさんの方にお声をかけていただきました。似ているのは兄弟ですから致し方ないとして、わたしが兄であって、彼が弟。ですから、わたしが彼に似ているのではありません。彼がわたしに似ているのです。間違えてはいけません。

 もう一つありました。それは、ハンドベルの演奏には、曲と曲との間に、少し時間があるということです。ベルの配置や、演奏者の変更など、場所移動があるので、その間指揮者は結構いろんなことをしゃべっちゃうのです。そのときに、ここぞとばかりに、わたしのこともネタに話し始める。何を言い出すのやらと心配で心配で・・・。まぁ、最もわたしが金沢に行ったときには、わたしが同じことをやっているのですけどね。


 わたしと弟は五つ違い。わたしが小学校六年生の時に、彼は一年生でした。二人兄弟ですので、他に兄弟はいません。
 五つも違うのですから、親の対応も全く違います。誰が見ても、小さな子にはに対しては配慮に満ち、大きな子には小さい子をちゃんと見ているようにとの指示が多いのです。
 お出かけの時に彼をちゃんと見ているのがわたしの仕事でした。彼が泣くとわたしの責任。彼が怒ると、わたしの失敗。彼が迷子にでもなろうものなら、それはもう大変な出来事でした。大慌てで探して見つけて、ちょっと大きな声で叱って泣かれれば、もっと大きな声で叱られるのはわたしだったのです。

 だいたい、一緒に遊ぶということが無理なのです。遊びの中身が違います。彼にあわせて遊んであげれば、それはわたしがつきあってあげていたということでしたし、彼がわたしのやろうとしていることを彼がやろうとしても、それは全く不可能なことだったのでした。
 ところがそれでも何か違和感があったわけではありませんでした。お兄ちゃんはソンだなどとも思いませんでした。年齢が違いすぎて、あまりにも当たり前のことにように思えたのです。

 わたしたち兄弟は年齢が違うだけではありません。個性も全く違います。
 お気づきになったかもしれませんが、弟は活動的で、人なつっこく、実に社交的です。昔から、たくさんの友達に囲まれ、みんなでわいわいと行動していました。高校時代もブラスバンドでトロンボーンをふいていましたが、三年生になってからは部長で、前に立って指揮をしていました。みんなで行動するのが大好きだったのです。
 反対にわたしは、一人で活動するのが大好きです。友達と行動を共にするということもあまりありません。だいたい漫才ではなく腹話術をやろうとするくらいですから、一人で行動してしまうのです。活動的で社交的に思われがちですが、実際は一人でこつこつ何かに熱中するのが大好きな、オタク系だったのです。

 わたしの両親はいつも、「なんでこんなに性格が違うんだ!」と、ぼやいていました。「弟の方はわかりやすいのに、兄貴の方はわかりにくい」「難しい」とぼやいていました。「ほっといてくれればいいのに」とわたしは思っていましたが、きっとそうもいかなかったのでしょう。わたしに対していろいろ話しかけたり、行動したりして、いつも失敗してしょんぼりしていました。それは、今でも変わらないのです。










 弟の方もかなり気を遣って弟をやっていたらしく、わたしのいるところでの彼のスピーチの定番は「わたしはあの兄のもとで、生まれてからずっと弟をしています」。するとみんなが感心したように、「それは大変でしたねぇ・・・」。弟の連れ合いは、「わたしは義理で妹をしています」。
 みんなもっと他の言い方はないのかい!と思うのですが、わたしは話題の中心になるのは別に嫌いではないので、それはそれなりにうれしいのです。だいたい、悪口を言われていてもいいから、話題に上りたいなどと思うタイプなのですから、やっぱりちょっと変わっているかもしれません。

 男の子同士でも、兄弟はかなり違います。そこに女の子が加わり、年子だったり、少し間があいていたり、自己主張の強い子だったり、控えめな子だったり・・・。とにかく子どもたちの年齢や構成が違いますから、すべての子どもたちの兄弟姉妹の環境は違います。だからこそ、子育ては大変なのです。ひとりの子のことを理解するのも大変なのに、兄弟姉妹の関係の中で考えなければならないのですから、本当に大変なのです。
 けれども長い間兄として生きてきて、一つだけ感じていることがあります。それは、「長男長女は、他の子よりも2倍愛情表現をしないと、他の子と同じにならない」ということ。
 他の兄弟と同じに扱われたり、信頼できるからとあてにされたりしていると、親の思いは別にして、長男長女は、寂しい思いをしています。自分の立場はわかっていますから、何も言わないのだけれども、寂しい思いをしています。本当はそうなんだと、そんな風に思います。

 そして兄であるわたしは、2倍の愛情を親からうけた経験はあまりないけれど、元気で明るく、人気者の弟を見ていて、「良かったな」と、いつも思っているのです。きっとそれが、長男長女というものなんだと、そう思っているのです。

 


(2009年12月18日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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