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「ないしょないしょの
      運動会の秘密」


 園長  釜土達雄

 今年の夏は、なかなかヘンな夏でした。7月末になってもなかなか暑くならず、8月上旬も暑くなくて、過ごしやすい気候が続いた夏でした。
 ようやく暑くなってきたのはお盆の頃から。幼稚園でもお水遊びが頻繁に行われるようになり、遅い夏を、存分に味わうことになったのでした。

 こんな夏でしたから、昆虫たちもなんだかヘンでした。セミたちがこれを盛りと鳴き始めたのは、お盆過ぎ。もちろん夏の前半にもセミは鳴いていたのですが、何となく迫力もなく、鳴くセミの数も少なかったのです。
 お盆がすぎて、本来の夏のようなセミの鳴き声にはなったのですが、すぐに秋はやってくる。セミはセミでも、アブラゼミやミンミンゼミの季節は大変短くて、カナカナカナと鳴く、ヒグラシの季節が、とても長く感じた夏だったのでした。

 9月になると、幼稚園の二学期が始まります。「夏休み」が終わったことで、夏が終わった気分になります。そして、9月になってすぐにあったのは「秋の遠足」。秋がグッと身近になっていくのです。

 「秋の遠足」はのとじま水族館でした。楽しく過ごした遠足。その「秋の遠足」が終わると、幼稚園は「運動会」に向かって一気に気分が高まっていきます。


 秋の定番行事、運動会。ところが、七尾幼稚園の運動会には、ないしょないしょの秘密があります。

 Aぐみさんの「おおきくなったらなにになる?」。ほかの幼稚園ではほとんど見られないプログラムです。ずいぶん昔に、借り物競走で始まったはずなのに、今では「大人になって自分がなってみたいものを、発表する場所」になりました。もうすぐ小学生のAぐみさんに不可欠なプログラムとして定着しています。

 



 また、こんなないしょないしょの秘密もあります。七尾幼稚園は、運動会当日が雨天の時に使う代わりの体育館を押さえていないこと。子どもたちが毎日繰り返す運動会ごっこをしているその場所に、お家の皆様をお迎えしたいから・・・体育館は用意していないのです。最悪の場合は、順延を考えることになるのですが、今まで一度も順延したことはありません。
 そうだからこそ、たくさんのドラマがあったのです。途中で雨が降ってきて一時プログラムの中断。晴れてきたので、大急ぎで水かき。プログラムを続行したこともありました。それもできずに、プログラムの後半はずっとホールで行ったこともありました。
 七尾幼稚園の園庭で運動会をしたい。でも、順延はしたくない。今年も運動会までは天気予報とにらめっこです。

 いえいえ、実はもっとささやかなことだけど、七尾幼稚園が大切にしているないしょないしょの秘密があるのです。

 それは、この運動会の時期に、けっして「運動会の練習」という言葉を使わないこと。どんな場合でも、どんなときでも「運動会ごっこ」という言葉に、統一していると言うことです。

 なぜかと言えば、「運動会の練習」と言ってしまうとは、運動会の当日が目標になってしまうからです。運動会のその日に、ちゃんとできるように、うまくできるように、成功するように「練習」してしまう。「本番」は運動会当日で、その運動会の日に向かう毎日は、「本番」の日のための「練習」になってしまうでしょう。
 ところが、幼稚園の子どもたちにとっては、その「練習」の毎日こそが、「毎日の生活」そのものです。そんな子どもたちの「毎日の生活」を大事にする言葉はないだろうか?教職員が、目的とそのための手段を間違えないうまい言葉がないだろうか?そんな考えの中で工夫されてきたのが、「運動会ごっこ」という言葉でした。

 幼稚園の子どもたちの、毎日の生活は、「ごっこ遊び」に満ちています。まねてみて、イメージをふくらませてやってみる。そんな中で、この世でのいろんな生活を学んでいく。運動会もその中のひとつです。運動会当日は、「毎日繰り返される運動会ごっこ」の延長線上にあると理解したらどうだろう。そんな思いが、「運動会の練習」とよばないで、「運動会ごっこ」とよんでいる理由なのです。

 ですから、この運動会ごっこには、わたしたちの願いがちゃんとあるのです。

 「自分一人でやっても楽しいことはいっぱいあるけれど、みんなでやってみると、もっと楽しいことがいっぱいある。」

 だってそうでしょう。一人でやってみても楽しいことはいっぱいあるんです。幼稚園での生活も同じ。たとえお部屋でみんなでお絵描きをしても、たとえお部屋で、小さな製作品を作ったとしても、印菜でやっているように見えても、結局は一人ひとりのお絵描きで、一人ひとりの製作品です。
 けれど、運動会は一人ではできません。一人でかけっこしても競争にならないし、一人で歩いては行進になりません。お友達と一緒にやるから、楽しいのです。
 みんなでやる。だから運動会は、運動会になるのです。


 





 また、こんな願いもあります。

 「お約束を守らないと、楽しくないこともいっぱい。ヨーイ・ドン。お約束を守って一緒に走るから、かけっこはかけっこになるのです。」

 だって、そうでしょう。みんながてんでんバラバラに走っては、かけっこはかけっこにはなりません。「ヨーイ・ドン」の合図がとっても大事です。
 でも、合図だけがあってもいけません。「ヨーイ・ドン」の合図を、みんながお約束として守らなければ、合図は合図にならないのです。みんなで一緒に走る合図「ヨーイ・ドン」を、みんながちゃんと守ってこそ、かけっこはかけっこになる。運動会が運動会になるのです。

 運動会は、運動会のお約束があります。それが少しずつわかっていくことが大事です。そんなお約束のひとつひとつを知ることが、子どもたちの成長の証(あかし)なのです。


 運動会当日のがんばり。それはもちろんとっても大きな願いで、宝です。けれども、こんな風に毎日の生活の方を大事にしていますから、実を言うと、運動会当日には「ものすごく特別な思い」を持たないでいるのです。

 もし、毎日の運動会ごっこでちゃんと並べているのだったら、運動会当日、CぐみさんやDぐみさん、ましてやEぐみさんが並べなくても、まっ、いっか、という風に思います。だって、いつもできているんだから、その日できなくても良いでしょう。お母さんやお父さんがが幼稚園にやってきているのに、お母さんやお父さんが大好きで、そっちに行ってしまうのは、当たり前。もちろん、気持ちが落ち着いたら、ちゃんと並んでね。教師たちが、ときおり声をかけるのは、「もしかしたら、並んでくれるかも」と思うからなのです。「並ばせなくちゃいけない」と思っているのではありません。

 それでも、運動会当日は、お家の人が来てくださる特別の時。その日にちゃんとできたら、それはそれでもっとステキです。そこには「特別の思い」があるのは事実です。けれど、その日を「ものすごく特別な思い」を持たないで、「毎日繰り返される運動会ごっこの一こま」と考えて、でもお家の人がたくさん来てくださる「特別の思い」のある「運動会ごっこ」なのだと考えているのです。


 「毎日繰り返される運動会ごっこ」。だから、この運動会ごっこは、運動会が終わってからも続きます。
 Aぐみさんのダンスを、Bぐみさんがやってみます。小さかった頃やってみた大玉転がしをAぐみさんがやってみます。それを見たCぐみさんが、あまりの勢いに、目をまん丸にしています。運動会に向かう運動会ごっこが楽しかったら、楽しいぶんだけ、運動会が終わってからの運動会ごっこも楽しくなる。それは、笑いの起こる、ステキな運動会ごっこ。
 そして、Bぐみさんや、Cぐみさんは、来年自分たちのやる競技を、イメージしている。やってみたいと思っている。それが、運動会の毎年のつながりでしょう。
 同じ競技が、毎年毎年繰り返されるのは、子どもたち一人ひとりが、自分たちの運動会イメージを持って、運動会ごっこに入っていくからなのです。

 運動会にはたくさんの思いがあって、ないしょないしょの秘密もあります。ないしょないしょの秘密も知って、七尾幼稚園の運動会、お楽しみください。お待ちしています。



(2009年9月30日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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