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「いちごがりの楽しみ」


 園長  釜土達雄

 七尾幼稚園では年に何度か、収穫の為のおでかけをします。子供達が先生と一緒にバスに乗り、果物や野菜をとる。「いちごがり」「いもほり」「りんごがり」。それに「とうもろこし」や「白菜・大根」が加わることがあります。


 今では、野菜や果物がどんなふうにしてできるかが実感できなくなってしまいました。スーパーの店内で見かけるのは当たり前でもそれがどんなところにできるのかは知らない。それはとてもさびしいことだと私は思います。
 ふだん何気なく食べているものがどこからくるのか、どんなふうに実るのか、それを小さい子は小さいなりに受け止めてほしいな、そんな願いがあります。そして絵本やテレビで見るのではなく、実物に見てふれて食べてほしい、そんなふうに思うのです。

 そんな収穫のトップバッターが「いちごがり」です。いちごが最初だというのは、子供達にとっては嬉しいことです。なぜなら、いちごは、子供達にとって最もなじみのあるものです。そして自分で手にとってパクッと食べることができるものです。りんごだとむいてあげなくてはいけませんものね。

 七尾幼稚園が、「いちごがり」を始めたのは二〇〇一年からだったと思います。たまたま、当時の保護者会の役員会で、収穫体験の話になりました。そこで当時の役員の方が、能登島でいちご畑をしている方に頼んでくださることになったのでした。子供達とでかける前に見にいくと、そこは理想的ないちご畑でした。

 よくいちごがりというと観光農園だったり、ビニールハウスの中だったりします。それはいちごを食べて楽しむという目的ならよいのですが、「どうなって実るのか」も伝えたいということになるとちょっと困ってしまうのです。水耕栽培も困ります。土の上で、畑の中でできる姿を子供達に見せてあげたい。といって、あまり広すぎてしまっても大変です。紹介していただいたいちご畑はちょうどよい広さだったのです。

 最初は幼稚園側も、迎えてくださるいちご畑の方も、どういうふうにしたらいいのかさぐりながらのいちごがりでした。ですから最初の年はAぐみさんとBぐみさんだけででかけたのでした。でかけてみると、子供達がとても嬉しそうで、楽しそうでした。そして、迎えてくださった方もその子供達の喜ぶ姿を一緒に喜んでくださったのです。そこから毎年のおつきあいとなりました。少しずつ子供達が動きやすいように整備してくださるようになりました。最初は周りを囲んであるだけだったネットが頭上にもはられるようになったりしました。いちごがりが終わったら手を洗う所があります。そしてそこには子供用の小さな洗面器をおいておいてくださるのです。。
 途中一度だけ、体調を崩されていちご畑ができなかった年があったのですが・・・ 


 今年は5月15日、まずAぐみさんとBぐみさんと一緒にいちごがりにでかけました。いちご畑のおじさんとおばさんにごあいさつをしてから、いちごがりが始まります。

 まずはじめに私が一個食べてみます。その時子供達は「えー」とか「ずるーい」とか声をかけてきます。食べ方の説明もします。けれどAぐみさんやBぐみさんにとっていちごがりは初めてではありません。「そんなこと、知っているよ!」という顔の子供達がほとんどです。










 最初の一個をみんなで味わった後は、畑の中を自由に動いて食べていいよと言います。Dぐみさんから来ているAぐみさんにとっては4回目のいちごがり。どうしたらいいかよくわかっています。Cぐみさんから来ているBぐみさんだって2回目。どういうのがおいしいいちごが知らないはずはありません。ここでちょっと戸惑うのは、今年度になって七尾幼稚園にやってきた子供達。前の園でしたことがない「いちごがり」です。他の子供達がぱくぱく食べている中で、いいのかなぁというお顔でいちごに手を出します。けれどだんだんとお友達につられて、遠慮なく食べるようになっていきます。教師が言うよりも友達がいう方がずっとわかりやすいのです。
ある程度食べると、次は「だれのいちごが一番大きいか」という競争が始まります。一番大きいイチゴを求めて畑の中をいったりきたりする子供達。「ぼくのが大きい」:「わたしのが大きい」と比べあいを楽しみます。また、畑の中を歩き回るのが楽しくなってしまう子もいます。そして畑の上にかけられているネットが気になる子もいます。いちごの実だけではなく、葉っぱや花に興味を持つ子もいます。周辺の景色も含めて「いちごはどんなところに実るのか」を体験するのがAぐみさんBぐみさんのいちごがりです。


 ところが、CぐみさんとDぐみさんのいちごがりはまったく異なります。

 いちご畑に着くと「そこにいちごがある」ということがまず驚きです。目をまーるくして見ています。いちご畑のおじさんやおばさんにごあいさつした後、私が畑から一つとって食べてみます。するとその様子を口をぽかーんとあけてみています。「あれ、たべちゃった!」とでも思っているのでしょうか。いつもはお母さんが冷蔵庫から出してきて食べさせてくれるいちご。あるいはお弁当の時にデザートの入れ物に宝物のようにはいっているいちご。それが目の前にいっぱいあって、それを好きなだけ食べていいと言われる。これはとても不思議な事です。
 みんなで並んで歩いていって、いちごの前にしゃがんで、いちごがりがはじまります。しゃがんでみるといちごが目の前にあります。「とっていいですよ」と先生が声をかけても戸惑っている様子の小さなお友達。どれをとっていいのかわかりません。「赤いのをとりましょうね」と言われてもまだ悩んでいます。「こうやってとるんだよ」、そうお話しされてもどうしていいのか悩むのです。だって初めての経験なのですから。「これを食べてごらん」、先生にとってもらったいちごを口にいれてみて、それがいつも食べるのと同じいちごであることを実感します。そしてようやく自分でとって食べるようになるのです。
 
 けれどAぐみさんやBぐみさんのように歩き回ったりはしません。しゃがんだところで自分の目の前にあるいちごを食べます。目の前からいちごがなくなると「もう(いちご)ない」と訴えます。先生に「じゃあ、少しこっちに来てごらん」と言われて歩きます。いちごがたくさんあるところにくると、またしゃがんで目の前にあるいちごを食べるのです。じっくり食べるので、CぐみさんとDぐみさんの方が、いっぱいいちごを食べてたりするのですよ。


 数年前のいちごがりでこんなことがありました。Dぐみさんの女の子がいちごにむかってはなしかけているのです。
 「はなして、おねがい、はなして」
 泣きそうなお顔です。
 「どうしたの?」と声をかけると、「あのね、いちごさん、はなしてくれないの」というのです。その女の子はいちごがすっととれると思ったのでしょう。けれどいちごはいちごの苗とつながっています。小さいお友達にとってはつながっているものをポキッととる事ができないのです。いちごのお母さんが手をつないでいるいちごさんを放してくれないんだ、そんなふうに思ったようでした。私はそんな発想をした女の子が可愛くてしばらく様子をみていたのです。ところがそこに堂脇先生がやってきて、「こうするのよ」とばかりにいちごをとって、その子の手に渡したのです。渡されたいちごをもらってそのまま素直に口にしたらおいしい。そのうちにその子は迷うことなく、自分でとって食べるようになりました。けれど私にとっては急に現実の世界に引き戻されたようでした。


 同じいちごがりでも、年齢によってまたその子がしてきた経験によって、感じ方はずいぶん違います。体験の積み重ねによって感じること、学ぶことはより深くなっていきます。

 「土の上にできる、いちご」
「土の中にできる、おいも」
 「木になる、りんご」

 幼稚園の間に楽しく実感して欲しいと願っています。


(2009年5月22日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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