直線上に配置

「見分ける英知」


 園長  釜土達雄

 思いがけないほどの大雪が降った1月末。1月24日の夕刻には、雪がちらつく程度で、次の日にはそんなにつもるとは考えもしませんでした。ところが日曜日の朝にはすでに大雪。それが、日曜日一日降り続いて、月曜日には幼稚園バスでの送迎など、考えることも出来ないほどの大雪になってしまいました。その影響が火曜日・水曜日と続き、ようやく正常になったのは木曜日だったのです。
 なんだか変だなぁとは思っていました。
 日曜日の朝、七尾は大雪で大騒ぎをしているのに、日曜日の朝のニュースに雪のニュースは全くありませんでした。その日曜日、金沢で仕事があったわたしは、七尾から羽咋を経て能登有料道路、そして金沢に向かいました。七尾から中能登町までは大雪で、羽咋に近づくにつれて雪がなくなってくる。なんだか変だなぁと思っていましたが、能登有料道路を白尾のインターでおりて金沢に向かう道路には、雪がない!金沢市内は、道路が乾いていましたよ。これでは、ニュースになるわけがない!驚くことに志賀町にも富来にも雪は少なかったそうで、雪が多かったのは七尾とその周辺だけだったのです。

 なんだか変だなぁとは思っていました。その時の雪はやたらと重かった。
 雪が降り続くその状況に合わせてママさんダンプで除雪。普段はそれでだいたいは事足りるのに、あの日は気がついたらたっぷりとゆきが積もっていて、ママさんダンプの出る幕はありませんでした。必要だったのはスコップ。それでも重くて重くて・・・。あの日曜日の日、蘭子先生と新屋敷先生が何とか教師用の駐車スペースと送迎用の駐車スペースを確保するためにがんばっていたのです。それでもあの雪の多さは半端じゃなかった。業者の方に幼稚園の駐車場の除雪をお願いをしたのですが、業者の方も動けるはずもありませんでした。月曜日は学校がお休みになった中学生が応援に来てくれて、駐車場の除雪を続けることになったのです。感謝!業者の方が来てくれたのは、その次の日、火曜日だったのです。

 なんだか変だなぁとは思っていました。
 あんなに雪が降ったら、結構長い間残っているものなのに、除雪が進んだところから道路はすぐに乾きはじめました。除雪によって積み上がった雪も、暖かな風が連日吹いて、どんどんと溶けていったのです。園庭の雪も、たっぷりと雪遊びが出来るほどの雪だったのに、それが出来たのはその週だけ。次の週には、雪遊びが出来る状態ではなくなってしまいました。雪がたくさんあったのに、暖かい冬なのかな?そう感じたのです。


 なんだか変だなぁという思いは、今も続いています。卒業式間近のこの時期、二〇度を超える気温は、やっぱりなんだか変です。ツクシも最盛期が過ぎ、ふきのとうは大きな花になっています。桜の満開時期が全国各地で軒並み早くなりそうなのだとか。小丸山公園の桜まりは今年は四月十二日。その日が桜の散ったあとになったら大変です。
 地球温暖化?そんなニュースが、桜の開花時期の早まりに伴って語られています。

 わたしたちの願うことは本来、「昨日と同じ今日。今日と同じ明日」。何か大きな変化があることよりも、平穏無事な日常が、小さなトピックスはあっても良いけれど、平穏無事な毎日が続いていく。それがきっと願いなのでしょう。変化を嫌い、新しいことを恐れているに違いないのです。だから、「何か変だなぁ」とは思っても、それを些細なこととして、世間話や井戸端会議でおしまいにしてしまう。そうでないと、不安で不安で生きていられなくなってしまうのでしょう。



 昨年わたしは中学生時代の同級会に出てきました。若い時を知っていれば、その大きな変化を感じ取れる年齢に、わたしもすでになってしまいました。昭和三十年生まれの五十三歳。来年度には同級生のみんなが五十四歳です。
 同級会の中で一人ひとりの消息が告げられました。そして、みんなの拍手が起こる場面が何度もありました。
 「娘さんが結婚されました」。
 「初孫の誕生です」。
 「彼にはもう、五人のお孫さんがいますよ」。
 そのたびごとに、拍手が起こるのです。そして、それらの話題を肴にして、テーブルは盛り上がる。
 まだまだ若いといえども、隠しようのない年齢の事実。あこがれのマドンナもおばあちゃんになり、イケメンだった彼は、嫁ぐ娘の事でぼやいている。古い友人に会うその時は、古くからの友人を思いやるその時でもありました。

 「昨日できていた事が、
   今日できなくなる現実。
  昨日知っていた事を、
   今日思い出せない現実。」

 変化を願わなくても、変化の現実がある。
 変化を認めなくても、変化している事実がある。
 だから、それを受け入れなければならないのです。

 悲しい報告もなかったわけではありません。たかだか四十名のクラスの中で、すでに何人かがこの世を去っていました。今頃どうしているだろうと思っていたひとりが、そうだったことを何年もたって知ることは、とても残念な思いがしたのです。
 年齢を重ねるごとに変化を嫌うようになるのでしょう。年齢を重ねるごとに、変化を恐れるようになるのでしょう。
 大きな変化は当然のこととして、毎日の積み重ねの時間の流れそのものも、大きな変化となっていく。一日一日の流れが、変化そのものであって、その現実を受け入れなければならない出来事へと向かっていくのです。


 その点、変化を恐れないのは、若い人々です。

 「昨日できなかった事が
   今日できるようになる喜び。
  昨日知らなかった事を
   今日、発見し、知る喜び。」

 特に年齢が小さければ小さいほど、この喜びに満ちています。
 先日Cぐみさん・Dぐみさんと一緒にツクシ取りに行きました。幼稚園の園庭を出て、公園の遊歩道を通り、幼稚園の駐車場に向かいました。その一角はツクシの群生地。みんなでツクシの観察会です。
 「ツクシさんにそ〜っとさわってみましょう!ちょん!」
 みんなで一斉にさわってみます。
 「ツクシにさわったの初めてやぁ!」
 そんな言葉が聞こえてきました。
 「なんか、こなが出た!」
 ツクシの胞子も初めての体験です。「初めて!」が子どもたちの誇りですし、喜びなのです。

 帰りには再び小丸山公園の遊歩道を通って、園庭に帰ってきました。
 いえ、待ってください。公園の遊歩道にはえている「あおむらさきのお花」を採ってみました。「おおいぬのふぐり」。みんなに覚えてもらう大事なお花の名前です。

 そんな毎日の生活が積み上がって、今のAぐみさんがあるのです。
 毎日の発見、毎日の感動、毎日の出会い。それが積み上がって、経験して、体験して、小学校に向かっていくのです。
 たくさん経験したのですから、幼稚園の中の事はもうほとんどすべてがわかっています。だから自信に満ちています。もちろん小学校への不安がないわけではありませんが、不安に勝る成長の喜びが、今のAぐみさんに満ちています。

 「それ見たことある」
 「それやったことある」
 初めての経験、初めての出来事。それらがみんな、「発見」「感動「出会い」となって、子どもたちを形成していくのです。
 変化の不安に勝る喜びが、子どもたちの成長の力となっています。



 七尾幼稚園の玄関には、小さな色紙が掲げられています。ラインホールド・ニーバーという人の祈りとして知られる一文です。

『主よ
 変えることの出来るものは
 それを変える勇気を
 変えることの出来ないものは
 それを受容する心の平静を
 そして
 変えることの出来るものと
 変えることの出来ないものとを
 見分ける英知を
        お与え下さい』


 わたしたちは変化の中で生きています。変化の中で、生きなければなりません。それをいやがるのでもなく、あきらめるのではなく、わたしたちに何が出来るのか、そう考えることがきっと大事なのでしょう。


 卒業するAぐみさんは、今まで経験したこともないような大きな時代の変化の中で成長する。そんな予感がします。経済のことも、環境のことも、生活のことも、大きな変化が起こるような気がします。そんな中で、小学生・中学生として生きていく。そう思うのです。

 変化を恐れないのはけっこうだけれど、それだけでは生きていくことは出来ません。

『変えることの出来るものは
 それを変える勇気を
 変えることの出来ないものは
 それを受容する心の平静を』

そして

『変えることの出来るものと
 変えることの出来ないものとを
 見分ける英知を』
 もって欲しいのです。

 そしてそれを自らの力や自らの才能として持つのではなく、冷静に心の中で問う「祈りとして」もって欲しい。

 『主よ お与え下さい』

 変化の中で生きてきた、大きくなったAぐみさんへの、わたしの祈りです。

 Aぐみさん、卒業、おめでとう。
(2009年3月21日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

トップ アイコン今月のトップページへもどる

直線上に配置