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「子どもの時にほしがる
      おもちゃの話」


 園長  釜土達雄

 

 今年の8月2日に、漫画家の赤塚不二雄先生が亡くなられました。「ひみつのアッコちゃん」や「おそ松くん」など、そして何よりも「天才バカボン」の作者として知られるあのギャグマンガの天才、赤塚不二雄先生。七二歳でした。

 わたしにとって赤塚先生は特別な先生でした。「お笑いスター誕生」の審査委員をなさっていた赤塚先生に、腹話術のかまどたつおが収録後に呼び止められたことがきっかけでした。ご自宅の電話番号を教えていただき、東京の下落合にある赤塚先生のご自宅に招かれました。それから約二年間、まだ大学の学生だったわたしは、自分の都合に合わせて、赤塚先生のところに電話をし、「今から行っていいですか」「いいよおいで」、ご自宅におじゃましていたのです。

 赤塚先生はとても気さくな先生でした。自分の都合よりも、相手の都合に合わせてくださる不思議な先生でした。仕事がいっぱいたまっていると思われるときでも、「今日はこないでくれ」と言われたことがありません。自分の机に向かって仕事をしながら、「10分待っててくれる?」と言って、集中して仕事をする先生だったのです。
 おなかがすくと外に食事に行くのですが、途中で屋台のラーメン屋を見つけると、ラーメン屋のオヤジに早変わり。本物のオヤジさんも、いつものことだからと、赤塚先生にラーメンを作らせていたのです。お客さんも、いつものこととして受け取っていましたから、はじめて見たときには不思議な光景でした。

 赤塚先生のことですから、お酒はいつも手放すことはありませんでした。けれども、マスコミで報じられるほどの酒豪ではありませんでした。本当に薄いウイスキーを、水に色が付いたような薄いウイスキーを、なめるようにゆっくりと飲んでいたのです。ところが、人が増えてくるとだんだんウイスキーの色が濃くなって・・・。そのあたりから伝説が生まれたのかもしれません。

 赤塚先生のところでいろんな人に出会いました。あるとき「今日は出かけるから」と、新宿の居酒屋に連れて行かれました。十人ぐらいしか入れない小さなお店。当時最新の8トラック型のカラオケテープを使って、ずっと歌を歌っている小柄の女性がいました。歌の切れ目に「歌の上手な人ですね」と赤塚先生に話しかけたら、「美空ひばりさんを知らないの?」。この日赤塚先生は「ひばりさん」に呼ばれて、出かけてきたのでした。

 三階が赤塚先生の事務所兼居宅。二階がフジオプロの仕事場で、その横にある十二畳の部屋がわたしが寝泊まりした部屋でした。
 夏には赤塚ビルの屋上で、仲間が集まって宴会が繰り広げられていました。そんなときにはいろんな人が集まります。宴もたけなわとなると、三々五々みんな帰って行くのですが、酔いつぶれた人やわたしのような後片付け組は、そのまま二階に泊まることになります。布団も何組も用意されていて、部屋だけではなく、事務所全体が簡易宿泊場所になるのです。そんなとき、いつも素っ裸で寝ていたのがたこ八郎さんでした。なぜかたこさんのそばでいつも寝ることになるわたしは、たこさんがわたしの布団に進入してこないように、布団にくるまって寝ていたのです。

 漫画集団のパーティにもわたしは赤塚先生に連れて行っていただいています。あの手塚先生が、鉄腕アトムの紙芝居を、自作自演で演じていらっしゃいました。もっともわたしは有名な漫画家の先生達よりも、立食形式で出てくる珍しい料理に興味があって、とにかく全部食べてみよう・・・と考えてしまったのは、今になれば残念で、反省しきりです。

 赤塚先生がいつも言っておられたのは「本物を見ろ。一流を見ろ」でした。映画でも、芝居でも、「本物を見ろ。一流を見ろ」でした。ですから、お金のないわたしを本物や一流の世界に出会わせてくださったのでしょう。

 一九八三年にわたしは七尾にやってくることになります。その時には本当にガッカリした様子でした。「かまどの幼稚園には必ず行くよ」。そう言ってくださっていたのですが、その後生活リズムが変わり、ご病気にもなり、ついに実現はしませんでした。けれど、お元気だったら、ここにお招きをして、この七尾幼稚園をお見せしたかったと、今でも思います。本当に残念でした。



 赤塚先生の代表作に「ひみつのアッコちゃん」があります。このアッコちゃんは、なんでも望むものに変身できる魔法のコンパクトを鏡の精からもらいます。そして、そのコンパクトの力を使って変身し、人を助ける。それが秘密のアッコちゃんです。
 その時の魔法の言葉が「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○にな〜れ〜!」。秘密のアッコちゃんがテレビ放映されていた頃、小さな女の子達が、このコンパクトのおもちゃを、嬉しそうに持っていたことを思い出します。

 いつの時代でも、変身グッズは子どもたちの必須の遊び道具です。

 わたしが小さかった頃は、テレビがようやく各家にやってきた頃で、その時のヒーローは月光仮面でした。「月光仮面のおじさんは・・・」のあのテーマソングの月光仮面です。さすがに変身グッズは売られていませんでしたが、家にある白っぽい風呂敷2枚が、変身グッズの代用品でした。顔に風呂敷をぐるぐる巻きにし、もう一つの風呂敷の二つの端を首の前で結びつけてマントにし、月光仮面に変身して飛び回っていたのです。


 ヒーローの変身グッズだけが大事なのではありません。子どもたちの定番おもちゃ、「おままごとセット」も大事な変身グッズです。
 料紙を作り、料理を並べ、食器を洗い、乾かし、後片付け。お母さんに変身する大事なグッズです。
 お人形さんも、大事な変身グッズです。お母さんになって、大切な赤ちゃんをそっと寝かしつける。子守歌を歌ってあげる。絵本を読んであげる。髪の毛をとかしてあげて、泣いたらあやしてあげるのです。お母さんに変身するための大切なグッズなのです。

 お母さんの毎日の家事を、こどもたちは一番身近なところで見ています。こどもたちはお母さんのやっていることを、一生懸命観察しています。そして同じことを、自分でやってみて、お母さんの仕事を学んでいくのです。「自分でやってみる」ためには、おままごとセットも、お人形さんも、大事な学習グッズになるのでした。


 スーパーに行ってお買い物をします。そこにはたくさんの品物が置いてあり、それらの品物が自分のものとなるための、ルールがちゃんとあるのです。レジでお金をはらうのか、カードをつかうのか。お金を巡るやりとりがあります。お金ごっこ、お買い物ごっこは、子どもたちがこの世の仕組みを学ぶ大切な場所。そのためにどうしても必要なグッズ、それが幼稚園でのみ流通する子ども銀行のお金でしょう。子ども銀行のお金も、大切な大切な学習グッズなのでした。


 それならば、変身グッズはどうでしょう。実はこれもとっても大事な学習グッズなのです。
 赤塚先生の「秘密のアッコちゃん」が、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○にな〜れ〜!」と言うのは、困っているお友達を助けるためでした。そのコンパクトの力で変身し、その職業になって、さりげなくする人助けなのです。

 変身が目的ではありません。物語が願う正義の達成こそ、変身の目的なのです。こどもたちはあの変身グッズで、人を助けるという、人にとって大切な人間関係の基礎を学んでいったのでした。ついでに言えば、仕事を通して人を助けるという職業倫理を学んでいたと行っても良いかもしれません。


 子どもたちにとって、遊びは生活のすべてです。遊びの中で大切なルールを学びます。遊びの中で、世の中の仕組みを学びます。遊びの中で、自分が将来しなければならないひとつひとつを学んでいくのです。遊びは、子どもたちが、ちゃんと大人になっていくための、大事な学習の場なのです。そしておもちゃは、その学習を支える大事な学習グッズと言って良いでしょう


 

 クリスマス。子どもたちの願うクリスマスプレゼントは、本当に子どものおもちゃであって、将来には何の役にも立たないものばかりです。そうだからこそ、将来にも役に立つ知識を得るための市販の学習グッズの方がよいかもしれない・・・。心あるご家庭の方が、いつも悩む悩みです。おもちゃで遊んでいるばかりじゃ、いけないのではないか・・・。そう考えてしまう。わたしはその気持ちが痛いほどわかります。

 そうだからこそ、あえてお話ししたいのです。子どもの時にほしがる、大人には全く意味のないおもちゃこそ、子どもたちの学習の基礎となる遊びを支える、大切な学習教材なのだと言うことを。

 幼稚園の仕事をしてきて、そんな話しを赤塚先生にしたかったなぁ。赤塚先生が亡くなられてから、そんなことばかり思います。
 
(2008年12月19日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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