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「スズメの雛は
 どんなにがんばっても
 手乗りスズメにはなりません」


 園長  釜土達雄

 

  先日、ひょんなところで中学生時代の友人に会いました。近況をたずねながら、問われるままに、七尾での様子を説明し、その中でわたしは、七尾幼稚園の横にある七尾教会の雨樋のところに、スズメが巣を作ったという話しをしたのです。
 すると、わたしが七尾幼稚園の園長で、七尾教会の牧師だと言うことをよく知っている彼は、「かまどくんは昔から変なことをしていたからねぇ」と言うのでした。スズメの話しをしただけなのに、変なこととは何だろうと思って「えっ?なにしてた?」と聞いてみると、「スズメの雛を捕まえてきて、『手乗りスズメにする』と言って餌をあげていた」と言うのです。「オレが知っているだけで、三羽ははいた」。

 確かにそう言えば、一時期スズメの雛を飼っていたのは事実。しかもそう言われれば、手乗りスズメにするために悪戦苦闘していたのも事実。話しをしているうちにだんだんにその当時のことを思い出してきたのでした。
 そうそう、鳥の雛の刷り込みについて聞いたわたしが、文鳥やセキセイインコは親から離しても人間に慣れるのだから、刷り込みは違うのではないかと思って、スズメで実験してみていたのでした。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、『刷り込み(すりこみ)とは、動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する現象をさす。』と記述されています。卵からかえった鳥の雛が、最初に出会った動くものを親と認知するわけです。自然の中では最初に出会う可能性のあるものは親鳥なのですから、何も問題はないのですが、たとえば人工孵化などで卵をかえしたりすると、なかなかそこのところが複雑になってしまうのでした。たとえば人間が最初に孵化した雛に出会ってしまうと、人間を親と思ってしまうということになってしまう・・・。これが、刷り込みと呼ばれるものなのです。

 けれど、わたしは不思議でしようがなかったのです。だって、手乗りインコや文鳥は、それぞれ親に育てられていて、ある一定の時期に親から引き名はして人間が餌をやると、人間を親と思いこんで、人間から餌をもらうようになるのです。
 文鳥もセキセイインコも飼っていたわたしは、刷り込みの話を理科の先生から聞いた時に、「それは違うな」と思ったのでした。そうしたら、スズメで実験してごらんと言われ、スズメの巣を探して雛を連れてきて、文鳥を育てるように餌をやって、全く食べないので、悪戦苦闘していたのでした。彼はその現場をたまたま何回か見たのでした。

 言われてみれば思い出すことはたくさんあります。スズメの雛を失敬するために、結構苦労したこと。一日かけても食べないので、夜には口に強制的に入れて、食べさせる。二日たっても自分から食べようとせず、三日立っても自分から食べようとしないので、根負けしてもとのスズメの巣に帰したことも、何回もありました。
 結果、成功したことは一度もなく、一匹も手乗りスズメにはならなかったのです。

 そんな経験からわたしは、「最初の経験は大事だなぁ」と思うようになりました。どんなことでも、「最初」って、決定的な影響を与えるんだろう。そう思うのです。

 幼稚園は子どもたちが最初に出会う社会。ですから、この世界がどんな社会なのか。そこでの経験は決定的だと思います。
 自分を受けれてくれる社会なのか。排斥する社会なのか。優しさに満ちた社会なのか。争いに満ちた社会なのか。決定的な経験だと思うのです。
 そして思いました。なるほど、わたしが最初の教育機関の幼稚園教育が大事だと考えるようになったのは、こんなところにルーツがあったのか・・・。
 人とおしゃべりをしてみることは、大事なことだと、再度認識したのでした。


 そんな大事な経験を提供する七尾幼稚園に、この四月、二人の新任教師が加わりました。

 一人は澤田愛子先生。なんと言っても学生時代は四〇〇b競争のランナーだったのだとか。すらりとした体つきは、きっと早かったんだろうなぁと感じさせます。実際幼稚園でも、フットワークが軽いのが特徴です。
 人数の一番多い、しかも個性豊かな年中さんのBぐみさんのクラスが担当となりました。

 石川県で保育者になるには、なんと言っても強いのは金城大学と北陸学院大学。実習生もいっぱい来て、実習の中で保育の様子を見て、ヘッドハンティングされることが多いのです。七尾幼稚園では堀内先生がそのパターンでした。
 ところが日本女子体育大学を卒業した澤田愛子先生は、人脈が少ない学校の卒業生です。しかも実習をした幼稚園では採用がないと断られてしまいました。大学から各幼稚園に教師募集の案内を出しても、どこからも募集はなく、東京での就職をまじめに考えていたのだそうです。
 ところが、たまたま高校生時代に学校もクラスも同じだった堀内先生が七尾幼稚園にいることを聞きつけて、ボランティアに来たいと連絡して来たのです。それならば会ってみようかなぁとわたしは思いました。そして、はじめて会って、子どもたちとの関係を見ていて、今度のBぐみさんの担任にぴったり!と感じたのでした。
 ですから、本人が希望したボランティア最終日に、「七尾幼稚園に来ない?」と聞いたのです。ところが本人意味がわからず。「是非来たいので、試験を受けさせてください」。わたしが「試験は終わったよ」と言うと、本人本当にガッカリした様子で、「そうですか、終わっちゃったんですか・・・もうだめですかねぇ」。「そうじゃないよ、あなたを採用したいから、七尾幼稚園に来ない?」。とんちんかんな会話が続いたのでした。

 自己主張が強く、プライドも高い子が多いBぐみさん。園長先生から澤田先生へのアドバイスは「とにかく、初めての幼稚園なので、みんなに教えてもらいながら先生をします。よろしくお願いします」と挨拶をしてごらん。あのクラスの子は「それじゃぁ、いっちょう教えてやるか」と、その気になるから。そして、自分たちがみんなで澤田先生に教えた約束事は、ちゃんと自分たちで守るから。良い子達だよ。と言うことでした。
 澤田先生を中心に一つにまとまっているのは事実なのですが、今でも、「しょうがないなぁ、澤田先生のために、ちょっとつきあってやるか」という雰囲気があるのです。もう今からAぐみさんのような雰囲気を持つBぐみさんなのです。


 もうひとりの新人は、坂井綾先生。ビックスポーツの玄関階段のところにずっと写真が飾ってあった競技選手の坂井綾というのはこの先生です。
 なんと言っても、七尾幼稚園の卒業生です。しかも今の園舎が建ったときのAぐみさん。新しい幼稚園のルールはその時のAぐみさんと一緒に考えながら作ったのですが、その時のメンバーのひとりです。
 またその園舎建築の時の母の会の会長が坂井綾先生のお母さんでありました。綾ちゃんは園バス通園だったのですが、バスに彼女を乗せた後、お母さんは幼稚園にやってきて、引越のお手伝いをしてくださっていたのでした。「幼稚園に来たらお母さんが先に着いていた」。そんなことを覚えていると、本人が言っておりました。
 ただ、わたしにとって、自分が卒業させた子と緒に仕事をするのは、なんとも不思議な気分。きっとわたしにとっても、先生にとっても良くないだろうと、少し距離を置いて、同じくわたしが園長をしている羽咋白百合幼稚園で修行をしてもらうことにしたのです。
 羽咋白百合幼稚園で三年間、年少クラス「すみれぐみ」の担任として、経験を積んでの七尾幼稚園でした。

 坂井綾先生は、小さな時からアイデアが豊かで、アイデアがどんどん広がっていくのです。始めたときと、結論が違うことがあっても、「まっ、いいか」と考えることが出来ます。子どもたちのやりたいことが広がっていって、いろんな意見が出てきても、それをそれを受け止めてかたちにしていくのです。そんな坂井先生を、こどもたちはとても気に入っています。
 なんと言っても、最初から七尾幼稚園のにおいがする先生なのでした。


 幼稚園が提供できることはそんなにたくさんはありません。その中で、教師の個性は決定的です。どんな先生が七尾幼稚園にいるのかは、子どもたちの生活を大きく左右することになるでしょう。
 そして特に私立の場合は、園長の個性の個性がもっと決定的だと言って良いでしょう。園長の保育理解を、全職員が一致して受け止めてはじめて私学は私学の個性が生まれるのです。
 一人ひとりの教師と出会い、自らを律して子どもたちとも出会う。
 スズメの雛の話しは、自分が何を大事だと考えるようになっていったのか。自分の成長を思い出させてもらえた、大事な話となりました。
        
(2008年7月18日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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