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「青春時代に聞いたこと」



 園長  釜土達雄

 

 七月十六日午前十時十三分。新潟県上中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が発生しました。正式名称は「平成十九 年(二〇〇七年)新潟県中越沖地震」。震源の深さは約十七キロで、マグニチュードは6.8の規模でした。

 七尾でも揺れました。震度四というのが速報で出た震度。けれども敏感になっているせいか、私にはもっと大きく感じた地震でした。
 びっくりしてテレビをつけ、そのまま仕事も手につかないままニュース速報をずっと見続けてしまったあの日。被害は刻々と報告され、深刻な状況が、テレビ画面いっぱいに繰り広げられました。言葉が失われてしまうほどの、惨状。マイクを向けられた一人一人の言葉が、自分の体験に重ね合わされて聞こえてきました。

 「何が起こったのかわからなかった」。
 「地震だとは思わなかった」。
 わたしもそうでした。あの能登半島地震の時、これが地震だとは思えなかったのでした。表現が変なのですが、「地震だとは思えないような揺れ」だったのです。
 「大丈夫です。だいじょうぶ。恐かった」。
 わたしもそうでした。あの地震の後、命があったこと、けががなかったこと。恐かったけれども、みんながそれぞれに無事だったことが何よりでした。たとえ深刻な被害があろうとも、「大丈夫、だいじょうぶ」と言っていました。後から冷静になってみれば、たくさんの被害があったにもかかわらず、あの時はみんなが無事だったことだけが嬉しくて、そう語っていたのでした。


 ライフラインが深刻だったということが、能登半島地震と中越沖地震の違いの一つでした。
 能登半島地震では電気は比較的早く普及しました。七尾では三十分もしないうちに復旧しましたから、地震の様子はテレビで早くから確認できました。
 中越沖地震では水がなかなか復旧しませんでしたが、能登半島地震では、水道の復旧も比較的早かったのです。七尾では断水した場所さえも本当にわずかでした。
 中越沖地震では下水も大変で、トイレを我慢する人が多かったとの報道でした。けれども能登では下水の場所よりも浄化槽の場所が多く、さらに昔ながらのトイレも多かったことから、ニュースになるほどの深刻だった場所は少数でした。
 中越沖地震の場合は、震源地の近くに比較的大きな町があって、被害が多くなってしまったのかもしれません。また、能登よりもはるかに都会であった柏崎市の、都会的な弱さが出たのかもしれません。
 もちろん、水道の止まったご家庭にとっては深刻ですし、下水の止まった家庭でも状況は同じです。電気が止まっては生活は成り立ちません。能登の中でも当事者の方にとってはすべてであって、統計は何の意味もありませんが、冷たい統計は、このような事実を示していると言ってよいのでしょう。




 けれどもわたしが、さらに心を痛めたのは、たくさんの人たちが、何気なく話していたこんな言葉からでした。それは、言葉を超えて、本当の不安を私たちに語ってくれているように感じたのです。
 「三年前に地震があったから、まさかもう一度地震があるとは思わなかった・・・」。
 「三年前の地震で被害を受けて、ようやく修理が終わったばかりなのに・・・」。
 「また大きな地震があるんじゃないかと思うと、心配で・・・」




 二〇〇四年一〇月二三日の夕刻のことでした。新潟県中越地方を震源とする地震が発生しました。震源の深さは約十三キロで、マグニチュードは6.8。本震の震度計で最大震度七。その後、震度6強の余震が二回もあった地震です。新潟県中越地震のことなのです。
 あのときは中越地方。今回は中越沖。
 その地震から三年に満たない時期に、比較的近い場所で今回の中越沖地震が発生したのです。


 三月二五日に起こった能登半島地震は、深さ十一キロ、マグニチュード6.9の地震でした。震度は6強でしたが、地震の強さを示すマグニチュードは、中越地震や中越沖地震よりも強い6.9でした。
 地震の被害も深刻でした。けれども、地震の中から未来への希望を見いだそうとして、多くの人が口にしていたのは、次のような言い方でした。
 「一生の間に、二回大きな地震は来ない」。
 「もう地震はないだろうから、家に被害はあるけれど、見なかったことにして、上手に一生の間使っていく」。
 そして、こんなことも、まことしやかに語られたのです。
 「地震の後、能登半島の地震保険は急に安くなった。もう起こらないと、保険屋さんも思っている・・・」。

 地震保険が安くなったのかどうか、本当のところは知りません。多くの人が、「自分が生きている間、こんな大きな地震は能登では起こらない」と、考えていたのです。
 そして、そう考えているところから、地震の復興が始まりました。

 それが今回、ほぼ同じところで、しかも三年を経ないで、地震が起こったのです。
 この事実は本当に大きな衝撃でした。

 新潟県中越地方の皆様のつらさに思いをはせると同時に、自らの今後を重ね合わせたのでした。


 人生、何が起こるか、わかりません。
 日々の生活の中でも、何が起こるかわかりません。
 何が起こるかを考え想像してみたとしても、しょせん小さな頭の中で考えること。限界があります。
 現実の世界は、私たちの想像を超えるような圧倒的な力で私たちに臨んでくる。
 そしてわたし達は、このような圧倒的な自然の力の前で、何もすることができず、たたずんでしまうのでした。


 
 青春時代に聞いたこと。

『困難が起こってもあきらめてはならない。
 苦しいことが起こっても絶望してはならない。
 八方ふさがりになっても、うなだれてはならない。
 うなだれている限り、そこに進むべき道はなく、八方に目をやっても、そこにも行く道はない。
 けれども上を見れば、
 そこはしっかりとあいている。

 困難の時に祈ること。
 絶望の時に祈ること。
 八方ふさがりの時に、
 天に目をやり、
      祈ること。』


 現実を受け入れつつも、何とかしてほしいと、祈ること。それが大事と、思います。
(2007年7月28日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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