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「「びっくりしました
   能登半島地震」

 園長  釜土達雄

 

 二〇〇七年三月二五日日曜日、午前九時四二分。震度六強の能登半島地震が、七尾市をおそいました。
 びっくりしました。驚きました。何が起こったのか分かりませんでした。とにかくとにかくびっくりしました。

 日曜日でしたので、幼稚園には子どもたちがいませんでした。けれども、隣接する七尾教会は、教会学校の礼拝の真っ最中。小学生達が8名、教師が4名、そして付き添いの保護者の方が3名いました。教会から階段を上がって二階の、幼稚園の集会室がその場所でした。
 その地震の時は蘭子先生がお話しをしている真っ最中。ゴーという地鳴りのような音と同時に猛烈な揺れ。椅子の下にはいるわけでもなく、どこかに逃げるわけでもなく、ただひたすら揺れがおさまるのを待っていたのでした。

 わたしの方は中学生の子どもたちのための礼拝が担当。本当は礼拝堂でその時を過ごしていなければならないのですが、その日も出席者が0だったので・・・。幼稚園の台所でもう一人の教会学校の教師と、また別の一人と三人で、コーヒーを入れてちょうど飲もうとしていたところだったのです・・・。ちょっとさぼっていたような気分のところに地震だったので、「ばちが当たった?」というような驚きの気分。とにかくその場にしゃがみ込んで、揺れが収まるのを待ったのです。

 何はともあれ、全員が幼稚園のホールに集合。幼稚園は震度七の地震が来てもびくともしない設計で、安全なことは分かっていましたから、幼稚園ホールに集合。マニュアル通り、ニュースで情報収集と思ったら停電でテレビがつかない。子どもたちのお家に電話連絡をと思っても、電話も通じない。それでも幼稚園の電話は緊急電話になっているので、三回に一回ぐらいは通じたのが、幸いでした。何とか最低限の連絡は取れたのです。
 電気が復旧したのはだいたい二〇分後の十時ごろ。テレビを見てみると、能登半島が震源の、とても大きな地震だったことが分かったのでした。


 あれから二ヶ月。

 一見、七尾の町並みは復興を成し遂げたかのように見えます。能登半島地震から、復興しましたとのニュースが流れ、わたしたちも、地震直後から「大丈夫です。無事です。被害はありません」。そのようにお話ししていました。
 あんなに大きな地震に出会ったのです。命があり、ケガもしなかったのは本当に大きな恵みでした。幼稚園の子どもたちにもケガはなく、お家のみなさまにもケガはなく、それぞれのご自宅も全壊・半壊のお話は聞いていない。だからこそ、ケガもなく、命が守られたことが幸いだと思えたのでした。
 けれども、それにもかかわらずわたしたちが知っていることがあります。本当の復興はこれからだということです。




 全壊・半壊の家もたくさんありました。けれども大部分の家は、一部損壊でした。全壊・半壊といえども支援には条件があり、地震保険をかけていても、その支払い条件は大変厳しいものでした。ましてや、一部損壊の条件は厳しい。
 不満があり、愚痴があり、なぐさめあいがあり、助け合いがある。おしゃべりをして、情報を交換して、なぐさめあって、支えあって乗り越えていかなければならない。
 能登は観光が大事な資源。「復興しました」と、言わなければならない。けれども同時に、復興していない現実がある。みんな、本当は苦労しながら、「大丈夫です」と言っている。無理して無理して、大丈夫にしている。これが今のわたしたちの日常です。

 七尾幼稚園の園舎は、耐震構造でしっかりと今回の地震に耐えてくれました。けれども耐震構造とは、地震が起こっても倒壊しない構造のこと。建物の中にいる人々の命を、どんなにひびが入りいびつになろうとも守ること。それが、耐震構造なのです。七尾幼稚園の園舎はよく耐えてくれましたが、鉄骨造の外壁は若干のひび割れが起こりました。これは修理しなければなりません。

 残念なのは七尾教会牧師館。わたしは、七尾教会の牧師ですから、教会の官舎の「牧師館」というところに住まなければならないのです。幼稚園の駐車場と、園庭との間で、礼拝堂の後ろにある少々古ぼけた住宅がその牧師館。わたしと蘭子先生はここに住んでいるのですが、これがあの地震でかなり厳しいダメージを受けました。一部損壊という判定ですが、教会の上部から派遣された専門家の先生によって、「住むのをやめてください」と言われてしまったのでした。時を経て取り壊しをし、建て直さなければなりません。なんということなのでしょうか。





 ただとても喜ばしいことは、子どもたちがいつもと変わらずに元気でいてくれること。保育計画に若干変更しなければならないことがあっても、幼稚園の日常が、いつもの年と同じように続いていることなのです。
 ちょっと予定と違うのは、園長先生と蘭子先生ががけっこう忙しいということなのでしょう。


 もちろん子どもたちも本当にいつもと同じではありません。余震があると、緊張したように動きが止まります。いろんな遊びの中で、地震の時のおしゃべりが続きます。「テレビが飛んだね」。「本箱が倒れた」。「お皿が壊れた」。いろんなお話しが続いています。
 子どもたちも、おしゃべりしながらあの時の出来事を乗り越えようとしています。

 わたしたちもみんなで力を合わせ、愚痴を言い、文句を言い、嘆きながら、それでも乗り越えていかなければならないのでしょう。

 いろんな困難があります。一緒に乗り越えていきましょう。わたしたちはこの能登の地、七尾の地から離れるわけにはいかないのですから。

 ね、そうしましょう。
(2007年5月26日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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