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「子どもの時間 大人の時間」

 園長  釜土達雄

 

 七尾幼稚園の母親セミナーが先日開かれました。講師はわたくし。何とも見栄えのしない講師なのですが、それでもたくさん集まっていただき嬉しく思いました。
 今回の題は「人間が人間になるために」。副題で「幼児教育の基礎知識」といたしました。要するに幼児教育は大事ですよということをちゃんとお話しをしたいと考え、そのために普段お家のみなさまにお話ししていることを、箇条書き的にお話ししましょうという会だったのです。
 ですから話はあちこち飛びましたし、まとまりもありませんでした。「すでに何度もお話ししたお話しだよなぁ」と思いながら、お話ししましたので、ちょっと照れくさくもあったのです。「あっ、また園長おんなじはなしをしている」。そんな風に思われちゃうよねって思っていたのです。

 けれどもその後に持たれた懇談の時、お家のみなさまからのお話を聞いていて、反省いたしました。それは、「この話、はじめて聞きました」とおっしゃる方が、案外と多かったからなのです。


 確かに、同じはなしを何度も何度も繰り返しお話ししている人があります。それは、そのお話しが、その方にとって大事なお話しだと考えているからです。

 たとえば、幼稚園に入園してきて、涙々のお別れをしている子どもたちがいます。けれども泣きたくなるのは、子どもたちだけではありません。お家の方だって、心配で心配で泣きたくなるに違いない。そんな方に私は、何度も何度も「泣くのはお母さんと仲が良かった証拠ですよ。とってもステキな当たり前のことなんです」と、繰り返し繰り返しお話しします。「泣かなかった方が心配なんですよ」。そういう風にお話しすることさえもあります。それはそのお母さんにとっては、何度も何度も聞いていただかなければならない、大事な大事なお話だと思っているからなのでした。

 けれども、子どもたちの中に入っていく時に、タイミングが良くて、何の心配もなく子どもたちの中に入っていける子もいます。そんなお子様をお持ちのお母様に、「泣くのはお母さんと仲が良かった証拠ですよ」などと言う必要がありません。「泣かなかった方が心配なんですよ」なんて言う必要もありません。タイミングが良かったのです。心配がなかったのです。それはそれで、とっても良いことだったのです。


 今回の講演後、「同じはなしを何度も聞かないといけませんね」という風にお話しくださる方がありました。「原点に返ることは大事です」ともお話ししただきました。
 ところが逆に、「そのお話し、わたし始めて聞きました」という風にお話しくださる方もあったのです。

 はじめて聞いた?
 結構お話ししているはずなのに、はじめて聞いた人がいる。それは、ちょっと考えてみれば当たり前のことなのですが、そんな風にお言葉をいただいて、はじめて感じる驚きの時でもありました。
 そして、「何が初めてですか」という風に聞いた中で、一番多かったのが、「子どもの時間と大人の時間」という話しだったようなのです。
 それはこんな話です。


 科学的なことはよくわからないのですが、どうも時間の感覚というものは大人と子どもとは違うらしいのです。
 大人になって、三〇代、四〇代の働き盛りの時は、毎日が飛ぶように過ぎていきます。一日が早く、一週間も早く、1ヶ月も本当に早く感じます。けれども小学生時代は、一年がとても長かったように感じていました。小学生時代6年間も、とっても長かったように感じます。けれども、考えてみれば6年はわずか6年。今では、飛び去るように過ぎ去る時間です。
 ましてや幼稚園時代の3年間は、どれほど長い時間だろうかと思います。





 学生時代、幼児教育を学んでいたときに、こんな話を聞いたことがあるのです。

 『3歳児の3分は、大人の1時間
  4歳児の4分は、大人の1時間
  5歳児の5分は、大人の1時間』

 科学的根拠はわかりません。調べてみたいとも思いましたが、調べたこともありません。『ゾウの時間 ネズミの時間 ーサイズの生物学』(本川達雄著 中公新書 一九九三年)という本があって、ベストセラーになりましたが、どうも、大人の時間と子どもの時間とは違う内容だと思いました。ただ、時間の感覚は絶対的なものではなくて、相対的なものだということは、とてもおもしろいと思ったのです。

 いえいえ、大事なことは、科学的であるかどうかではありません。科学的なことは、科学者のみなさまに今後調べていただいたらよいでしょう。けれども、経験的に、昔から、大人と子どもは、時間の感覚が違うと言うことは言われてきたのでした。

 3歳児が3分集中して何かをつくっていたとしたら、大人のわたしたちが、1時間集中して何かをつくっているのと同じ事。3歳児が3分、お話をちゃんと聞いているとしたら、それは大人のわたしたちが1時間お話をちゃんと聞いているのと同じ事。3歳児が3分、おもちゃを使って遊んでいるとしたら、それは、大人のわたしたちが、1時間集中して何かをしているのと同じ事。
 「3分しか集中できない!」と思うかもしれません。けれどもそうではなくて、「3分も集中できるということ」なのです。1時間集中するって、大人のわたしたちでも、結構すごいことではありませんか。

 だから逆に、3歳児が3分、叱られていたら・・・そしてそれが5分、一〇分と長くなっていたら・・・。大人のわたしたちにとっては1時間、2時間、3時間と叱られ続けるのと同じ事。それは、とんでもなく長い時間に違いない。集中力も切れ、飽きても来るし、話に身が入らないのは事実。違うことを考えることだってあるでしょう。ところが、大人の感覚で一〇分なんて短い時間だと思っていたら、それは何を叱られているのかも思い出せないくらい、とんでもない苦痛を子どもたちに与えることになっているかもしれないのです。

 『3歳児の3分は、大人の1時間
  4歳児の4分は、大人の1時間
  5歳児の5分は、大人の1時間』

 「反省しました」と、何人もの方からお言葉をいただきました。「繰り返し聞いて、原点に立ち返らないといけないと思いました」と、聞きました。

 それを聞いていて、わたしも反省しました。同じお話しを、繰り返し繰り返しお話しすることに、飽きてはいけない。このお話しは、これから何度でもさせていただこうと思いました。


 そしてさらに思ったのです。
 夏休み。お父さんやお母さんが大きく時間をとって、子どもたちと共に遠くに出かけることがあるとしたら、それはとってもステキな出来事に違いない。ぜひともそんな大事な大事な時間を作ってあげてほしいと思います。
 けれどもたとえ、そんなにたっぷりとした時間を作ってあげることができなくても、毎日ほんの5分一〇分のかかわりがとっても大事。遠くじゃなくても、近所の公園でもOK。いえいえ、お家の中でのささやかな時間でも、子どもたちにとっては大人の1時間2時間になるのです。
 夏という特別の季節を、子どもの時間から考えて、無理せず、楽しく、子どもたちとかかわっていただけたら、嬉しく思います。

 
(2006年7月20日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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