直線上に配置

「お友だちのいやがることを、
  してもいいときがある?」

 園長  釜土達雄

 

 サッカーのワールドカップ。決勝トーナメントが始まっています。
 
今日は六月二八日。昨夜というか今朝というか、要するに深夜にブラジルとガーナ戦が行なわれました。その後スペインとフランス戦。それぞれの結果はブラジルがガーナに3ー0で勝利。またフランスがスペインに3ー1で勝利しました。これで、決勝トーナメント十六チームの試合が終了し、ベスト8が出そろったのでした。ドイツ、アルゼンチン、イタリア、ウクライナ、イングランド、ポルトガル、ブラジル、そしてフランス。そのすべてが前評判も高い実力チーム。これからのベスト8の戦いも楽しみです。

 わたしは、昨夜ブラジル戦をがんばって見ていました。初出場ガーナが、どこまでブラジルに追いすがるか。興味の一番のポイントでした。前半5分でロナウドがゴールをあげてから、ガーナの攻撃は止むところがなく、ずっと押し気味であったのが、迫力でした。とにかく運動量が違う。おもしろい試合でした。
 けれど、その試合を私は全部見ることができませんでした。前半はしっかり見ました。後半も始まった当初は見ていました。けれども途中で寝てしまったのです。何しろ午前0時キックオフ。終了が午前2時近くになるのですから、なかなかライブで見ることができません。

 もちろん日本戦は全部見ました。六月十二日のオーストラリア戦。あれは惜しかった。最後の一〇分間は、何んだったの!六月十八日のクロアチア戦。ここで引き分けて、どうするの・・・。そして最後の六月二十三日のブラジル戦。午前4時の開始にあわせて目覚ましをかけ、朝までちゃんと応援をさせていただきました。勝てるとは思っていなかったけれど、あまりにも日本の実力と、世界の実力の差がありすぎて、むしろ晴れやかな、さばさばした気分になりました。その後、テレビは敗北の犯人捜しをしていたようですが、あの時わたしは、横綱に十両優勝者が挑むような実力差を感じていました。その実力差を知りつつも、正攻法の戦い方を求めたジーコ監督に多謝!私にとっては、日本がワールドカップ本大会に出場できたことだけで、大いに満足だったのです。


 そんなワールドカップですが、幼稚園ではさっぱり盛り上がりませんでした。日本戦の時は比較的早い時間でしたが、それでも幼稚園の子どもたちにはずいぶん遅い時間。結果的に幼稚園でワールドカップはほとんど注目されなかったのです。それでも、Aぐみさんの男の子達を中心に、いつもよりはサッカーボールを追いかけている子が多かったかな?


 サッカーは単純なゲームです。ボールを相手チームのゴールに何とか工夫をして入れる。それだけのゲームです。逆に自分たちのゴールには入れられないように全力を尽くす。そんなゲームです。ボール一個でできるゲームですから、とても単純でわかりやすいゲームなのです。

 すなわち、「入れないでー」って言っているゴールキーパーやディフェンダーのいやがることをするから、点数を入れて勝てるのです。また、一生懸命「入れないでー」ってお願いしているのに、ボールを入れようとする人たちがいるから、悲しくなるのです。簡単に言えば、「相手のイヤなことをするゲーム」。それが、サッカーです。


 日本戦のあった翌日。幼稚園に来ている実習生たちに意地悪な質問をしてみました。
 「サッカーは、すばらしいゲームだと思うかい?」
 質問の意味が分からなくて、みんな目をぱちくりさせていました。
 「お友だちのいやがることをするんだよ。どう思う?」
 なんと答えていいのか分からないで、ますます目がぱちくりです。
 「君たちは、お友だちのいやがることはしてはいけませんって、子どもたちにお話しするでしょ。サッカーは、お友だちのいやがることをする競技。すばらしい競技だと思うかい?」。
 本当に困り果てて、考え込んでしまう。純情な実習生たちでした。

 それでも私は続けます。
 「キックやパンチをするのは、いけないよね。お友だちをたたいたり、蹴ったりしてははいけません。そう言うよね。だけど、K1やプライドが好きなパパは多い。ボクシングの亀田兄弟だって好きな人は多い。あれはいいのかな。」

 「幼稚園で良くやるゲームに、しっぽとりゲームっていうゲームがあるんだ。しっぽを付けて、とられないように逃げる。とられると終わり。だけど、お友だちのしっぽをとらないと勝てないんだ。だから、とられそうになると、とらないでって逃げる。それなのに、自分はお友だちのしっぽをとろうとするんだ。みんなのいやがることをするからゲーム。自分がいやなことされるからゲーム。なぜそんなゲームを幼稚園でするんだろう?」
 「イスとりゲームっていうのも良く幼稚園でやるよ。最初はみんなが座れるんだけど、2コとか3コとか、イスを減らしていくんだ。音楽がなっている間は歩いて、止まったらイスに座らなくちゃいけない。座れなかったら、ゲームの続きはできないんだ。誰かを押しのけて自分のイスを確保する。あぶれる子が出てくるし、その子が泣いちゃうことだってあるんだよ。悲しくならないようにするためには、最初から全員分おいておけばいい。なぜ座れなくして、お友だちのいやがることをあえてするんだろう?」

 そして再び戻るのです。
 「お友だちのいやがることをするサッカーは、すばらしいゲームだと思うかい?
 なぜそんなゲームをみんなでして、みんなで楽しむんだろうねぇ。」

 近頃は実習生たちも分かってきて、途中から「なぜですか」と聞こうと身構えます。幼稚園でやることは、思いつきではありません。カリキュラムに基づいて行なっています。すべてには理由があるのです。その理由を聞こうとする瞬間。学校の授業では決してあり得ないような、現場の学びです。そして、その瞬間が、ちょっと嬉しい園長なのでした。


 お友だちをたたいてはいけないのが、一般のルールです。けれども、K1のように、たたいても蹴っても良いルールの競技があるのです。それは、社会の常識です。ルールは、普遍ではありません。場所が違い、状況が違うと、変化する。それがルールです。大事なのは、そのルールを、その参加者全員が納得しているかどうかです。そしてそれが、客観的で公平なルールであるかどうかなのです。

 お友だちのいやがることはしてはいけない。それが一般のルールです。けれども、サッカーやしっぽとりゲームのように、人のいやがることをして、みんなで競い合う競技もあるのです。しかしそれは、客観的で公平なルールに基づいていなければ成りません。競技の中だけのルールとして、スポーツマンシップに基づいていることが大事なのです。
 イスとりゲームのように、人を押しのけて勝利するゲームもあります。押しのけても、押しのけられてでも、互いを許し合うルールに対する信頼がないといけません。ゲームで押しのけられても、ゲームとして楽しむ心のゆとりがないといけないのです。

 ルールは、場所が違い、状況が違うと、変化します。一つ覚えたルールが、どんな場面でも通用するわけではありません。私たちの社会は、本当に様々なルールが、存在しています。しかも同じルールでも、場所によって、状況によって変化します。そのことを子どもたちに知ってもらわないといけないのです。


 もちろん、基準となるルールは、なくてはいけません。そのルールを伝えるのは幼稚園の大事な仕事です。
 けれどもそのルールは、時と場所で変化することも、幼稚園で伝えなければならない大事なことなのです。そしてまたそのルールは、みんなで考え、意見を出し合って、よりよいものに変えていったり、その場その場のルールとして、作っていったりすることもあるのだと伝えることも大事なのです。
 だから、幼稚園では、しっぽとりゲームやイスとりゲームをしたりするのでした。そこで勝ったり負けたり、悔しがったり喜んだりするのはとても貴重な経験なのです。


 基本的なルールは変わらないが、ルールは変化する事がある。それは、本当に大事な学びの時となっているに違いないのです。
(2006年6月30日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

トップ アイコン今月のトップページへもどる

直線上に配置