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「卒業するAぐみさんへ」

 園長  釜土達雄

 

 十八日の卒業式を前にした十四日の火曜日は、今年の冬をなごり惜しむかのような積雪でした。七尾で十六センチと、ニュースは伝えました。
 この雪を大歓迎したのは幼稚園の子供たちでした。「今日は雪遊びをするぞ!」そんな服装の子供たちが、続々と登園してきたのです。ぼたん雪が舞っている園庭を見て、すぐにでもお庭に出て行きたいという雰囲気が満ちていました。
 雪が小降りになってから、お外に出たい子供たちが、一斉に園庭に出て、惜しむように雪遊びを楽しんだのが、朝の自由遊びの時間でした。久しぶりの雪だったので、手袋を持ってきていなかった子が結構いて、幼稚園の貸出し用手袋が大繁盛の雪遊びでした。
 この雪はそんなに長く残ってはいませんでした。十四日の夕方には結構消えて、十五日になると更に消えました。十五日のホールの時間が始まる頃には、園庭の雪はすみっこに少し残るだけ。雪が少なくなったのならと、Aぐみさんは小丸山公園にお散歩に出かけることにしました。みんなで何度も何度もお散歩した小丸山公園。Aぐみさんが卒業すると、このメンバーではお散歩ができないから、なごりを惜しむように、お出かけしました。
 


 第一公園から幼稚園を見て、今まで何度もしてきたように「らんこせんせ〜!」。みんなで声を合わせて呼びかけました。園庭に出て遊んでいたBぐみさんにも呼びかけました。「Bぐみさ〜ん!」。いつもと同じように、必ずある返事が嬉しい、Aぐみさんだったのです。

 第一公園を一周して幼稚園に。そしてそのまま駐車場に向かってつくしをとって帰ってきました。記念写真もぱちり。その後、Bぐみさんもやってきて同じようにつくしをとりました。そして同じように、記念写真をぱちり。楽しいひとときでした。

 けれどもこれは本来の保育計画にはなかったことだったのです。保育計画が天候に左右されるのはもちろんですが、それにもまして、考えるところがあったのです。


 十三日の月曜日の朝、わたしは甲部先生を呼んで話をいたしました。その内容を簡単に言ってしまえば、「だいぶ卒業式の準備ができてきたから、Aぐみさんと楽しく過ごすように」ということでした。
 各クラスの教師も個別に呼んで、「卒業式の準備なんて、あんまりしなくていい」とさえ、申しました。「Aぐみさんとの最後のひとときを、楽しく過ごせるように工夫してほしい」。そう指示したのです。
 みんなはその意図をちゃんとわかってくれて、一工夫も二工夫もしてくれました。それが、園庭の雪遊びや、小丸山公園へのお散歩、つくしとりへと結びついているのです。

 らんこ先生もあきれたかのように、七尾幼稚園のブログで書いています。
 『土曜日の卒業式まであと3日。さすがに、子供達にもお別れムードが感じられます。みんなで一緒に遊ぶのはあと少しなんだという意識から、あれもこれもして遊びたい!という気持ちがあふれている子供達。私の方も思う存分遊んでいってね!と思います。
 まだ卒業証書の授与のやり方もしてみてない・・・というのに、年長さんは園長先生も一緒に小丸山公園にお散歩にいってしまいました。年中さんは、駐車場でつくしをとっています。
 普通の園では卒業式の予行とかするんだろうなぁと思いつつ・・・。いつもにも増してその笑顔を写真に納めておくことに忙しいらんこ先生。この楽しい雰囲気のまま、当日を迎えてほしいと願っています。』



 今度卒業するAぐみさんは、入園してきたときから、ほのぼのとした感じのする子供たちでした。あんまり自己主張をするわけでもなく、みんなよい子で、先生のお話をちゃんと聞いてくれる子たちでした。そして、先生の気持ちをくんで、先生がしたいと思っていることを先回りをして、みんなでがんばって協力して、実現してくれる。そんな子たちでした。先生のお話をよく聞く、とっても優等生のクラスだったのです。

 Cぐみさんの時もそうでした。自己主張が強くなるはずのBぐみさんの時もそうでした。もちろん、Dぐみさんからのお友だちも、そうだったのです。


 私がこのクラスの担任と共に、そして幼稚園全体で、心を砕いてきたのは、「行事や課題をこなすのはいけない」ということでした。また「教師の個性が表に出ないこと」でした。
 だって、教師が課題としたことは、一生懸命こなしてくれるし、それなりにうまくまとめてくれるのですから。そしてそれが楽しそうなのです。だから「自分たちで考えて、話し合って答を見つけていく」ということをしなくても、どんどんクラスがまとまっていくのです。教師にとっては「楽」なクラス。それは、教師が自己満足をしかねないクラスでもあったのです。

 Dぐみさん、Cぐみさん、そしてBぐみさんの時代を経て、Aぐみさんになりました。そのとき、子供たちのやってみたいことやアイデアを聞いてみて、それを実現するために甲部先生も蘭子先生もまた他のクラスの先生も手伝いました。母の会の役員さんにもお願いし、場合によってはもっと広くお手伝いをお願いしたこともありました。Aぐみさんの自分たちで考えたことが、自分たちで実現できたんだって、感じてほしかったからなんです。
 おひなさまの会のオペレッタは、そんなAぐみさんの集大成でした。わたしはとっても満足していたんです。Aぐみさんみんなでアイデアを出し合って作り上げたオペレッタだったんですから。

 
 



 三月になり、一年を振り返りながら、場合によっては入園してきたときからを振り返りながら、時を過ごしてきました。少ししんみりした雰囲気の中で、この一年間やってきたダンスや遊びをやってみました。そして卒業式の準備に入っていったのです。
 とってもよい子のクラスなんです。先生の気持ちに自分たちの気持ちを添わせてくれます。先生が卒業式の準備に入れば、子供たちも卒業式の準備に入ります。覚えなければならない「主の祈り」を教えれば、一生懸命覚えようとします。「卒業制作」で作るべきものを相談すれば、教師の気持ち通りのものを指定してくれます。
 「あっ、いけない。」
 そう思い始めました。
 「目的のための手段が
  目的そのものになるとしている」
 そう、感じはじめました。

 目的は、幼稚園での出会いや遊びをしっかり心に刻むこと。そして、子供たちが小学校への希望を、こころにしっかり持つこと。
 だから、毎日の遊びがあり、その節目として「卒業式」がある。
 卒業式を立派にすることではなく、小学校に向かう心を整えることにこそ、目的があるはず。卒業式は、その手段にすぎません。

 よい子のクラスだから、形を整えることには、何の苦もなくつきあってくれます。ある程度の道筋を教えれば、しっかりとそれをこなしてくれるでしょう。何度も練習して、リハーサルをすることにもつきあってくれるでしょう。けれど、このAぐみさんには、もっともっと大事なことを知ってほしかったんだ。そう思ったのでした。
 「だいぶ卒業式の準備ができてきたから、卒業生たちと楽しく過ごしていいよ」。甲部先生にそう言って、雪遊びにも興じることにしました。小丸山公園へのささやかな卒業お散歩にも出かけました。
 「卒業式の準備なんて、あんまりしなくていい」「Aぐみさんとの最後のひとときを、楽しく過ごせるように工夫してほしい」と言って、卒業式が立派にできることよりも、その心の方に目を向けてほしいと、願ったのでした。


 『愛されていることを知り
   愛する者となるために』

 
 七尾幼稚園の願いは、この短い言葉に言い表されています。
 少なくとも、卒業するAぐみさんは、この言葉を入園してきたときからわかっていたかのようでした。そして、何の苦もなく、毎日の生活の中で、この言葉を実践していたのです。


 Aぐみさん。
 優しくて、穏やかでステキなステキなAぐみさん。自分の心に元々持っている優しさを大切にしてください。
 優しさは、愛する人をしっかり受け入れるためになくてはならないもの。けれどそれは、元々持っているものに、更に磨きをかける必要があるものなんだ。したたかでしなやかな優しさこそ、本物の優しさ。みんなが育っていくときに、一緒にその優しさも、育てていってください。それが君たちの力になると信じます。
 
 卒業、おめでとう。


(2006年3月16日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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