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「「お星様にさわれる話
      別のところで」

 園長  釜土達雄

 

 七月二日、七尾幼稚園たなばた様の会。その会の中で毎年同じように話される私のお話があります。それは、「お星様にさわれる話」。
 このお話し、毎年同じようにお話しするのですが、毎年子ども達はちゃんと忘れてくれていて、毎年新鮮な気持ちで聞いてくれる。それはとても大切な私の宝物のお話しです。

 このお話は、こんな風に始まります。
『みんなは、お星様って知っていますか?みんなはお星様を見たことがありますか?夜になるとお空にきらきら輝いていて、とってもきれいです。みんなはお星様に触ったことがありますか?実は釜土先生は、お星様に触ったことがあるのです。』

 子ども達はおめめをまん丸にしてつぶやきます。
 「うそや!」

 ここが正念場です。
『ウソではありません。本当です!
 釜土先生は、本当にお星様に触ったことがあります。
 お星様に穴を開けたことがあります。
 星くずにまみれて遊んだことがあります。
 宇宙の怪獣と戦って、捕まえたことがあります。宇宙人と握手をしたことだってあるのです。』

 明確に、きっぱりと、自信を持って、断言します。胸を張り、自慢げに、ちょっと斜めにお空の方を指さしながら断言するのです。
『本当です!』

 すると子ども達は、口々にいろんなことを言い始めます。
 「うそつき!」「でたらめ!」
 「できるわけない!」

 ここが快感。
 再度繰り返すのです。
『ウソではありません。本当です!
 釜土先生は、お星様に触ったことがあります!お星様に穴を開けたことがあります!星くずにまみれて遊んだことがあります!宇宙の怪獣と戦って、捕まえたことがあります!
宇宙人と握手をしたことだってあるのです!』

 わーわーきゃーきゃー、いろんな声が混じり始めると再々度繰り返すのです。
『釜土先生は、お星様に触ったことがあります!』          「うそだ!」
『お星様に穴を開けたことがあります!』
             「うそだ!」
『星くずにまみれて遊んだことがあります!』          「うそだ!」
『宇宙の怪獣と戦って、捕まえたことがあります!』         「うそだ!」
『宇宙人と握手をしたことだってあるのです!』          「うそだ!」
『本!当!で!す!』

 いつの間にか、「うそだ!」の大合唱になっているのです。

 ここで、声のトーンを変えてみんなに聞くのでした。
『お星様にさわってみたい?』

 子ども達はさわってみたいのですから大きくうなずいてくれます。
『本当にさわってみたい?』  「うん!」
『お星様に穴あけたい?』   「うん!」
『星くずにまみれてみたい?』 「うん!」
『宇宙の怪獣、捕まえたい?』 「うん!」
『宇宙人と握手したい?』   「うん!」

『ないしょだよ』       「うん!」
『誰にも、言っちゃだめだよ』 「うん!」
『おかあさんにも、お父さんにもないしょだよ』             「うん!」

 みんなが大きくうなづいてから、おもむろに語り始めるのでした。

『まず両手をあわせてこするんだ。お星様にさわりたいって、思うんだ。疑っちゃだめだよ。出来ないと思っちゃだめだよ。お星様にさわれるって、心から信じるんだ。』
『お星様にさわりたいって心から思ったらね、そしてね、きっとさわれるって心から思ったらね、後からやってみてよ、内履きのズックからお外のズックに履き替えてお庭に出てみるんだ。』
『そしてね、もう一度、お空を見上げてね、お星様にさわりたい!って心から思って、いちにのサン!お手てを広げて、思いっきり地面をさわるんだ。』
『ほら、一番近いところにあるお星様、地球にさわれたよ。』
『おててに砂がついたよね。砂って言っちゃだめだよ。地球って言うお星様の星くずがついたんだ。みんなでお砂場で穴掘ったよね。あれ、お星様に穴あけたんだ。どろんこになってお遊びしたよね、それはね星くずにまみれてお遊びしているんだよ。』
『この間、カタツムリ捕まえたよね。カタツムリは、地球ていうお星様に住んでる、不思議な怪獣。おめめは飛び出しているし、逆さまになっても歩けるんだ。遠く離して見たらカタツムリだけど、すぐそばで見てごらん、とっても大きな怪獣だから。』
『お帰りの時に、みんなと握手をして帰るでしょ。みんなは同じ地球というお星様に住んでる宇宙人。』

 子ども達は「へー!初めて知った」というお顔になるのでした。

 そして最後。こんな言葉で結ぶのでした。

『いいかい。遠くばかりを見ていちゃだめなんだ。気がつけばボクらは星の上に住んでいて、気がつけばボクらは星くずにまみれて遊んでいて、気がつけば小さな星の王子様と王女様。本当に大事なものは、遠いむこうの手の届かないところにあるんじゃなくて、みんなの足の下にある。本当に大事なものは、一番身近なところにあるんだよ。
 このこと、忘れちゃいけないんだ。』






 昨年の十月十八日のことでした。青山学院大学相模原キャンパスのチャペルに、私は招かれました。「愛は信じるもの」という題で学生達に話すためでした。
 何を話したのか。驚くことはありません。この「お星様にさわれる話」を、七尾幼稚園の子どもたちに話しているのと同じように、学生達に話したのです。

 その後一人の学生からメールが届きました。

『相模原キャンパスでの、先生のお話し、拝聴しました。
 七夕さまのお話、理系ということもあって、途中から話の内容がだんだんわかってきましたが(笑)・・・なんて、失礼しました。
 私が書きたいのはその点ではなくて、その前の「お星様に触りたい、と思い続ければ、触ることができる。お星様に手が届くと信じれば、手が届く」というところです。
 正直、泣くかと思いました。
 中高とミッション系の学校で過ごし、当番制に回ってくる「クラス礼拝」で「星」の意味を調べたことがあります。
 星、なんて使い慣れた単語を辞書で改めて調べるのなんて初めてで、四つめ位の意味で、「夢」と出てきたことに驚き、感動したことを覚えています。
 それから何かの句などで「星」という単語が出てくるたびに自分の中で「夢」と置き換えていました。

 最近、修士論文の研究について悩んでいたり、母校の教員採用試験を急に受けることを決意したり、またそのことで悩んだり、青年海外協力隊に申し込もうかどうか・・・などと、心に余裕がなくなっていました。

 今日の先生のお話しでは、勝手ながら「夢に触りたい、と思い続ければ、触ることができる。夢に手が届くと信じれば、手が届く」と、自分の中で変換させてもらいました。なんだか、「まだまだいける!」って思いました。

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 あと、七夕様のお話のクライマックス、「地球は一番身近にある星で、砂は星屑」。
 私の大好きな本、ヨースタイン・ゴルデル氏の『鏡の中、神秘の国へ』を思い出しました。
 その本に書かれていたものの一つは「私たちの体はみな星のかけらからできている」という、考えれば当たり前のことなのだけれど、言われないと一生気づくことができなかった真実です。
 私が今まで学んだ中で、「重力場、電場、磁場、での物体に対する力の働き方は、すべて同じ形の式で書ける」というのと「私たちの体はみな星のかけらからできている」というのは、同じくらい好きな宇宙の真実です。
 神の完璧さというか、神が創った物(目に見えないものも含めて)の美しさというか、自分もなんだかすごいものの中の一部であることに感動します。

 今日は、本当にありがとうございました。
また、きてくださいね。』


 七尾幼稚園の子どもたちからも、いつかこんなメールがくることを、楽しみにしています。 



(2005年7月19日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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