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Dぐみのお部屋から

担任 堂脇真規子



  Dぐみのお部屋の窓に、暖かい陽の光が差すようになってきたこの頃。「せんせーおそと行きたい!」の声がよく聞こえます。
 そんな時は、玄関の靴箱にいって、靴を履きかえてお庭に飛び出していきます。幼稚園に入園の頃は、お庭しか目に付かずそのままのズック・・・。もう一度戻ってということもありました。自分でくつをはき替えること、それも小さいDぐみさんには一回ごとのチャレンジ。なかなかうまくはけなくて困っていると、いつの間にかDぐみさんの周りにはAぐみさんやお友だちの姿がありましたね。お手伝いしてもらったりしながら、覚えていきました。
 今では、色んなことに『自分で!』という言葉が聞かれ、当たり前のようですがとても大切な【自分でじぶんのことができる】喜びを感じたりしています。時には、「どうしたん?」と困っているお友だちに声をかけたり、「せんせー○○ちゃんが・・・」と教えてくれることもあります。まだまだ、お気持ちと行動が一致しなかったりのDぐみさん。その幼稚園で一番小さいDぐみさんが受けた優しさをそのまま新しいお友だちに伝える姿に、ほほえましさと成長の姿を感じるのでした。

 今年、そんなDぐみさんにひそかに流行っていたこといえば『おてがみ』でした。
 『おてがみ』といっても、Dぐみさんにルールはありません。別に必ず文字が書いあったり封筒に入っている訳ではないのです。お家にあった思い思いの紙、メモ紙、何でもいいのです。お友だちのお顔らしき絵が描いてあったり、文字をまねたつもりのようなものが並んでいたり。紛れてしまった事もあったかもしれません。時にはそれだけをもらっても『?マーク』ではと、宛先と差出人の名前を書いてお渡ししたこともありました。
 『おてがみ』を持って、玄関で渡したいお友だちを待つDぐみさん。そのお友だちが登園すると笑顔でお渡しするのです。嬉しくてずっと手に持っていたお友だちもいましたね。
 今は、まだ『おてがみ』といっても内容が大事というより、模倣遊びの一つ。誰かに渡す、ということが一番大事なのでしょう。
 でも、初めて幼稚園に来た頃のDぐみさんの『誰か』といえば、まず『お母さん』。それとも渡さず『自分』で持っていたかもしれませんね。『自分』がいてお家には『お母さん』がいる。そして、幼稚園には『お友だち』がいて楽しいことが沢山ある。そんなことを体感して過ごしてきた毎日からの『おてがみ』ではないかと思うのです。まさに、身の周りに目を向けるようになったしるしともいえるでしょう。お友だちと楽しく過ごすための言葉でのやりとりも、始まったばかり。この『おてがみ』というやりとりが、どんな形を変えていくのかとても楽しみです。

 先日は、暖かい陽の光に誘われ、Dぐみさん揃ってお庭の【春さがし】探検に出かけました。
 お友だちと手をつないで歩くと、Dぐみさんのお部屋の窓の前に小さな芽。それは4月の頃チューリップの花が並んでいた所です。その芽がかわいくて嬉しくて♪さいた、さいた、チューリップのはながー♪と一緒に思わず歌ってしまいました。今年も素敵な花を咲かせて、その目を楽しませてくれるのでしょうね。
 製作でも楽しんだあじさいの木の芽や、桜の木の芽も顔を出しています。「お花の赤ちゃんや」「まだねんねしとるの」口に手をあて「シーッ(静かに)」としたり・・・。お庭からはフェンスの向こう側に、ふきのとうも地面から顔を出しているのが見えます。

 花のつぼみのようなDぐみさん。少しずつ広がってきたDぐみさんの世界もまた、それぞれの速さで新しい歩みを始めようとしています。春は確実にすぐそこに来ていますよ。この一年間、ご協力ありがとうございました。
(2005年3月17日 七尾幼稚園 Dぐみのお部屋から)

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