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「「不思議だな
 そう思う心を大切に」

 園長  釜土達雄

  昨年から手品がブームなのだそうです。
 少し前には、Mr.マリックさんの手品にとても人気がありました。大きな装置を使うわけでもないのに、少し大きめの会場で次々に繰り出される不思議な出来事に、テレビのこちら側にいるわたしも引きつけられたものです。

 ところが去年からの手品のブームは、「テーブルマジック」と呼ばれる手品です。十人以内の比較的人数の少ない人の前で行なう手品で、トランプやコイン、カップなどを使って行なう手品。すぐそばで行なうのですから、テクニックが要求される手品です。
 しかも、見せ方が重要。観客の方が注目してる場所とは違うところで、大事な動きがあったりするために、組立を間違えると手品にならないということもある難しい手品です。テレビを見ていて、とても感心してしまいます。

 手品がブームだというのならば、わたしにもお話ししたいことがあります。わたしは、小さい時から手品少年だったからです。

 小学校の低学年の頃に覚えたのは、「折れないマッチ棒」という手品でした。
一本のマッチ棒をハンカチの中央に置いて包んでいきます。観客の方にマッチ棒があるのを確認してもらい、そのまま折ってもらいます。折れていることを、包んだまま確認してゆっくりハンカチを開いていきます。すると・・・折れていないマッチ棒が出現するという手品です。
 移動する輪ゴムという手品も大好きでした。
 左手の中指と人差し指二本に、一個の輪ゴムをかけます。右手で輪ゴムを伸ばしたり縮めたりします。何度か右手で伸ばした輪ゴムを離すのですが、移動しているわけではありません。三回目か四回目、気合いを入れて離すと、中指と人差し指にかかっていた輪ゴムが、薬指と小指の方に移動する。そんな手品です。

 小学校の三年生ぐらいまでは、この二つの手品で結構人気者でした。けれど、この二つの手品しかしないので、「またかよ!」と飽きられていたのも事実でした。

 小学校の高学年になると、安全ピンの手品を覚えます。これは今でも時々披露する手品で、わたしのお気に入りです。
 ハンカチのひとつのすみに安全ピンを通します。安全ピンがハンカチに刺さっていることを確認してもらい、安全ピンの刺さっている方をわたしがもちます。同時に反対側をお客様にもっていただきます。安全ピンをいじりながらおしゃべりをしていると、ある瞬間に安全ピンがハンカチを滑ってお客様の方に移動するのです。
 もちろん安全ピンはしっかりハンカチに刺さっている。一瞬「なぜ?」のお顔になって、お客様がハンカチを取り上げるようにして確かめる。手品が成功した時の快感です。

 中学生になった時、わたしはデパートの手品用品売り場で、わたしの人生を変えるような決定的な手品に出会います。
 「チャイナリング」。それは、手品に対するわたしの興味を、テーブル手品から、ショーステージ手品へと転換する大きなきっかけとなりました。

 チャイナリングは、その名の示すとおり中国を起源にもつ古典的な手品です。
 原則、六つのリングを使います。直径二十二〜三センチのバラバラのリングを使います。ところがそのリングがつながったりはずれたりします。お客様にそのリングを渡しても、怪しいところが見つからず、なぜそうなるのかが判りません。つないだりはずしたりしている内に、六本のリングが全部つながったりします。もちろん最後は六本のリングがバラバラになります。

 何ヶ月分ものおこづかいを張り込んで購入しました。タネも判ったし、やり方も判りました。練習もしましたが、困ったことがあったのです。
 演じ方が判らないのです。

 手品売り場の人の実演を何度も見ましたが、しょせんは、テーブル手品の実演。この手品のおもしろみ、ステージ手品の魅力にはいたりません。ですからかなり自己流の演技となりました。けれども学んだのです。手品は、タネも大事だけれど、もっと大事なのは、演じ方なんだ・・・ということ。
 手品の一番大事なのは、タネ。それがないと、不思議のすべてがなくなります。けれど、タネを知ってみると、たいがいのタネは大げさなものではありません。タネも大事だけれど、その演じ方が、手品のおもしろさを決定づけるのです。手品のスターは、同じ手品が出来たとしても、その演じ方でスターになれるかどうかが変わるのです。




 日本テレビ「世界一受けたい授業」の講師で米村でんじろう先生という方がいらっしゃいます。当たり前のことを当たり前のように演じてくださる、科学の先生です。すぐにタネあかしがあって、科学の解説があるのですが、その科学のおもしろみは、目からうろこの、大納得です。
 大好きな尊敬する先生ですが、そんなにすぐにタネあかしをしなくてもいいのに・・・と思います。手品少年だった時代の心が、出てしまうのです。


 先日のあるホールの時間。わたしは子どもたちの前で、でんじろう先生と手品を組み合わせた、驚きのショーステージをいたしました。

 「雪を水に変える」という、一大ショーステージです。
子どもたちに、今朝積もっていた雪のお話しから始めます。雪をバケツにいっぱいとってきて、これを各クラスの子どもたちに見せてあげました。


 順番にさわってもらいます。冷たい雪。ふわふわの雪、そして堅い雪。
 その雪が、全員の手に触れて戻ってきた時には、少しずつとけて、水が滴りそうになってきます。

 わたしは子どもたちの前で、大声で言いました。
 「この雪に魔法をかけましょう。
  水になれ!」

 ギュ!と雪を握りしめたら、水滴がポタポタと・・・。

 子どもたちは、
 「お、お、おっ!」
 「すげー!」

 その後は拍手喝采です。

 Aぐみさんから声がかかります。
 「あたりまえじゃん!」
 「しっ!」とわたし。

 当たり前なんです。雪がとけたら水になる。
 けれど、その当たり前を、どれだけ衝撃的に受け止めたか・・・。当たり前のことを、不思議と思いながら受け止めた経験があったか。そんな経験が多いと、きっと科学する心が生まれるのではないか。そう思います。

 当たり前のことを、当たり前と受け止めながら「あたりまえじゃん!」と、言っているAぐみさんが、Cぐみさんの時にはまん丸お目々だった。そこが大事だと思うのです。

 わたしは、演じ終わったと、大得意でホールをあとにしました。
 Dぐみさんのれんらくちょうに、「『雪があって』『魔法をかけて』『水になった』って何ですが?」。堂脇先生が、「雪を水にする手品を、園長先生がなさったのです。びっくりすることではないのですが・・・」。
 お家の皆様には????であっても、子どもたちにはきっと心の中に深く残るであろう、衝撃的な経験でしょう。もちろん当たり前ですから、演じ方は忘れるでしょうが、雪がとけたら水になるということを、自分もやってみたくて、それが出来て、自分の知識となっていく。それでいいのです。

 タネあかしをしたくなるでんじろう先生の心と手品師の心が合わさっています。
 けれどどちらにしても、不思議だなっていう心が大事なのは共通しています。こんなこと
のことを、不思議だなって思う子どもたちの心を大事にしたいと思います。
(2005年2月22日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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