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「人間が人間になるために」

 園長  釜土達雄

   一九二〇年一〇月十七日、北インドのゴダムリ村で二人の少女が保護されました。一人は八歳ぐらい。もう一人は一歳半ぐらい。年上の子はカマラと名付けられ、年下の子はアマラと名付けられました。

 この二人が有名なのは、この子達が特殊な幼少期を過ごしたからでした。彼女らはオオカミによって育てられていたのです。

 その様子は、『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』J.A.L.シング著(中村善達・清水知子訳 福村出版)に記されています。よく知られている出来事です。


 著者のシングは牧師で、北インド地方の伝道旅行の最中でした。
 ゴダムリという村に着いた時、不思議な話を聞くことになります。人間のような体つきだが、恐ろしい顔つきの動物が住んでいるというのです。そのために村人は、この村を捨てようと考えているというのでした。
 興味を持ったシングはその恐ろしい動物を見てみようと考えます。村人達は、シングとその動向の者達が、この恐怖を取り除いてくれるかもしれないと考えます。
 準備を整えた一〇月九日、その動物にシングとその同行の者達は出会うことになります。

 『九日(土曜日)の夕方、四時半から五時ごろまで薄暗くならないうちに、わたしたちはこっそり台に囲いをし、その中で一時間ほど気をも見ながら待っていた。すると突然ある穴から大人の狼が現れた。・・・続いてまた、同じくらいの大きさの狼が一匹現れた。さらに、もう一匹の狼が出てきた。その後に、二匹の子ども狼がくっつくようにして続いて出てきた。・・・子ども狼のすぐ後ろから・・・恐ろしい形相をした生き物が現れた。手・足・体は人間のようだった。しかし、頭は何かの玉みたいで、(頭の毛が)方や胸の上部をおおい、青はその鋭い輪郭が見えるだけだった。だが、確かに人間だった。そのすぐ後にもう一匹、最初のとそっくりだが、いくぶん小さめの、恐ろしげな生き物が出てきた。それらの目は輝き、指すように鋭く、人間の目みたいではなかった。しかし、私はすぐにこれらは人間だ、という結論に達した。・・・両方とも四つん這いで走った。』

 その八日後。二人は狼の巣穴で保護されます。
 『そこには、狼の家族が住んでいた。今は、すみっこに、二匹の子ども狼ともう二匹の恐ろしい生き物とがまるでモンキー・ボールのように、しっかりとからまりあっているだけだった。』

 このようにして保護された二人は、いったんゴダムリ村の住人の家に預けられます。シングが戻ってくるのは二三日ですが、その間水も食事も与えられていなかったというのでした。水を与え食べ物を与えて、体力の回復を待つことになったのでした。

『食べ方
一九二〇年十一月一五日
 カマラとアマラは、地面に置かれた皿に口をつけ、大のように皿から飲み食いするのが常だった。飯、肉などの固形食は、このようにして、手を使わずに食べた。水や牛乳のような流動物は、いつも子犬みたいに〔ペチャペチャ〕なめた。これは、一九二〇年一一月一五日にはじめてわかったことである。その時彼女らは、まだただれが完全には直っていなかったが、すわったり這いまわることはいくらかできた。
一九二〇年二月一九日
 おなかがすくと、食べ物が保存されている所へ臭いをかぎに行き、そこにすわっていた。これは、この日わかったことである。しばらくすわっていても食べ物が得られないと、よそへ行き、またすぐにもどってくるのだった。飲み食いするものが何か得られるまで、これを繰り返した。』

『歩き方と走り方
 カマラもアマラも、人間のようには歩けなかった。彼女らは四つ足で前進した。頭は幅広い肩の上に直立し、胴体は腰関節の上でまっすぐにのびていた。太ももは、ひざのところで脚と鈍角をつくり脚は発達したかかとの上にあった。そして、胴体の全体重を支えるため、足指は地面に広げられていた。また、胴体の前の部分は、地面に広げられた手のひらや手指、腕に支えられていた。
 こうして彼女らが動く時は、絶えず筋肉の反射運動があり、ゆっくりであろうと速くであろうと、移動するにつれ、最初は頭、それから腰へと反射運動がみられた。
 また、ゆっくり動く時はふつう手とひざで進んだ。この姿勢だと速く走れなかった。四つ足だと非常に速く走ることができ、その時はとても追いつくのが難しかった。』


 二人の内アマラは、約一年後の九月二一日、病気で死を迎えることになります。


カマラの方は、一九二九年十一月十四日間で生き延びます。カマラも病気で死を迎えます。
 このカマラとアマラ、二人の少女の出来事は、多くの人々に衝撃を与えました。
 特にカマラは、推定十六歳までの約八年間シング夫妻と共に、また施設のその他の子どもたちと共に生きていました。


 カマラと共に生活し、日記と報告書と写真によって報告を書いたシングは、その報告書を次のように締めくくっています。

 『カマラは一九二八年になると、まるで生まれ変わったようになった。彼女は私の推定だと一六歳だったが、人間の子どもとしての成長に関しては、いわば三、四歳の幼児であった。彼女の感覚、理解力、語彙がどのように発達してきたかはすでにみてきた。ふつうに家庭で育った子どもたちとちがい、生活に非常な遅れがみられたが、成長しつつある人間の子どもカマラが、人間的な能力のすべてをだんだんと発達させていっているのを知って、人びとはただただ驚嘆することであろう。折あしく、狼のような生活から人間の生活へと、実際の年齢より何年か遅れてのろのろと発達したこの少女に関する魅惑的な研究は、死によって中断することになった。私はいま、人間に関する二つの要因、すなわち、遺伝か環境の影響かといったことをいずれに決めるかは、あなた方にお任せしたいと思う。』


 確かに初期の頃から比較すれば驚くような改善が見られました。けれども狼と共に過ごしたおおよそ八年間の、人間としての空白を取り戻すことは出来ませんでした。シング自身が言っているように、『人間の子どもとしての成長に関しては、いわば三、四歳の幼児』だったのです。


 シング牧師に会い、カマラに会ったH・パケナム・ウォルシュは、この本のまえがきで次のように記しています。
 『二年後、再び彼女に会った。ことばをかなり覚えたことを除き、精神的な変化は認められなかった。シング夫妻に慎重な質問をおこない、次のようなとても興味深いことがわかった。それは、狼たちはカマラたちに人間的なことをなんら教えられなかった、ということである。カマラとアマラにはユーモアの感情も、(アマラが死んだ時、カマラが涙を流した一事を除いて) 悲しみの感情も見られず、好奇心もほとんど認められず、生肉以外にはなんら興味を示さず、なんらかの悪い所業も教えられていなかったのであった。・・・ここには、人間にとって環境がどれほど重要なものか、また、小さい子どもの教育のとてつもない重要性が明確に示されているのである。』


 「人」が「人」として、「人の間」に生きてはじめて「人間」になっていく。「人間」という漢字は、何ともすばらしいメッセージを持っています。「人」は一人で「人間」になることは出来ないのです。
 そう、人はオオカミに育てられては、人間になることが出来ない。
 青春時代に読んだカマラとアマラの悲しい出来事は、「これが人間のすることだろうか」と考えさせられる事件を見聞きするたびに思い起こす、悲しい出来事です。

 
(2004年9月27日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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