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「カタツムリの平和とヤドカリのストレス」

 園長  釜土達雄

  雨が降り始めて、梅雨に入ったと思ったら、突然に雨が降らなくなって真夏のような暑さ。
 それならば今年は空梅雨かしらと思っていたら、今度は突然の集中豪雨。
 今年の梅雨は変だった。

 梅雨のはずなのに、晴れている日が多かったので、子ども達は元気にお庭でお遊び。お庭のカタツムリは、毎日のように見つかって虫かごに入れられ、お帰りの時間にはお庭に離されるのです。ところがまた次の日の朝早くに見つかって、またかごの中に入れられる。それではあんまりにもかわいそうだからと、たまたまあるお家からカタツムリくんをいただいたので、お庭のカタツムリくんは捕まえないお約束にしたのです。
 おかげで安心してお庭のカタツムリくんはあじさいの葉っぱの上などをのんびりと歩いているのでした。

 カタツムリの形状は実に不思議。あんな大きなお家を背負い、カラから出てくる顔はしわくちゃで、飛び出している長くて大きな触角の先に、つぶらなお目めがくっついている。
 下の触覚2本の間に小さな口があり、口のすぐしたには長い足がある。足と行っても私たちの足とは全く違い、ペタペタとくっついてニュルニュル、ノリノリとからみつきながら歩いていく。飼育ケースの壁も平気、逆さになっても落ちることはありません。
 十分に歩いたら、ひとやすみ。体を全部からの中にしまい込んで、何日でも眠ったまんま。カラの出口のところには小さな穴があって、そこで息をする。ところが、同じ穴を使ってうんちもする。

 そんな不思議なカタツムリが子ども達は大好きです。飼育ケースをみんなでのぞき込んで、「すげー、こんなとこあがっていく」「逆さまになっとる」などと、歓声が上がります。
 それならばと、みんなでえさをあげよう・・・と、にんじんをあげるとうんちはにんじん色に・・・。きゅうりをあげると・・・うんちはきゅうりの色に・・・。
 それを見た子ども達は、「きれいなうんち!」と歓声を上げるのでした。

 子ども達の手に持たれても、動きは相変わらずゆったりとしていて、あわてない。顔を出し、目を出して様子をうかがっても、捕まっているという事実をそのままに受け入れているように思えます。
 時々目を突っつかれても、すぐに引っ込めるのですが、また目をさして・・・。顔をつんつんされても、すぐ引っ込めるのですが、また顔を出して・・・。いつまでも子ども達の遊びにつきあってくれる。

 今あるものを受け入れて満足し、ゆったりとしながら生きていく。それがカタツムリ。

 あのゆったりとした生き方は何だろうと思います。
 私たちのような足はなくとも着実に歩み、私たちのような手がなくてもしっかりはっぱにつかまって、私たちが上れないような所でも平気で上り、私たちがつかまることも出来ないような逆さまなところでも、平気で前に向かって歩いていく。
 水がなくなり、乾いてきたらしばらくはお休み。1週間でも1ヶ月でも平気でお休みをしている。おんなじ場所で、おんなじ格好で、そのまんま。あわてない。

子ども達が帰った後の幼稚園で、カタツムリの住んでいる飼育ケースをしばらくながめていると、不思議な気分になってしまいます。





 夏になると、夏の間だけ登場する幼稚園の水槽があります。
 夏休みが始まったら、今年もなるべく早い時期に登場させたいなぁと思っている水槽。それはヤドカリの水槽です。

 ヤドカリは何でも食べてくれるので、とっても飼育しやすいのですが、それよりも何よりも、ちょこちょこ動いて、とってもかわいいのです。
 海草のかけらを入れておけば、はさみで上手に切って、そのはさみでおはしのようにつまんで口に持って行きます。お口をもぐもぐさせて食べている様子も見ることが出来ます。
 煮干しを入れておけば、いっしょうけんめいつっついて崩しながら、つまんだりして食べています。その一生懸命さが、何ともいえないくらいにかわいいのです。

 そうかと思えば、大急ぎで歩き始めたりします。何を急いでいるのか、どこに行こうとしているのかは分からないのですが、とにかく大急ぎで歩き始めることがあるのです。
 あっちにぶつかったり、こっちにぶつかったり。一匹が大急ぎで動き始めると、その動きがだんだん伝播して、みんなが動き始めることがある。また逆に、一匹が大急ぎで動き始めているのに、他のみんなが全く無視して動かないこともある。パターンが一定していなくて、実に不思議なのがこのヤドカリなのです。

 こんなヤドカリは子ども達にも大人気で、ヤドカリ水槽の前から離れない子ども達が、毎年何人もいます。こんなヤドカリ水槽を今年も作ってみようと思うのです。


 ところが今年は、カタツムリくんと長い間一緒に過ごしたものだから、なんだかヤドカリくんへの思いが、ちょっと違ってきてしまいました。

 磯にたくさんすんでいるあのヤドカリくんは、本当はストレスだらけなのではないかと、考えてしまったのです。
 だってヤドカリは、カタツムリのように自分の貝殻を持っているわけではありません。自分に与えられているカラで、満足しているわけではないのです。
 どこかに自分に合う貝殻はないか。もっと自分にふさわしいものはないか。そんな風に考えて、いつも探しまわっています。
 どこかにない方一生懸命探し回り、あっちに行ったりこっちに行ったり。疲れ果てて休んでも、しばらくしたらまた動き始めて、探すのです。
 自分にふさわしいカラはこんなんじゃない。もっとふさわしい、カラがある。もっと立派なカラがある。いつも現状に満足できないのでしょう。今の姿で満足すると言うことが出来ないのでしょう。ささやかな喜びや満足では満ち足りることがないのでしょう。手のはさみを使って大きさを測り、カラを持ち上げてあっちを確かめこっちを確かめ、何度も調べて吟味をしています。気に入らないと大きく二つのはさみで持ち上げて、ポイと遠くに捨ててしまうことだってあるのです。そんなとき、大きくため息をついているようにさえ見えてくるから不思議です




 それでもラッキーなことに、自分に合うカラを見つけることが出来たら、お引っ越し。少し時間をかけて水槽のそばに居続けると、ヤドカリのこのお引っ越しを目にすることだって出来るでしょう。
 けれど、その満足もそんなに長くはありません。やっぱりすぐに新しいカラを求めて探し始めるのです。

 ちょこちょこ動いてかわいいヤドカリは、いつも今の自分に満足できない大きなストレスを感じているのではないか。そんな風に感じてしまったのでした。

 いやいや、自分に与えられた現実に満足することが出来ないで、本当は不満ばかり感じているのが自分ではないか。あっちに行ったり、こっちに来たり。ちょこまかちょこまか動き回っているけれど、それは今の自分に満足できないで、毎日不満ばかりを感じているのではないか。現状に満足できないで、何でもないことに焦っているだけではないのだろうか。本当は本当はカタツムリのように、今ある現実をそのままに受け入れる方が正しいのではないか。

 もちろんかたつむりも、やどかりも、そんなこと全く関係なしに、普通に生きているのです。
 けれども、カタツムリと一緒に過ごしながら、ちょっと今の自分を反省したのでした。

 
(2004年7月20日 七尾幼稚園園だより巻頭言)

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