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目的のための手段が
 目的そのものになっては
        いけません



園長 釜土達雄




  九月五日と六日。わたしは富山県の大山町にある『立山国際アルプスホテル』というところにいました。金沢の北陸学院高校三年生の修養会の講師として、二日間にわたって女子高生とすごしていました。
 講演題は『使命に生きるーー幼稚園の園長として感じていることーー』。要するに、高校三年生として進学や就職を考える時に、どんなことをわきまえていなければならないかを話して欲しいということだったのです。

 生徒たちは全員が『将来について』という作文を提出し、その内の何人かがその作文を発表しました。小さな分団に別れ、わたしの講演と合わせて、話し合う。最初のうちは、「文化祭の前に何でこんな会があるの!」なんて言う声が生徒の中から起こっていたようなのですが、真剣な話し合いの時となりました。よく話も聞いて聞いてくれて、講師としてもとっても楽しい会となりました。わたしは一昨年に続いて2回目の奉仕となったのです。

 ただ、今回は少々やりにくいことがありました。なぜならその三年生の中に七尾幼稚園の卒業生が二名いたからなのです。また、Cぐみさんのときに七尾幼稚園にいて、そのあと金沢の幼稚園に転園していった子が一人。要するに、七尾幼稚園の話をする時に、その七尾幼稚園ですごした子供達が三人もいたのです。これはちょっとやりにくかったなぁ。

 けれどもそんなことぐらいではへこたえるわけにはいきません。おもしろおかしく、幼稚園での毎日をお話しさせていただいたのでした。そんな話のいくつかをここでもご紹介させていただきます。


 中学生が職場体験にやってきて、当時新任の折田先生にインタビューをしたことがありました。それが、職場体験の報告と共にインタビューがそのまま中学生のメモした言葉として、職場体験の文集に載ったことがありました。

『中学生 「幼稚園の先生として楽しいことは何ですか」。
折田先生 「子供達の笑顔に毎日出会えること」
 中学生 「幼稚園の先生として、辛いと思ったことはどんなことですか」
折田先生 「食事の最中のゲロの後始末」』


 

 子供達はごっこ遊びが大好きで、泥だんごを作って「おいしいおにぎりですよ」ともってきます。お茶碗にお砂を入れて「はい、ごはんですよ」。型どりをした黒砂の上に白砂をかけて、「先生!ケーキどーぞ!」。それをおいしそうに食べるのも幼稚園教師の仕事の一つです。

 ある時こんなことがありました。一人の男の子が、植木鉢やプランターを一生懸命ずらして何かを集めているのです。通常は「虫さがし」なのですが、なぜかその時に持っていたのは「虫かご」ではありませんでした。おままごと用の大きめのお茶碗だったのです。
 「何をしているんだろう?」と思っているわたしの思いとは別に、お茶碗と一緒に棒を二本持って、今はもう退職した新任の某先生のところに嬉しそうに持ってきたのでした。
 『先生、おいしいラーメン出来たよ!』
 見るとお茶碗の中は山盛りの『ミミズ!』
 その先生、それを見て一瞬に顔が引きつってしまったのでした。そして・・・『おいしそうなラーメン。ありがとう』。そして一生懸命、おいしそうに食べるまねをしていたのです。わたしは、その時笑いをかみ殺すのに精一杯でしたが、あとでその新任の先生を、心からほめたのです。


 わたしはこんな話をしてから高校生に語りました。
 「好きで初めても、いやになるようなことはいっぱいある。中途半端に好きだからでは、ダメなんだ。使命感を感じるほどに、本当に好きにならなきゃ、仕事を続けることは出来ないんじゃないか。」

 またこんな風にも語りました。

 「幼稚園の先生や保育園の保育士になりたいと考えるのはすばらしい。
 けれども考えて欲しい。幼稚園の先生になりたいというみんなの夢をかなえるために、幼稚園があるんじゃない。
 幼稚園に就職できて良かったって、みんなのお父さんやお母さんに喜んでもらうために、幼稚園があるんじゃない。

 子供達のために、幼稚園の先生がいるんだ。 子供達にたくさんの経験をしてもらうために、幼稚園の先生がいるんだ。間違えてはいけない。幼稚園の先生のために子供達がいるんじゃない。」


 いろんな話をしました。いろんな話をしましたが、ポイントはそんなに多くはありませんでした。

 「目的を見いだして欲しい」。
 「進学にしても、就職にしても、自分がなぜそうしたいのかというその理由、その目的を見いだして欲しい」。そう考えて話を組み立てていました。

 合格することが目的になったり、就職することが目的になったり。すなわち「目的を達成するための手段が、目的そのものになってしまったら、いない」ということを伝えたかったのです。


 帰ってきてしばらくしてから、幼稚園では『運動会ごっこ』が始まりました。そして今、『運動会ごっこ』の真っ最中。

 七尾幼稚園では、『運動会の練習』と言わないで『運動会ごっこ』と言っています。ここがミソ、なのです。

 『運動会ごっこ』の【ねらい】を、わたしは次のように定めています。

@みんなで一緒にやってみる。
A身体を使って、いろんな事にチャレンジしてみる。

 また今年度の教師用の解説に、わたしは次のように記しました。
【解説】
*本来運動会は、ごっこ遊びの延長線上にあるものですから、見せると言うことよりも子供達が一緒に楽しむということに目的があります。けれども、子供達の成長をお家の方々が期待して集まる大事な会でもありますし、子供体もそのことを自覚して「一生懸命にやろう」と考えています。そんながんばりも利用して、少しでも見栄えの良いものに出来たらよいと思います。ただ、ごっこ遊びの延長線上にあるのが主であって、見せることが本来の目的ではないということは、知っておきましょう。目的と手段が逆になってはいけません。

 わたしの思いは、短いこの解説に凝縮しています。また教職員は、ご家庭の期待を感じながら、けれど子供達の楽しい思いをつぶさないようにと、苦労しながらバランスを保とうとしています

 見栄えの悪さが少々多くあったとしても、ご理解をいただくことが出来て、子供達が楽しんでがんばっている姿を、ご家庭の皆さまとご一緒に、ほほえみを持って見ることが出来れば、園長としては、嬉しいと思います。
(2002年10月4日 七尾幼稚園園だより巻頭言)



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