今年の七月は様子がヘンだった。そう思いませんか?台風が六号七号と日本列島を直撃。けれど、なんだかヘンですよね。ふつう台風は秋。それが七月の梅雨の時だなんて・・・。 北陸では台風の直接の被害はなかったものの、台風が梅雨前線を刺激して能登でも被害が相次ぎました。床下浸水が羽咋や鹿島であったり、崖崩れが起こったり。七尾線でも特急や普通列車が運休したりしました。 大変なことはいっぱいあったし、心配もしたけれど、今日の十七日には「台風一過の青空」が広がったのでした。もっとも、梅雨が明けたわけではありませんから、何となくぐずついてしまって十九日の港祭りの「チビッコカーニバル」が大いに心配なところ。それでも一時の「台風一過の青空」が嬉しいところでした。 「台風一過の青空」といえばいつも思い出す人がいます。七尾幼稚園が現在の園舎を建てている時にお借りした「旧水谷医院」の奥様水谷歌子さん。水谷さんはずいぶん長い間、「台風一過の青空」とニュースで聞くたびに、「台風一家の青空」と思っていたんだそうです。「台風が一家でやってきたら、青空になる???」と思っていたんだって。 本当は聞いてみたいけど、誰にも聞けないで八十年間、「ヘンだなぁ?」と思っていたんだそうです。 何の時だか台風の話になって、「台風一過」の話をしていたら話の中に割り込んできて・・・「・・・そうだったんですか。今まで知りませんでした・・・すっと台風一家だと思ってました・・・」。 そんな事って、誰にでもありますよね。 わたしは、高校生の時にはじめてみた「月極駐車場」を「げっきょく駐車場」と読んでいました。だいたいそう読んだことが間違いのもとだったのです。 あちこちで歩いてどこにでもある「月極駐車場」。東京にも、名古屋にも、大阪にもあるので、「全国展開の駐車場なんだ」と自分なりに納得していたら・・・間違いだったのです。 間違いに気付かせてもらったのは「漫才のネタ」でした。 「げっきょく駐車場って、思ってるやつがいるだろう?あれは『つきぎめ』って読むんだよ。全国展開の駐車場じゃない!」 誰かに指摘されて、間違いに気付かされたんじゃなくて、「ホッ!」としたものでした。 そんな自分なりの納得って、ありますよね。 わたしは小さい時、良く父親に銭湯に連れて行かれました。夜に連れて行かれるので、しょっちゅう「月」が出ているのを見ていました。 いろんな形に変わっていく月も楽しみでしたが、不思議でしょうがなかったのは、自分がいくら歩いていっても、月が同じ位置にあってついてくるように見えるということだったのです。わたしは自分なりに「きっとお月様はボクのことが好きだから、ついてくるんだ・・・」と思っていました。それは、誰に確かめる必要もない程に、当たり前のことだと思っていたのでした。 小学校二年生ぐらいの時だったと思いますが、いつもと同じように銭湯に連れて行かれる時に、父親にその話を何かのきっかけでしてしまったのです。 「お月様は、ボクが好きだからついてくるんだよね!」 それに対する父親の答えは実に素っ気ないものでした。 「違う、遠いところにあるからだ」。 「・・・」。 その後科学的な解説をいろいろしてくれたのですが、わたしには「・・・」でした。 科学的には父の方が正しいのかもしれないけれども、文学的にはボクの方が正しかったのではないか・・・そう思います。とっても悲しい思いをした、忘れられない思い出です。 ある時こんな質問をされたことがあります。 「夜はなぜ暗いのですか?」。 夜だからでしょうか。夜には太陽が出ていないからでしょうか。確かにそれもその通りです。けれどももし、「夜はなぜ暗いのか」という問いを、「宇宙はなぜ暗いのか」という問いに置き換えてみると、もっともっと深い答えがあるのです。 なぜ、夜は暗いのか? 科学する心の場合、「だってそんなの当たり前ジャン!」では済ませてはいけないことがいっぱいです。 自分なりの納得が、間違っていたことに気付く時、なぜだろう?という気持ちが芽生えてくる。 「答えの提供」よりも。「この世界にはお母さんやお父さんにも判らないことがいっぱいある」ということが見いだせたら、それはとってもすばらしいことでしょう。 |