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青が争うと書いて静かという
  平和なるかな

園長 釜土達雄


  先日の夜、ちょっと自分の書斎を掃除をしていましたら、高校生時代のノートが先日ひょいと出てきました。
 何が書いてあるのかと読んでみましたが、実につまらない思考過程が長々と書いてあって、がっかりでした。

 「日記と手紙は一度書いたら読み返してはならない。次の日に読んだら破り捨てたくなる」と書いた作家がいましたけれど、まさにその通り。廃品回収に出すわけにもいかないのでいつかどこかでチャンスがあったら、燃してしまわないといけないと思ったくらいです。ページをめくっていたらある時大書きしてあるこんな言葉が目に止まりました。

 「青が争うと書いて
   静かという
   平和なるかな」

 わたしの高校生時代に、七〇年安保闘争があり、東大安田講堂陥落や浅間山荘事件がありました。
 熱に浮かされたような不思議な日々の中で、急速に七〇年安保闘争自体が収束していく。わたし自身は何も関わることはなかったのだけれど、不思議な想いを持ってテレビの議論を聞いていましたし、先輩達の議論を聞いていました。
 圧倒的な論調の中で、その気持ちも理解はできたけれど、どこか冷めていたのです。「すべてを破壊しているだけではないか」と思っていた。「破壊の後、何を彼らは作る気なのかしら?」。そう思っていた。
 先輩達の主張の「情熱」に憧れつつも、彼らの主張の「甘え」を感じていたのかもしれない。そんなことを想いつつ「青が争うと書いて 静かという 平和なるかな」と書いたのでした。あのときの心の動きが、一気によみがえってくるそんな一文でした。


 「青」は「若い」「未熟」をあらわす時に使う漢字の用語のようです。
 「青」い「春」は「青春」ですし、「青」い「年」は「青年」。そして「青」い「心」を持つ者は「情け」となるのです。
 「青天井」と記せば「際限のない上昇」を言うのだし、「青雲の志」と記せば「立身出世しようという志」。もともとはその色合いから出た「青写真」も未来図や計画立案という意味に使われるのです。
 要するに、広辞苑が記すとおり「Fある語に冠して『若い』『未熟の』の意を表す語。『青二才』『青くさい』」となるのでしょう。


 そうだそうだ。
 「青が争うと書いて
   静かという
   平和なるかな」
 何てステキな言葉だろう。
 自分の書いた言葉に満足して、「良し!今度の『園だより』の巻頭言の題にしよう」と、考えました。充分に満足して、その夜、眠りについたのでした。
 自分の書き記した言葉に感動した夜を過ごし、次の日の朝幼稚園に出勤してたら・・・。

 何とステキな「青ちゃん」達だこと・・・。


 そうそう、幼稚園は未熟なかわいい小さな子供達で一杯なのです。

 お庭で仲良くお砂遊び。一生懸命お砂をスコップで掘っているその前で、その砂をかぶって泣いているお友だち。
 一瞬の出来事に、園庭を見ていた教師が飛んでいってお砂をスコップで掘っていたお友だちに注意です。
 「お友だちにお砂がかかっちゃったよ。どこにお友だちがいるか、良く周りを見てお遊びしてね。」

 すると別のところで、また泣き声が聞こえます。今度は二人でちらりちらりと先生の方を見ながら泣いています。
 良く聞いてみると、おもちゃのとりっこ。
 「ボクが使っていた!」
 「かしてっていったのにかしてくれん!」
 どちらも泣きながら、教師を味方につけようと、相手よりより大きな声で泣いています。
 「お友だちが使っているのを、持ってっちゃだめだよ」。お友だちのすきを見て持っていったお友だちにはお話しをしないといけません。けれど、ずっと使っているお友だちには「順番に使ってね」とお話しをしないといけません。

 また別の所を見ると、階段の下の方で一人で座っている女の子。
 どうしたのかしらと見てみると、目に涙をいっぱいためて泣いている。ちょっと心の中で「いつものことだな」と思いつつも、「どうしたの?」と聞いてみる。すると「○○ちゃんが、あそんでくれん・・・」。「やっぱりね」と、私は思います。いわゆる、「仲良しげんか」なのです。


 幼稚園は小さな「青ちゃん」の「争い」でいっぱいです。
 けれど、このケンカの時が大事なんだ。
 本当に大事なことは、ケンカの時にしか伝えられない。

 順番を守ること。
 自分の気持ちだけではいけないこと。
 お友だちの気持ちになってみること。

 そんな一つひとつが、人が人として生きていくためにとっても大事なのです。

 自己主張は大事です。自己主張もできない子は困ります。自分の考えを持ち、自分のしたいことを主張して、何が何でも目的を達成したいと思う心は宝です。
 けれどもその時に、同時に相手の気持ちを考えて欲しいのです。一緒に生きるお友だちも同じように自分の心を持っていいます。自己主張がある。その心を聞き分ける心がないといけないのです。

 もちろん、お友だちの心を聞き分ける心は大事です。お友だちがどんな心でいるか、何をしたいと思っているか、そのことを知っていることは本当に大事です。
 けれどもその時に、自己主張をなくしてもらっては困るのです。自分の気持ちをちゃんと持って、お友だちの心と調整する気持ちが大事なのです。

 「自己主張ができる」。
 そして同時に「相手の気持ちもわかる」。
 さらに「調整する能力を持つ」。

 友達と共に生きるために、大切な鉄則です。

 この事を知ってもらう大切な時。それが「青」が「争う」時なのでしょう。あの言葉、「幼稚園教育にぴったし!」と、思ったのでした。


 「青が争うと書いて
   静かという
   平和なるかな」 
(2002年5月28日 七尾幼稚園園だより巻頭言)