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一番つまらないのは、
 何もしてみないこと

園長 釜土達雄



 ソルトレークシティー冬季オリンピックが終わりました。今閉会式のセレモニーを見ながらこの原稿を書いています。

 審判のジャッジに疑問が投げかけられたり、そうであるからこそ閉会式ボイコット騒動が起こったり、最終日にはドーピング問題まで飛び出して、にぎやかなオリンピックでした。日本選手の活躍は少なかったけれど、それなりに楽しめたオリンピックでした。

 フリースタイルスキーやスピードスケートなど長野でのおなじみの種目には、やっぱり応援には力が入ってしまいました。
 今回は私にしては珍しくフィギュアスケートをじっくり見てしまいました。日本の実力がここまで伸びているなんて、全く知らなかったもの。エキシビションをちゃんと見たのは、初めての経験でした。

 新しく知った競技もありました。五四年ぶりに五輪に復活したというスケルトン。三七歳のおじさんライダー越和宏選手が、氷すれすれの所をあんなスピードで滑り降りるなんて、何という競技だろうと思いました。自分がやってみたいとは思いませんが・・・。

 ショートトラックは公式競技になる前からのファンだったけれど、あの氷の上での運動会はやっぱりおもしろい。
 今回は審判の判断に「それはひどい!」なんてテレビに向かって叫んでしまったけど、それくらいにおもしろいし、応援のしがいがありますよね。

 ただ、心から笑ってしまったのもショートトラックでした。男子千メートルのでスティーブン・ブラッドバリー選手。準々決勝から決勝まですべて、他選手の失格や転倒でくぐり抜け、最後は五人で滑ってダントツの最終者。ところが金メダルを狙って熾烈な争いをしていた四人が最終コーナーで全員転倒したものだから・・・拾いもので金メダル。あれっ?という顔でゴールラインを滑り抜けるスティーブン・ブラッドバリー選手の何とも言えない不思議な笑顔は、今回のオリンピックを記憶する不思議な笑顔となりました。

 もっと笑ったのは、この金メダルが「南半球冬季初の金メダル」だったこと。このあと空中で回転して演技を競う・・・何だっけ・・・オーストラリアの女子スキーの人が金メダルをとるんだけど、本当はその人が初めて南半球に金メダルをもたらすはずだったのに・・・と思うと何となく気の毒にもなりました。

 それにもかかわらず、スティーブン・ブラッドバリー選手の栄誉をたたえて、オーストラリアでは二月二十一日、本人の写真入りの記念切手が発売されたと聞くと、何かよいことがありそうな気がして、どこかで手に入らないかしら・・・と、欲しくなってしまいます。こんな幸運な選手なんだからまた何かあるかもしれないと思って、第十三日の男子千五百メートルも見てしまいましたが、実力通り決勝に進めず、結局十位に終わったのでした。


 私は富山県の立山町という町で生まれました。三歳までは山の中の小さな集落の中で育ち、そのあとは町に出ましたが、夏休みや春休み、冬休みは山の中の祖父母の家に住んでいました。冬になると一晩に一bの雪が積もる山間部です。
 そんな所ですから、冬の遊びと言えばスキー。小さい時は、近所のおじさんに作ってもらった、竹を割って、いろりでその先端を曲げてもらったスキーを使って遊んでいました。竹につき物の節はきれいに落とさず、すべりにくく作ってあるスキーでした。
 今から四十年も前のことです。除雪車が冬の間くるわけもなく、バスも止まって、陸の孤島です。ですからスキーは滑って楽しむものではなく、雪の上を歩いていく為の道具。「カンジキ」の一つだったのです。坂を上るのもスキー、下るのもスキー。スキーを持っているかどうかは、小さな子供にとっては家を出て遊べるかどうかの大事なポイントでした。

 ところが私が小学生になるころには、滑るスキーが私のまわりでも一気に一般的になってきました。除雪車もくるようになりましたから、除雪後の道路は、格好のスキー場でした。子供用のスキーを買ってもらい、そりを作ってもらって、道路のあちこちで坂を見つけては滑っていました。
 そのうち遠出を覚えて果樹園の小高い山の頂上まで行きます。そこから仲間と一緒に滑り降ります。果樹園の木は倒れてくれませんからあちこちぶつかりながら滑り降りてきます。もちろん立っている幹にぶつかるのも痛いのですが、埋まっている枝に足を取られて足をひねったりすると、もっと痛い。一日遊んでいると、身体のあちこちがすりむいたり打撲があったりねんざがあったり・・・惨憺たる状況なのにまた次の日も遊びに行く。今思えば、たいしたケガじゃなかったから続けられたのに違いありません。

 それでもケガをして帰ると、どうしたらケガをしないでいられるかを教えてもらいました。スピードの限界のこと。曲がるべき場所のこと。一緒に遊んでいた先輩も、「そっちに行ったら危ない」とか、「雪が丸く飛び出している所には枝がある」などと教えてくれていたのです。

 こんな事もありました。
 一度、近所のお家の金魚池に氷が張っていて、乗っても割れないとその家の子が言ったのでした。それではとみんなで乗ってみたらバリン!と割れてしまった。大騒ぎをしていたら、お家からその子のお母さんが飛び出してきて・・・こっぴどく叱られた・・・。裸にされて着替えさせられてお家に帰されたら、お家でもまた叱られた・・・。
 叱られた言葉の一つひとつを考えてみて「ようするに、みんなで乗ったから割れたんだ」と納得して、次の日今度はみんなの見ている前で「ボク一人で乗るから」と実験してみたら、やっぱり割れて大騒ぎ。ボクはもちろん叱られたけど、たつおちゃんみたいにならないために「池の氷には乗っちゃいけない」と、みんな約束をさせられた。だけどボクは「あれは、池の氷の上に乗ったから割れたではなく、氷が薄かったから割れたんだ」と、その後は一人でこっそり厚さを確かめて乗ってみて、一人喜んでいる子になっちゃった。


 危険はこの世では一杯。ケガすることだってあるに違いない。ケガをしないことはもちろん大事だけれど、どうしたらケガをしないようにすることができるか、そのことを知る知恵が、もっと大事に違いない。

 いや、オリンピックを見ていたら、もっと違うことも見えてきました。ケガをしながらも、ケガを克服し、再びオリンピックに登場してきた選手の物語が、何と多かったことでしょう。

 そうそう、あのショートトラック男子千メートルの金メダリスト、スティーブン・ブラッドバリー選手もその一人。だから金メダルをとった時、「諦めないで滑り続けてきた事への、神様からのご褒美だと思う」と言ったのでしょう。注目してこなかった者には単にラッキーに見えたとしても、諦めないで励んできた者にとっては、ステキな神様からのご褒美に違いない。



 ケガをしないことはもちろん大事だけれど、もっと大事なのは、どうしたらケガをしないようにすることが出来るかということに違いない。そして、もっともっと大事なのは、たとえ失敗してケガをしちゃったとしても、決して諦めないでケガを克服し、自分の夢を求め続けることに他ならない。
 きっと一番つまらないのは、ケガを恐れて何もしないことではないだろうかと、オリンピックを見ていて考えました。
 ステキなドラマをたくさん見せてもらえると、考えさせられることが、いっぱいある。だから、オリンピックは見ているだけでも楽しいのに違いない。そう思ったのです。

(2002年2月28日 七尾幼稚園園だより巻頭言)


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