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初めて出会う小さな社会

園長 釜土達雄



 玄関にあるいくつもの水槽。それが今回また一つ増えることになりました。

 前回、一度は数匹を残して全滅してしまったグッピーたち。小さな子供達がたくさん育っていて、もらいグッピーをお願いしようとお声をかけ始めたとたんの悲劇でした。
 ところが、あのとき生き残った子供達に新しいグッピーたちが加わって、今再びたくさんの小さな子供達が泳ぎ回り始めたのでした。
 「今回は失敗できない」。そう考えて、慎重の上にも慎重に、水質管理を考えました。子供達用の専用の水槽を準備して、大人のグッピーたちの水槽から分けたのでした。

 子供グッピーの水槽は、大人グッピーの水槽の後ろにあります。幼稚園の子供達にも気付かれないように、でもいつも水槽を見に来るお友だちにはこっそり教えて、大切に大切に育てています。
 大人グッピーのご飯のエサも細かくて小さいのだけれど、それをもう少し細かくつぶして子供グッピーの水槽に入れてあげています。エサが残って、水質が悪くならないように、一日に何度もエサをあげて、食べ残しがないように工夫しています。
 濾過器も、今までの水槽とは違う濾過器をつけました。川の流れを作り出す濾過器などというと高そうなのですが、一番安い九八〇円の濾過器です。ところがこの水流が気に入っているのか、この水の流れを利用して楽しそうに遊んでいます。
 水草も今までとは違う水草を入れました。まん丸になってしまうタイプの水草で、隠れ易いかなぁと思って入れたのです。その水草には一番小さな子供グッピー達が、気に入って出たり入ったりしています。
 いろいろと気苦労も多いのですが、あんなに小さくしてエサとして水槽に入れてあげているのに、それでも大きすぎて口の中に入らなくて・・・四苦八苦している子供グッピーたち。それらを見ているのは、実に楽しい。

 エサを入れた後、指を入れても逃げません。何だろうと指の後を追いかけてきます。興味津々。水槽を叩いて脅したり、追っかけ回したりしなければ、人にも良く慣れるらしいのです。

 この世界に生まれてきて、この世界がどんな世界だろうかと確かめている小さな命。
 わたしはそんな命を生きている子供グッピーをいとおしく思います。



 グッピーの水槽のすぐ前にはスズムシたちが生きています。少し前までは今を盛りと鳴き続けていたのですが、声の張りがだんだんなくなってきて、鳴かない雄のスズムシもたくさんになりました。
 私はそんな虫たちにもいとおしさを感じます。季節感を感じさせてくれるからとか、秋になり命の終わりを感じるからとかというわけではありません。秋の夜長に鳴き続ける秋の虫が大好きで、その虫たちにいとおしさを感じるのは、その多くが冬という季節を知らないからなのです。そしてスズムシに特別の想いを持つのは、飼われる虫として、命を私たちに預けてくれるからなのです。

 たまごから出てきたのが六月の中旬頃。脱皮を繰り返して八月の中頃にはもう鳴き始めます。九月は盛りの毎日。うるさいくらいの鳴き声です。そして、十月になると鳴き声もまばらになり、本当に少ししか聞けなくなるのです。気が付けば、卵からかえって四ヶ月にも満たないこの世界での生活。一年を成虫として生きているわけではありません。春を知らず、晩秋を知らず、冬を知らず、その一生の大部分をたまごとして生きているスズムシ。そして秋の夜長に泣き続ける秋の虫。私はとてもいとおしく感じるのです。
 そして特に、飼われる虫として小さな虫かごの中で一生を終えていくスズムシに、特別のいとおしさを感じます。
 スズムシは、あの小さな虫かごの中だけで生きています。あの小さな虫かごの中が、どんな世界だと感じるのか。自分が生まれてきたこの世界をどんな世界だと感じるのか。それは飼い主にかかっている。スズムシを飼うとは、そういうことだといつも思います。


 それなのに失敗することがあります。

 前回、同じようにたくさん生まれたグッピーたち。もらいグッピーをお願いしないといけない・・・と考えていたのに、ほんの少し水管理を怠ったところ、急速に水質が悪くなってほとんど全滅。小さな命をたくさん失ってしまいました。私はとてもいとおしい気持ちになってしまいます。

 命がなくなってしまったことよりも、この世界は嫌な世界だったと、そう感じて小さな命の終わりを生きていたのではないか。そう思うと、単に全滅しちゃったと言うにはとどまらないさらに大きな悲しさで、心が一杯になってしまうのです。この世界は大嫌いだと、そう感じてこの世界から去っていくとしたら、何とかわいそうなことだろう。そう思います。


 毎年六月の中頃になると小さな赤ちゃんスズムシが出てくるかどうか、心配でしようがありません。出始めると、こんなにたくさん・・・どうしよう・・・・と思うのですが、出てこないと心配で、毎日毎日スズムシのカゴを見に行くことになるのです。けれども残念ながら、ついに一匹のスズムシも出てこない虫かごもあるのです。悲しい思いをして、夏に虫かごの整理をします。
 また、あんなにたくさん出てきていたのに、霧吹きをさぼってしまって、お水がなくなって困っていたり、場合によっては死んでしまったりすることもあります。全部が全部成虫になるわけではありません。そんな一つひとつの状況を見ていると、なんだか自分が悪いことをしたような、悔しくて、さびしくて、いとおしい気持ちになってしまいます。


 この世界をどんな風に感じるのだろう。そう思うと、たまらないいとおしさを感じます。何とか、少しの努力でこの世界が楽しい世界だったと思ってもらえるのなら、不思議なえにしで共にそば近くで生きることになったのだから、何とか楽しい世界だったと感じてもらえるようにしてみよう。そう思います。



 幼稚園にはスズムシ好きの子供達がいます。グッピー大好き!の子供達もいます。そんなに興味はないけれど、時々は覗いていく子もいます。いろんな子供達がいます。
 いっしょにいろんなお世話をしながら、
「グッピーさんが楽しい世界だって思えるようにしてあげようね」
 とお話しします。
 「スズムシさんが、楽しい世界だって思えるようにしてあげようね」
とお話ししています。

 けれどもその時にいつも思っているのです。本当は、この子供達一人一人に、「この世界は楽しい世界だ」って、知って欲しいんだ。

 「神様が造って下さったこの世界は
  楽しいすばらしい世界なんだ」

 この世に生まれてわずか数年。この世界を、この子供達はどんなふうに思っているのだろう。いつも気になります。

 何とかこの子供達に、この世界は楽しい事がいっぱいあるんだって、知ってほしいと思います。初めて出会う幼稚園という小さな社会の責任だと、そう思います。

(2001年10月5日 七尾幼稚園園だより巻頭言)



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