酒は世につれ、世は酒につれ〜私の酒歴書 |
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カフカス山脈のミネラルウオーターで育った名酒は世界大会で3度も金賞に輝きおいしい、といえばやっぱり地酒に勝るものはないだろう。その土地でその土地の水で造った酒を、その土地のつまみで一杯飲(や)るというのは全世界共通の歓びではなかろうか。
ロシアがまだソ連と呼ばれていた頃、ペレストロイカの風に乗ってスポーツ界にもプロ化の機運が高まっていた。その波にいちはやく乗っかったのがアントニオ猪木。当時、新日本プロレスに所属していた私は、猪木さんからプロレス特使の命を受けてグルジア共和国に派遣されることになった。当時の柔道、アマチュアレスリング、サンボなど格闘技の猛者にプロレスのルールと基本を教えるコーチの役割と同時に、現役のプロレスラーとして修行を積むための遠征である。
カスピ海に近いゴリ市の古いホテルに滞在して、それこそトレーニングづけの毎日。ところが格闘技の修行と同時に、いや、それ以上にハードだったのが毎晩催される歓迎の宴会のお付き合い。
何せ社会主義国家。国民の娯楽といえばスポーツ観戦と、お酒を友人と酌み交わすこととおしゃべりぐらい。当地の有力者がわれ先にと「オラの家に来てメシを食ってワインを飲んでパーッと騒ごうぜ」と誘ってくるのである。断ることを知らない私は連夜出かけていくことになるのだが、そのワインのおいしいのと飲みっぷりの凄まじさは聞きしに勝るものだった。
グルジアの土地は肥えた黒土で世界的にも有数の作物地帯。カフカス山脈に連なっており、硬質の水はまさにミネラルウオーター。数々の風土的条件が重なってワインの産地としてフランスにひけをとらない。
中でも、キンズマラウリ村の南向きの斜面でとれたぶどうで造る赤ワインは絶品。パーティーともなると樽詰めのその赤ワインはお客さんをもてなす最高の誠意のしるし。パーティーの主催者は「タマダ」と呼ばれ、牛の角を盃がわりににして、タマダの乾杯のスピーチを合図にその盃になみなみと注がれた赤ワインを飲み干すことが、庶民の何よりの楽しみだ。
ところが、その牛の角の盃がくせもの。何せ一滴残さず飲み干さないと、テーブルに戻すことができない。その角のでかいことでかいこと。ゆうに500ミリリットルは注がれた赤ワインをタマダの乾杯のあいさつごとに20〜30回は一気しなければならない。酒豪で鳴らした私もさすがにこれにはマイッタが、途中でまいったりしてしまっては日本男児の名折れ。
加えて世界ワイン大会で3回も金賞をとったキンズマラウリは100%果物ジュースのように甘みがあって爽やかで香り高い飲み口。これまた歓迎の料理、子羊の串焼きや自家製チーズをつまみながら闘う男たちの豪快なパーティーは明け方まで続いたのである。
帰国の時、1ダースほど買い込んでお土産にして日本に持ち帰ったが、残念ながら日本の食卓には合わなかった。微妙な湿度の違いによるのだろうか、すっぱみが強かった。酒は風土にあり、ということ。そしてうまい酒は良き仲間とともに、であろう。