「読売新聞」 平成14年1月9日掲載
永田町 新しい風 6

「四足目の草鞋履く 多才」

 

 2日午後。東京・水道橋の後楽園ホール。全日本プロレス新春ジャイアントシリーズ初戦に、馳氏が登場した。

 「ウォー」

 リングに上るや否やロープ最上段に駆け上がり、ガッツポーズで雄叫(おたけ)びを上げる。

 6人タッグマッチに出場した馳氏は、相手チーム若手選手の両足を持ち、振り回すジャイアントスイングの力技も見せた。反則技に「それでも国会議員か」と少年のヤジが飛ぶ。

 馬場元子全日本プロレス社長は「リング上でも、国会議員としても、自分をコントロールできるのが彼の才能」と評する。

 国会が忙しい最中でも都心のジムで腹筋、背筋、スクワットなど週に3、4回は必ず練習する。身長183センチ、体重106キロの屈強な体躯(たいく)は練習のたまものだ。

 母校の私立星稜高校(金沢市)の教諭になった1984年、レスリングでロサンゼルス五輪に出場。翌85年、「今しかプロレスはできない」とプロレスラーに転身した。今も国会閉会中に年間約30試合をこなす。

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 大学のキャンパスにも出没する。現在、日本体育大でその時々の時事問題を講義する「現代政治学」を担当。今年秋から神奈川大でも「リーダーシップ論」を受け持つ。

 最近、ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授の勧めで、「教育分野における新しい政策課題と政治家の役割」という論文を書いた。今の教育の問題点について、「教える側、つまり教師、親(家庭)、地域社会の教育力の衰退」を大きな要因として指摘している。

 現職の国会議員にして、現役のプロレスラー、そして大学教員。なぜ三足の草鞋を履き続けるのか。馳氏はこう答える。

 「一番やりたかったのは教員。レスラーは国会議員に次ぐ天職。いろんな町を訪れ、若者だけでなくいろんな層の人と触れ合うと、感性が磨かれる。ヤジも世相を表しているから」

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 政界入りのきっかけは、95年5月、自民党幹事長だった森前首相の誘いだった。2か月後に迫った参院選へ地元・石川県から出馬しないかと打診され、馳氏は「ああ、いいですよ」と答えるのに3秒かからなかった。

 プロレスラーとして北朝鮮やイラクを訪れ、独裁主義体制を目の当たりにした経験などから、「政治ができることは大きい」と痛感していたからだ。高校時代から北朝鮮のチュチェ(主体)思想を独学で学んでおり、「日朝国交正常化への意欲」も決断を後押ししたらしい。

 参院選初当選直後、「一本でも多く議員立法を」と意気込んだが、一人では何もできないと悟るのに時間はかからなかった。

 衆院にくら替えした今も、「国会議員イコール自民党イコール責任政党。おれたち若手は、自民党のコマ。今は勉強するしかない」と割り切る。党を下支えすることにも違和感はないという。

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 このごろは四足目の草鞋も履き始めた。学生時代からの愛読書である「伊勢物語」など古典を素材にして世相を読み解く「古典に映し詠む世記末群像・快刀乱筆」といった本などを出版し、文筆業にも進出している。

 古典の受験参考書やプロレス関係など著作はすでに8冊を数えるが、今年は童話など3冊程度は手がけたいとしている。

 ただ、この分野は、タレントで、エッセーなどの著作が多い妻の高見恭子さんのフィールド。馳氏は「(文筆の)才能はおれより上」と妻を立てつつ、自分の世界を築くつもりだ。

 70歳まで国会議員ができたら、何をやりたい?

 「う−ん。そうだな、日本、中国、韓国3国の問題を同じ土俵で解決するような・・・」

 これほど多才でも、政界では、まだ自分が本格的に活躍する分野を見定め切れていない。

(早乙女 大)

レスラー、教員、作家・・・出会い通じ感性に磨き

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