せきララ大学新発見シリーズ第3弾 (7/31発刊)
「どっこい資格・就職なら専修がいいぞ!」

 

「就職に強い専修」といわれる理由を徹底解剖。
大学が全面的にバックアップしてくれる資格試験対策、試験に強いゼミ紹介など必読の内容です。


 金は人のために使え、酒は身銭を切って飲め 

 馳浩 【プロレスラー・国会議員】の場合

 

 高校時代から国語の教師になりたかった。しかし一方でレスリングも続けたかった。国立大学への進学も考えたが、スポーツ特待生として専修大学へ進学する

 専修大学を選んだ理由は二つあります。優秀な国語教員がおられたこと。それから、校舎と道場、体育寮がすべて5分以内で行き来できたことです。

 レスリングでも様々な実績を積み重ね、教員資格も得た。まさに文武両道を地で行くような学生生活を送った。

 レスリングを通じていろいろなことを学びました。まず、人に頭を下げること。たとえ年下の人であっても敬語を使えるようになりました。
 人から叱られても素直に話しを聞くことができました。意見は言うが、悪口は言わない。そして、取っ組み合いになれば、勝つ術を身につけました(笑)。

 そして希望どおり国語の教師となる。赴任先は母校の星稜高校だ。
 しかし、とある男の登場で生活は一変することになる。長州力さんだ。言わずと知れた人気プロレスラーで、カリスマであったアントニオ猪木さんの後を継いで、新日本プロレスを支えてきた人である。

 長州さんは専修大学レスリング部の10年先輩で、第40代のキャプテンが長州さん、私は第50代のキャプテンでした。その長州さんにプロレスをやらないかと誘われたんです。
 国語教師という生活も悪くはありませんでした。望んだ職業でしたから。でもレスリングは好きでしたし、やらないで後悔するよりも、やりぬく、つまりチャレンジしたかったんです。40歳か50歳になったときにまた教壇に戻ればいいかと。

 レスラーとして身体には恵まれていないが、鍛えられた肉体を武器にして、大型の外国人レスラーを相手と戦う姿は多くのファンの心を虜にした。また、日本の古典文学に親しむインテリレスラーとしても独自のスタイルを確立していった。

 なぜ身休を鍛えるか。それは毎日自分をリセットするためなのです。しんどいと自分に思わせる。自分にプレッシャーをかけ続けているのです。
 つらいことはいっぱいありましたよ。ケガもしましたし、離婚も経験した。それでもスランプと呼べる時期はありませんでした。朝起きれば昨日のことは忘れているのです(笑)。

 人生で2度目の転機が訪れる。これも一人の男がかかわっていた。元総理大臣の森喜朗さんだ。

 星稜高校は石川県にあり、森さんの選挙区も同じ石川県です。そのような関係で国会議員にならないかと勧められました。森さんのお話しを聞いて、政治のたいへんさ、すばらしさを知り、選挙に立候補することを決めたんです。

 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙で石川県選挙区より自民党の推薦を受け出馬。現職候補との激しい選挙戦の末初当選を果たした。後に自民党入党するが、2000年5月12日に参議院議員を辞職する。
 2000年6月25日に行われた衆議院議員選挙で石川一区より出馬して、当選した。

 教師を経験したことから、やはり教育問題には関心があります。一方通行の教育はよくありません。今の学習指導要領に基づいたカリキュラムにも問題があります。
 本当の意味での学力をつけなければなりません。つまり実学です。直接社会に結びつかないといけません。
 それと職業倫理観。自主的に労働しようという意欲を培う。そのためにもいろんな才能が評価されるようにならなければ。

 学生には毎日日記を書いてほしい。ボールペンでもパソコンでもいい。最初はスケジュールだけでもかまいません。 そのうち、その日あったことに対して自分がどう考えたかを書く。自分が発見できます。そうすれば自分を大切にしますし、他人を大切に思えるようになるんです。

 

 1日でも長くリングに立っていたいという。今でも年間20〜30試合はこなしているのだ。朝5時に起きて身体を鍛え、夜は専修大学においてレスリング部の監督として後進の指導にあたっている。
 政治家としての目標は日朝国交正常化と憲法改正。


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