「小学一年生」 平成12年7月号
みんな『一年生』だった

 難しいことをいっているけれど、はじめから何でも知っているような顔をしているけれど、大統領も、作家も、学校の先生も、父も母も、みんなかつて一年生だった。
 どんな環境で、何を考えて、何に夢中になり、今のあなたがあるのか。全部話してください、あなたの『一年生』を。


 汗を流している姿を見せて、両親の仕事が社会に役立っていることを教えてほしい

 国語の教師との出会いで自分の将来が決まった

 米作りを中心とする農家で生まれ育った僕は、学校から帰ると両親の手伝いをよくしていたものです。田植えの時期は肥料を運び、田おこしして、田に水を入れて代かきをする。それから種もみをまいて、苗が育つまでじっと待つ。人手が足りない知人の畑の草むしりをするなど、いつも体を動かしていたものです。

 秋になれば米が実り、稲刈りでまた忙しかった。でもどこの家庭でも当たり前のことだから子どもたちは文句も言わず、汗を流していた。その合間に、友だちと川に潜って魚を捕ったり、山菜摘みをしたり、神社で野球や相撲をするなど、自然に恵まれた環境のなかで楽しんでいました。

 私は男3人兄弟の末っ子でしたから、当然、農家は継がなかった。日頃、両親から『この家は、長男が継ぐ』と聞かされていたし、自分も心のなかで“いつかは独立をしなければいけない”と思っていたんです。小学3年生のとき、子どもがいない親戚から僕に養子の話がありました。両親から『どうする?』と聞かれたとき、迷わずに『親戚の家に行くよ』と答えました。

 親戚の家はリンゴ栽培の農家なので『僕が養子になれば家を継ぐことができる。それもいいじゃないか』って思えたんです。リンゴの収穫も米の刈り入れ同様、きつい仕事でしたが、働いて汗を流すことは同じでした。その生活のなかで土の匂いがたまらなく好きになり、農家の魅力を感じるようになったんです。農作業はすごく手が掛かる。その分、自分の努力如何では、きれいな形の美味しいリンゴが作れる。仕事としてとても充実感があるんです。

 農家は1年かけて作物の収穫を得るわけで、それまではじっと我慢するという忍耐カが必要になってくるわけです。収獲したら、また次の作物のために一からやり直すので、コツコツとやらなければいけない。あのときの農作業の手伝いをしていた経験がいまの僕にとって、大いに役立っているのです。

 将来、リンゴ栽培の日本一になろうと思い続けていた頃、中学2年生で素敵な授業をしてくれる国語の教師に出会ったのです。その教師は与えられた教材を通じて、僕たち生徒らの感性、能カ、発想を引き出してくれた。自分たちからすすんで勉強をしたいという意志をもたせてくれたんです。小学校高学年から図書館通いをするほど文学少年(笑)でしたが、そんないきさつもあり国語の教師になると決めてしまったんです。僕は一度決めたら突っ走るたちなものでしたから・・・(笑)。

 畑仕事は天候、気候などに左右される日々だから、家では勉強どころじゃありませんでした。だから両親の教育法など別にないんですよ。毎日、両親の仕事をしている姿を見て育ってきたということだけ。親父は朝早くから農作業で出掛ける。お袋も朝早く起きて朝食の準備をし、掃除、洗濯した後は農作業の手伝いに行く。農作業だけでは生活が大変なので、親父は金箔貼りの内職をしながら家計を助けていました。いつも両親が一生懸命働き汗を流している姿を見ていた、それだけです。

 その両親の姿を見て育ってきた僕も、自分の子どもにもお父さんやお母さんの仕事が社会の役に立っているという実感をもたせることが大切だと思っています。両親が帰宅して説教ばかりせず、実際に汗を流して働いている姿を見せたほうが教育的意義があるんじゃないかと。そこに家族の一体感が生まれるんです、自分が体験済みですから・・・(笑)。

 馳家の教育は体育会系、一発張って抱きしめる

 僕が教鞭をとっていた(星稜高校)頃と比べて、いまの子どもたちはそんなにかわっていません。ただ生活環境が大きくかわったといえますね。子どもたちは常に環境に影響されやすい。携帯電話にファミコンなど、人と出会わなくても相手をしてくれるものが世の中に満ち溢れている。いわゆるデジタル世代です。僕たちはアナログ世代(笑)であり、自分で体を動かし汗を流してきた。物事を目で見て、耳で聞き、口でしゃべる。そうして人間関係のなかで自分を積み上げていたのです。

 ところがいまは、ボタンひとつで何でも手に入りリセットできてしまう。そういう大きな環境の変化には驚いています。そんな世界で子どもたちの人格形成がされているかと思うと、正直言ってこれでいいのかと思いますよ。引っ込み思案でバーチャルな世界に引きこもる子ども。権利と責任では、自分の責任を問わず、権利ばかり強く主張する。義務と責任を忘れてしまっているんです。家でも顔を使い分けている子どもすらいるじゃありませんか。

 じゃあ、どうしたらいい。僕が重要視することは食生活を大切にすること。朝、昼、晩は必ず家でご飯を食べさせることです。それと挨拶をきちんとする。最初はこの2つだけでいいんです。ご飯を食べないと体力が低下して、思考能力や行動力が緩慢になり、やる気を失ってしまいます。食事を共にすることで、日頃仕事で忙しい父親が唯一子どもとのコミュニケーションがとれる場所になるじゃないですか。私も仕事柄、地方へ出掛けたり、議会が始まれば家に帰ることすらままならない。だけど少しでも時間があれば必ず娘(鈴音ちゃん2歳4ヵ月)と一緒にお風呂に入って会話をしているんですよ。娘がかわいいから、家内(タレント・高見恭子さん)と奪い合いですよ。でもお風呂だけは私の楽しみだから、譲りませんけどね・・・(笑)。

 それでも一人娘だからといって私は決して甘やかしていません。いつも娘への掛け声は「シャキッとしなさい!」(笑)。ご飯食べるときも返事をするときも、いつでもどこでも親のいうことを聞かないと、ビシッと一発、張り倒します。だけど落ち込んで泣いているときは必ず思いっきり抱きしめて「言うことを聞かないとダメヨ!」と話しかけています。

 うちは体育会系でわがままは許しませんから、娘もたいへんでしょうね(笑)。ときには私がプロレスラーとしてリングにあがって大暴れしている姿をテレビを見ている娘もキャーキャーはしゃいで喜んでいるみたいですよ。父親の一生懸命がんばっている姿を見せるのもいいじゃないですかね。

 これから成長していく子どもたちに必要な部分は、無国籍ではなく、自分が日本人であることの自覚を持ち続けて欲しいと願っています。僕も日本の文化や歴史、そして日本人だけが待つ精神を重んじてきたのです。そのために小学生時代は剣道とそろばん塾へ通っていました。そろばんは頭の回転の早さ、数字のプロセスを身につけることができるし、剣道では「礼に始まって礼に終わる」という礼儀作法を学ぶことができたんです。

 学習塾に通うのも大切だけど、学校の授業の予習、復習は家で親が子どもに習慣づければいいことであって、子どもの潜在能力を引き出すことがより大切だと思うんです。

 つねに日本人としての心の美しさを持つ子どもになってほしいんです。男の子も女の子もお花を活けたり、お茶を学んだり、ごく日常的なことは家庭でもできますからね。できたら着物の着付けもできたら、こんな素晴らしいことはありません。日本人は着物が似合うじゃないですか。

 子どもが興味を持ったら何でもチャレンジさせることが大切です。音楽でもスポーツでも。そこからまた子どもたち自身が何かを見つけるのですから。僕も、スポーツを通して信頼できる数多くの“友だち”と出会うことができたのですから・・・(笑)。

  


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