私幼  いしかわ  2006年3月5日発行 45


 

【東京タワー事件 馳浩 

 大晦日に家族三人で東京タワーに昇ってきた。天気が良かったこともあるし、娘が昇りたいとせがむので。

 たまたま妻が知人からいただいた東京タワー優待券3枚があり、「しめしめ、これでただで昇れるね!」とほくそ笑みながら芝公園へ。ところが、その優待券では途中の展望台までしか昇れない。

 そこからさらに頂上近くの特別展望台に上るには、大人600円×2・子供400円、合計して1600円を払ってチケットを買わなければならないことになっていた。
 「どうする?」「高いわねぇ!」「せっかくここまで来たんだから昇ろうよ!」「眺めは良さそうだよ!」「それもそうね!」と緊急家族会議はまとまり、より高いところを目指すことになった。

 大晦日に同じようなことを考えている家族はほかにもいっぱいいた。
 エレベーターを待つ行列でいっしょになったわれわれの目の前の家族構成は、40代の夫婦と小学校低学年の娘の三人家族。手をつないで微笑ましい光景だ。ところが、行列を待っている退屈さに耐えかねて、向こうさんの女の子がゲームを始めた。

 ピッピコピコピコと、音を鳴らしながら楽しんでいる。気に障って見ると、それは最近リバイバルブームの新たまごっち。行列には60名ほどが整然と並んでいたのだが、その静かな東京タワー内に、ピコピコと鳴り響く新たまごっちの電子音。

 それを横目に見ていたうちの娘も、自分の肩掛けかばんの中に手を突っ込んだ。そう、うちの娘もブームの新たまごっちはいつも肌身離さず持ち歩いているわけだ。よそ様の新たまごっちの電子音を聞いていて矢も盾もたまらず、対抗心丸出しに自分も電子音を鳴らしたそうな娘。

 そのときだった。いつもの甲高い声を張り上げ、俺に向かって話しかけるわが女房。「親といっしょにいるときにたまごっちだなんて、いったい親はどんな教育してるんでしょうね! 親といる時は親子でのんびり話し合うものよ。それに公衆の面前で迷惑な電子音鳴らすだなんて、日本の教育はどうなっているの、ほんとにもう、文部科学副大臣!!!」(ふ、副大臣だなんてこんなところで俺に向かって言うなよ、いきなり! それに、そんな甲高い声でしゃべっちゃったら聞こえるじゃないの、この行列に並んでいる人に! 勘弁してくれよぉ…)と、おろおろする馳浩。こんなところで副大臣だなんて言われたって、言い訳のしようがないじゃないの!

 その声に敏感に反応したのか、うちの娘はかばんに手を突っ込んだまま固まっている。そしたら、あ〜あ、案の定、前にいるお父さんにそっくりそのまま聞こえちゃったみたいだよ。そのお父さんとしたら世間体が悪いのだろう、声のするほうをぱっと振り返ってみたら、われわれと目と目が合っちゃって、罰の悪そうな顔をしている。お父さんときたらさすがに気まずいと思ったのか、小声で、「ほら、迷惑になっちゃうよ、よしなさい。やるなら音を消してマナーモードにしなさい!」と娘をちょんちょんとつついてたしなめている。

 ところが、親の心を知ってか知らずか、その娘さんは新たまごっちに夢中。ひじをつつくお父さんに対して、「やめてよぉぉぉ、音がしないとつまんないじゃないのさぁ!」とむずがっている。
 いよいよ緊迫してきた空気。ぐずる娘に対して気の弱そうなお父さんは困っているし、うちの娘もその様子を見ながらどうしたものかと固まっている。

 その時だった。むこうのお母さんの右手が、野生のリスよりもすばやい動きでささっと動き、自分の娘のたまごっちをシャーっと取り上げてしまったのだ。
あまりのすばやさと剣幕に呆然として見上げるその娘さん。

 その視線の先には、まるで般若のような眼光鋭い表情で娘を見つめるお母さん。そりゃもう、凄いにらみ方。
取り上げた新たまごっちは、あっという間に自分のポケットにしまっちゃったよ!

 そしたら、そのあまりの勢いと般若視線の怖さにぽかぁぁんと口を開けたままのその娘さんは、事態をすぐに察知したのかしゅーーんとして下を向いちゃったのであった。それを見て、自分もまずいと思ったのか、うちの娘は静かにかばんからたまごっちを握っていたちっちゃな手を出して、何事もなかったように外の景色を見つめている。

 一件落着、ものの数分の出来事。事態が一応丸く収まって、安堵の表情の向こうのお父さん。
 そして、知ってて知らん振りをして音の出ない口笛を吹いてニコニコしているわが女房。
 急展開の事件におろおろしている馳浩は、向こうのお父さんに静かに目礼して「どうもどうも」と声にならない小声で頭を下げるのみ。

 ‥‥いかがだろう、この東京タワー事件。六者六様の人間模様があぶりだされているとはいえないだろうか?

 解説してみると、
 ・無邪気に遊ぶ向こうの女の子
 ・モラルの欠如に黙ってはおれないうちの女房
 ・自分も遊びたいうちの娘

 ・世間体が気になる向こうのお父さん
 ・事態を収めるためにすばやく行動した向こうのお母さん
 ・おろおろする馳浩

 なんとなく、男親というのはこういうときには役に立たないものだというのがおわかりだろうか!

 そして、もっとも問題なのは、ゲーム機の存在だ。
 その昔はインベーダーゲームが流行ったりしたが、今じゃあ国民総ゲーム時代の様相。それは「静かなる侵略者による倫理の破壊」とまで言っても過言ではあるまい。ゲームはところかまわず刺激を与えてくれる。

 画面をクリアしていくにはただただボタンを押し続けて攻撃あるのみ。だめならばリセットしてやり直し。ゲームの中では人殺しも戦闘も町の破壊も交通事故も、エロもグロも、好奇心をこれでもかこれでもかと高揚させるようなソフトが氾濫している。画面上で繰り返される非人間的な仮想現実の社会。

 そのゲーム機を、ばかぁぁんと間の抜けた半開きの口で操作し続ける子供たち…
 いや、大の大人たちも。
 その仮想現実の社会が、いつしか現実社会と区別がつかなくなるのが、「侵略者による倫理の破壊」というわけだ。

 人間としての感情を喪失してしまいかねない破壊力がそこには、ある。
 どうだろう、私立幼稚園協会の皆さんは! インターネット社会、携帯電話社会は便利さと危うさの紙一重。
 いつ、だれが、どこで、どのようにして倫理の壁をいともたやすく飛び越えるか、まったくわからなくなってきている。その怖さを、いかに自覚しているかが「教育力」のはじめの一歩でもある。

 「教育力」への参加こそが国民の一員としての使命ではなかろうか。


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