専修大学 文学部」2000 巻頭インタビュー
 OB・OGは語る
 「ツブシが利かない」から「ツブレない」へ。

かつては「ツブシが利かない」と敬遠されることもあった文学部。
しかし、時代は変わった。ツブシが利かないからこそ光る個性が今、求めらている。
どんな時代も「ツブレなかった」たのもしい文学部出身者(センパイ)の声を聞け!


 高校時代、アマチュアレスリング界で注目を浴びた馳さんのもとには13もの大学からスポーツ特待生としての誘いがあったそうです。その中から馳さんが選んだのは専修大学文学部国文学科。理由はただ一つ、昔からの夢だった国語教員を目指すためでした。

 「大学時代はちゃんと授業に出てましたよ。教職も当然、取ってましたから、たいていは5限、6限まで。レスリング部の練習はそれからです」

 スポーツ特待生が欠かさず授業に出ていた。と聞いて意外に思う人も多いでしょう。しかも、通常5・6限目に配当されることが多い教職の授業に出る時は練習時間に遅れても授業を優先していたというのは、スポーツマン・馳浩の知られざる逸話と言って良いかも知れません。

 「皆、その話をすると『変わってますね』って言うんだけど、違うでしょ、それは。僕に言わせれば授業に出ない方がおかしいんだから(笑)」

 当時の馳さんにとって、スポーツはより良い条件で大学に入るための手段に過ぎず、大学での目標はあくまで国語教員だったのです。

 「大学側の理解もありましたしね。そのうち一般学生が僕のノートを借りに来たりして(笑)」

 一般の学生以上に真面目な大学生活を過ごした馳さんは卒業後、その意志を貫いて高校の国語教師に。3年間、教壇に立った後でプロレスラーに転身。そして平成7年の参院選に出馬し見事当選。現在は参議院議員としてさまざまな政務にあたる一方、現役プロレスラーとしても活躍。さらに専門である古典文学に関する著書執筆など、まさに超多忙な毎日を送っています。

 「結局、僕なんかは“ツブシ”が利かない文学部の典型的なタイプだね(笑)。教師をやって、プロレスラーをやって、国会議員をやって、本まで書いて、いろいろやってるように見えるけど、それしかできないんだからさ(笑)」

 確かに、馳さんの生き方は決して器用とは言えません。状況に応じて必要な術を身につけ、社会のニ一ズに自分を合わせてきたというよりも、もともとある自分自身の資質を徹底的に鍛え上げ、その時々に自らの力を生かせる場を求めてきたと言った方が良いでしょう。

 「文学部で学んだことをそのまま仕事にしようと思ったら、進む道は限られるでしょう。それこそ教師か学者か、いずれにしても90%は“専門外”に進むわけですよ(笑)。でも、だからこそ総合的に物事を考えることができる」

 資格志向の高まりから専門分野の勉強に学生の関心が集まる昨今。馳さんの言葉には、近づきすぎると逆に見失う問題の本質を正しくとらえるには、一歩引いた“文学部的視点”が必要だという思いが込められているようです。

 「企業の方々と話をすると、今の大学生は残念ながら基本的なモノの考え方ができていないという結論になってしまう。文学部というのはその意味で、根本的なアイデンティティを確立できる数少ない学部だと思いますね。モラトリアム学部と言われてもいいじゃないですか(笑)」

 豪快に笑いとばす馳さんですが、その目は確信と自信に満ちていました。

 

これしかできない。それが文学部の強さです。

馳浩 in Mediaメニューへ戻る



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