馳浩の快刀乱筆

 スポーツの残酷な美しさ 

 人の縮図 

平成12年5月28日富山新聞掲載


 

 げげげ、いつの間にか最下位だった中日が躍り出てきた。何やら巨人とのマッチレースの展開である(?)巨人ファンのわたしには、最も嫌な展開といえる。でも、プロ野球ファンのわたしには、これ以上の展開はない。

 現在、セントラルリーグの実力球団といえば、昨年の覇者・中日と、優勝の呼び声が最も高い巨人ということになろう。だんだん暑くなり、野球中継をみながらのビールは考えただけで喉がうなる。

「松井ーここで打てー」「上原150キロだー」と叫ぶのは気持ちが良い。

 昔はそんな大人を見て下品だと思ったが、意外とストレス発散することが分かった。俗世間におかされた空気を吸ってかろうじて神経の中枢を維持している現代人の拒絶反応にも思える。

 そんな人間の悲しみ滑稽さが、わたしにはいとしい。わたし自身がそんな人間の一人でもあると確認することはうれしいし、正直ホッとする。醜いありのままの自分を認めることも勇気だと思う。

 おーいけない。何か説教くさくなってきた。これではせっかくのビールも台なしだ。話を戻そう。今期のセントラルは、両横綱のかっぷり四つに組んだ相撲だけではない。下位4球団もすばらしい。

 どのチームにも現段階では優勝の可能性があるからだ。阪神にも十分あるのだ。これが良い。ダントツのビリチームがあると、やっぱりプロ野球のプロが泣く。プロなんだから強くなければならない、最高でなければならないはずだ。たとえビリのチームでも強さがほしい。だからこそビリはビリでも優勝の可能性がなければならないのだ。

 そして、そのチームにも最後には勝つチームこそ真のチャンピオンとして認知され、観る者に感動を与えるのだ。

 個人プレー出身のわたしには少々わからないチームプレーのだいご味・尊さは、この人間関係の縮図でもあると思う。主役がいて、脇役がいる。活躍できた者がいて、失敗した者がいる。互いに競い合う者がいて、反目する者もいる。実に複雑な、多彩な人間関係は、スポーツだけにさわやかで残酷な美しさがある。結果だけの世界はそこが良い。

 

スポーツや 人の縮図の 裏返し
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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